大事なことは、全部振動が教えてくれた。
新・ラグジュアリーからガストロノミーツーリズム、メタトロン、微生物と地球と薬草と鉱石まで「振るえる世界」と、人類のネクストステージ「共振時代」がやってくるかもしれないという夢と希望への長い独り言です。
キーワード的に散乱している感はいなめませんが、読んでみようと思って下さった方ありがとうございます。
はじめましての方、私は福島の震災の年に当時4歳と5歳だった子供2人と離婚を決意しヨーロッパに向かい、2012年からイタリアに移住して日本を外から元気にしたい一心でミラノで食文化教育の会社「Genuine Education Network (GEN)」を起業し、再婚を経て現在は3人の子供の母として、社会的には地域づくりとかガストロノミーとかサステナブルツーリズムとか食文化教育や発酵・微生物・土壌の再生のようなキーワードで仕事しているものです。
時には観光の専門家としてガストロノミーツーリズムやウェルビーイングについて語り、ある時はイタリアに住んでいるというのもあって欧州の食品輸出市場拡大や地域ブランドの国際展開のアドバイスや戦略企画をやったり、はたまたライフワークとも言える食文化や環境の教育の講師やプログラムを主宰したり。最近では循環型の複合発酵トイレの企画をしたりしています。
せっそうもなく色々な仕事や機会を頂きやっているように思えますが、そこを自分的につないでいる大きなライフミッション的モチベーションがひとつありまして、それは
「人間の目には見えなくても、確かに存在するエネルギーを通じて
感動や深いつながり生み出したり、その場にいる命を癒すこと」
だったりします。
目に見えないことを感じるというテーマに長年タックルしているのですが、この世に蔓延する地に足のつかないスピリチュアルや陰謀的なものとは一線をひかないと、かえって本当のことに辿りつけなくなると感じて、物質があり人間が体感できる「衣食住」の伝統的な地域文化、とくに「食」を入り口に活動をしてきました。
私自身は人間の霊性は否定しないし、科学至上主義者では全くないのですが、やはり食べ物は物質だし、わかりやすく多の人が安心して集まり語れるコンテクストかと思います。物質的でありながらも地球のこと、自然のエネルギーのこと、生産する人、調理する人、加工する人、すべての命のつながりについて考え感じさせてくれる霊的な人類の進化の入り口にもなる、それが食べ物についての学びを仕事にした理由です。
食べ物と霊性の関係はオカルトでもなく、普通に私たちも感じていることではないでしょうか。たとえば普通は食べ物を「食べる」と言いますが、本当に表現できないほど感動する味わいを「沁みる」と表現したりします。疲れた身体に染みるとも言います。これって美味しいとはまた違う表現で、からだにじわるような感覚。ほっとしたり心理的にも働きます。食べ物だけでなく物理的な暖かさや人からかけられた言葉など、あらゆるものが「しみる」と表現される時、それは細胞レベルでエネルギーがまさに波紋のように体中に広がっている瞬間なのではないかと思うのです。
あたたかい愛情や言葉は目にみえないけれど「しみる」感じがして、言葉や肉体がつながり、反応し涙が出たり、元気が出たり、ちゃんと知覚できるエネルギーに転換されます。食べ物は言葉とも違ってちゃんと物体ですから、成分やカロリーも作用しますが、味覚的物理的認知を超えて、エネルギーのように目に見えないものを感じさせる不思議な存在です。
空腹で自分の感覚が研ぎ澄まされていればいつも「沁みる」ような現象が起こるわけでもないので 一体どんな条件が揃うと人は食べ物を「沁みる」と感知するのだろうか、そんな疑問を感じてましたが先日その答えのヒントになりそうな、面白い体験をしました。
人間の臓器にある固有の周波数を測定して、不調和を見える化する測定器
メタトロン
癌を克服した友人が医療目的でもなく、あくまでも自分の健康管理のために定期的に受けているというメタトロンという測定器を教えてもらって日本に帰国した機会に受けてみました。サロンは参考までにご紹介しますが、オーナーはあくまでもプライベートにやっておられるので全員を御受けできるわけではないとのこと。これも含めて相性ということでしょうか。でも見たところ日本各地にサロンや医療機関は広がっていそうですのでぜひ検索を!
私がメタトロンを受けた理由は、人間ドッグのように入院したり時間やお金を取られず、体に負荷ほぼなく、かつ良心的な値段で体のみならずストレスやエネルギー的な不調もわかるという測定だというので受けてみました。まさに「未来の人間ドック」。
頭に簡単な装置をつけて、あとはパソコン上に次々に現れる各臓器の私の体の状況(参考写真)を見ていきます。
実は長年の海外暮らしや自営業であることやコロナも重なり、病院に足遠くなり、定期健康診断もほぼ受けていなかったのでドキドキしながら受けました。
簡単なヘッドギアをつけて待つこと数分。
結果、自覚症状があっても大したことないと放っておいた症状(体内のカビや細菌感染の潜伏・予兆、虫歯や歯周病)などが改めてあぶり出され、個人的に納得のいく結果になったことや、実際になぜかこの測定を受けてから、実は歯磨きの際に歯茎から血が出ることがあって気になっていたのですが、それがなくなったことなども驚いたので受けて良かったと個人的には思っています。
ちなみに、この機器は臓器が本来持つべき周波数を流して、各臓器の乱れを整えることも可能なのです!(もちろんいわゆる治療ではないですが、私の場合は改善が見られました)
心配していた内臓では(特にお酒飲み過ぎで腎臓とか心配してましたが!)多少臓器に部分的な疲れは見られたものの、特に大きな問題は今のところはなさそうで、あとエネルギー(メンタルにも多大な影響)は非常に良い状態とか自分が見えない部分も大変参考になりました。
一番面白かったのは最後に出てくる膨大なデータベースと私の周波数の相性リスト。漢方薬、ハーブ、植物、鉱物、そして食べ物のリストが出てくるのです。
昨今のサプリブームや、これを食べれば誰でも健康に効く的な風潮にも疑問に思っていたので、すごく納得します。
結果は人間の細胞レベルの振動はもちろん、動物も植物も石などの鉱物ですらも全て周波数があって、その固有の周波数がメタトロンの測定データベースと照らし合わされます。ちなみにこの世のエネルギー的なもの、音、光、石などから発される赤外線などの電磁波、私達の持つ意識も含めて波ですし、これらは実は全て目に見えないミクロの世界の素粒子が振動してます。(とんでも系とかスピリチュアルな人が言ってることと重なってきましたが量子物理学的な世界でもちゃんと証明されていますしたくさん本やブログが出ているので、ぜひそちらをご覧ください)
もちろん全ての物質は影響しあって、人間の体の代謝がそうであるように電気が流れていますから、未来永劫にずっと固定の振動を繰り返すわけでもなく、ささいなことで調和や不調和が生まれるわけです。あと高振動ならよくて低振動が悪いとか、そんな簡単な二元論の話でもないわけだと理解しています。
メタトロンが提供する食べ物の周波数の元データベースは実際どう測定されたのかわかりませんが、ひとつ言えるのは同じ食品でも人間と同じく、多忙、過労、ストレスの多い環境で育ったり食品添加物、農薬、土壌が重金属に汚染されていたり、太陽光パネルや電波塔で電磁波に近い場所で生育していたり、化学的な薬品で保存や加工されていれば個体差がありまた結果が違ってくるのだと思います。
もちろん生育環境だけでなく調理や流通など加工プロセスでも変わってくるでしょうから、火を使ってじっくりと調理したものと電子レンジでチンしたものは違うはずですし、太陽の光や自然の水を使わず工業的に人工的に作られているものは結果違う周波数になっていくのではと想像します。
こんな経験からも、私はますます食べ物を味や値段で選ぶのではなく、その時の自分の体や心の周波数に合うものを摂取したいと思うようになっています。
アニマルウェルフェアとか声高に叫ぶまでもなく、植物も含めて健やかな環境にないものは体に良い作用をもたらすはずもないですよね。農薬の散布で体中蝕まれている農家さん、劣悪でストレスフルな労働環境で働く人々が生産・製造したものはいくらハイブランドであっても、オーガニックやビオの認証マークがついていたとしても、高級レストランやショップで提供されていても、本当に私たちの幸せな消費や健康には辿りつくはずないと思うのです。
ビオだから良い、オーガニックだから良いというような、目に見える認証(ブランド)は判断の一つにしか過ぎません。それにその商品がどこからどのような素材や人によってもたらされたのか、デジタルトラッキングを駆使しないと安心できないような社会は健全だと思えませんし。
メタトロンの結果に戻ると、私と相性があうのはキノコや蕎麦、雑穀米や全体的に茶色いもの。お酒はワインや日本酒の発酵酒はよくて、蒸留酒はあまり相性がよくない様子でした。
最後にもっとも自分の周波数と遠いのはフルーツ類でした。実はフルーツは日頃からあまり食べないので無意識にちゃんと避けてたのかなと思ったり。
とはいえ、好きなものでも実は波長はあっていないものなどもあり興味深かったです。
個人的に読み解くと、常夏のトロピカルな場所や刺激のあるスパイスがある東南アジアは好きなのですがあまり相性が良くなく、私の体にしっくり来るのは比較的寒い場所でも育つ食物が多いので内陸部の山や森の方があってるのかなと。結果的にいま自分が住んでいる地域との相性も感じることが出来ました。
なんかいろいろ腑におちる、というのが感想でした。
また定期的に受けて、自分の周波数の変化を見てみたいなと思います。
これから、いろいろなものが、お金や市場という絶対的な評価軸で万人に向けた価値観を生み出す時代は終わって、このように個人の振動的な相性という世界がやってきたら、モノの価値を情報戦やマーケティングでよく見せたり、良くない部分を隠したり捏造したりすることは全く無意味になるどころか逆効果になるでしょう。
全ての人が自分の五感をもって衣食住、自分がどんな周波数かを基準に、自分によいものを判断できる感性をもち、ほんとうに体が呼んでいるか感じれるようになったり、慣習でただカロリーを摂取するのでもなく、情報でも欲望からも離れて自分に共振するか、
つまり振動エネルギー的な価値を基準に衣食住の暮らしの選択をする時代がきっとやってくる、個人的にはそんな気がしてなりません。
この振動するエネルギーがこれからの価値の基準になるかもという話をローカルブランドやガストロノミーツーリズムに広げて考えてみます。
ローカルがツーリズムやガストロノミーで価値を生み出すためには、圧倒的なファンづくり、そのための感動や共感を生み出すような体験を訪れる人に提供することが大事と言われています。
そこで、感動や共感を生む世界の人をファンにするようなローカルプログラムってどう設計するんでしょうかとよく聞かれます。
まず言えることは、地域づくりにおいて五感に訴えるプログラムを作るような時、目にみえる要素(名所・名産品・レストラン)をいくら点と点で繋いでもだめだったりします。
まさにSense of Placeという目に見えないその土地の潜在的な価値(その土地らしさを感じる何か)の要素が大事で、空間や音や香や景色や時間の移ろいなど、ぱっとイメージが広がるような要素が、感覚的に伝わるようにホリスティックに要素を盛り込める感性の人がデザインしないと、これはもう絶対に言語を超えた感動や深い一体感に到達できないなと思います。
デザインとはいえ小手先で付け焼き刃に設計すればするほど感動から離れていってしまい、ディズニーランド的な薄っぺらい快楽の提供になりがちです。最近ではガストロノミーツーリズムのために生産現場がつぎつぎとミュージアム化されたりしています。でもそうすると、ほんもの感が失われるわけです。
「癒しの空間」「心のこもった食事」とかいう月並みな言葉や、体験を作為的に作ろうとすればするほど伝えるべき価値を損ってしまうのが難しいところです。
それにSense of placeを無視して考えると、どの土地でも同じような体験ばかりが全国に広がっていきます。ガストロノミーで言えば、農園の体験、Farm to Table、蕎麦打ち、酒蔵訪問など全国どこでも枠組みはそうかわりはないのですから、その価値を独自の卓越したものにするには、伝える人の思いを含めて、いかに目に見えない要素で立体的に肉付けできるかにかかっています。
もう少し先のことになるかもしれませんが、その土地を訪れる誰に対しても画一的な体験を提供していては、遅かれ早かれ飽きられ、本当の意味で人を呼べなくなる時代が来るのではないかと思っています。
細胞レベルでしみるような体験、足を踏み入れるのが憚られるほど神聖な感じがする森とか、何百年も続いている本物の祭りがその意味を超越して人の心を震わすチカラ、みたいなものが発動されるにはどうしたら良いのか。ほんとうの感動を世界からくるインバウンドツーリストは感じてくれているのか。
現に残念ながら日本がいまインバウンドで盛り上がっているのはCheap Destnationだからです。
目に見えないことを察知して相手を感動させるなんて難しいことのようですが、日本では昔から熟練の板前さんや割烹のご主人は、馴染みのお客が来れば、その日の気温や相手の顔色をみてさっと料理の温度を変えたり品数を変えたり、スピードを変えたりしていました。それくらい相手との共振していたのだと思います。そんな共振力をもって感じ取るちからをハイパーに持つ人が拓くのがガストロノミーやツーリズムのネクストステージなのではないかと感じているわけです。だから人材育成がめちゃくちゃ大事。地域で暮らす人が、裏表なく本当によい暮らしをしているかも大事なわけです。
いかに相手の周波数に合わせて自分たちのコミュニティを総動員して共振できるか、そういう迎え入れ方が主流になっていくように思います。
それはラグジュアリーブランドの世界ですでに明らかなようです。
ミラノ在住の気鋭の執筆家である安西さんに「Letters from nowhere 人文知の視点から考える新ラグジュアリーオンラインプログラム」にお声かけいただき、考えるきっかけを頂きました。
安西さんがおっしゃる新・ラグジュアリーとは、超要約するとラグジュアリーの新しい定義は人間性を重視し、責任と倫理を前面に押し出し、ローカルな文化に根差した、サステナビリティを指し、その実践例の一つとして挙げているのはイタリアのウンブリア州にある小さな村・ソロメオを本拠に、地域の歴史と文化に根ざしたモノづくりを行い、創業50年も経っていないにもかかわらず「人間主義的経営の見本」といわれる最高峰のラグジュアリーファッション企業の創業者であるブルネロ・クチネリです。
安西さんはこのソロメオに日本人の方をお連れすると、余計な作為的なものがない美しい自然の風景が広がっているのを感心はしても、「何にもない場所」と感じてしまうのではないかと語っていました。
ソロメオはこの明るい響きをもつumanitàという言葉への感性から広がった村であり、地域に住まう人やクチネリ氏が築き上げた人間の幸福という目には見えないものが価値の源泉だから特別な箱モノがあるわけでもなくわかりやすいシンボルや情報が掲示してあるわけでもないわけです。
世界で圧倒的に成功するラグジュアリーブランドや地域をつくるのに、何が大事なのか。いくら環境に配慮しても立派な大型施設やホテルを新たに建てることは本当の意味でサステナブルなのか、そんなことを考えさせられます。
これからのあらゆるものの価値というのは、究極的には
目にみえる作為的なものは何もない(無)、けれども人間やあらゆる命の幸福はすべてある(有)
ということを人間が感じ取れる状態で作っていかないと、結局は物質的な価値観やお金を尺度にしたままでサステナビリティを追求するという矛盾に生きることになり、ますます幸福とかけ離れていくという難しさをはらんでいるように思います。
またソロメオは旅ではなく、そこで働き、暮らし、実際に生きることではじめて価値を感じる場所であるのかもしれません。個人的にはそういう土地の方がよっぽど明るい未来が待ってる気がします。
いまは分断と孤立の時代と言われますが、家族でなくても家族的なつながりは作れるし、地域住民でなくても地域コミュニティの一員になれるし、何より自然やいろんな地球上の命とつながっていると感じると、人間は絶対的な安心感や自信をもって幸福を感じながら人生を歩めるのではないでしょうか。
豪華で高級だから、有名人が着ていたから、そんなマテリアリズムに満ちた、目にみえる世界の価値でモノがあふれる時代は終了。
食べ物も器も、暮らす家も住まう場所も、身につける服やアクセサリーも、働き方も何もかも、見えない振動を感じとって自分に共振するものを選び取る感性を総動員する、そんな人類のネクストステージがきっとやってくるはず。
すべては自分と素粒子レベルで共振するか、そんな新時代は多分もうすぐそこに。
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