見出し画像

世界への扉

今回はいつもと一味違うコンテンツでお送りします。第一回でご紹介した、日本政府観光局ロンドン事務所長の地主さんによる「旅の話」。在英日本商工会議所会報「てむ〜ず」 第133 号の寄稿記事を、ご本人と媒体に許可をいただいて転載するものになります。国境を超えて旅の仕事をする人になった、地主さんの原点が感じられる、すてきなエッセイです。どうぞ!


「世界への扉」


パリに着いた。


空港を出て、ホテルに到着する頃にはすっかり夜になっていた。

見知らぬ異国の街を歩く緊張感が体をほてらせ、
少し肌寒くなった9月の夜を押しのけていった。

凱旋門のすぐ南の小さなホテルだった。

チェックインを済ませて荷解きをして、
もう一度、旅が始まったことを確かめに外に出た。

クリーム色の外壁に鉄色の帽子を被せた
パリらしい建物がどこまでも並んでいた。

街灯のオレンジが、行儀のよい街並みを異世界のようにした。

人もほとんど歩いていない夜だった。


地下道を抜けて凱旋門を見上げた。
大きく、大きく見えた。
長い旅の入り口を象徴しているようだった。

シャンゼリゼ通りがそこからまっすぐに、
世界を拡げていた。

帰りの地下道で迷いそうになって、
自分だけが帰り道を覚えていたのが少し誇らしかった。

クロワッサンがおいしかった。

朝食のパンとハム、チーズ、ジャムで
こっそりサンドイッチを作って公園で食べた。

どこからかヴァイオリンが聴こえた。

ピカソを見てつくづく変な絵だなと思った。

ヴェルサイユ宮殿の庭園はどこまでも果てしなかった。


パリに着いた。


やはり9月だった。

昼前の北駅にユーロスターが停まる。

初めてパリを見たあの時の自分と同じ歳になった息子と、
妻が一緒だった。

ラグビーW杯でパリは忙しいようだった。

モンマルトルの丘に登った。

坂の途中のジェラートに救われた。

オランジュリー美術館は行列がひどくて諦めた。

ホテルの近くで買ったバゲットサンドを、
セーヌ川の遊覧船でパリの街を見渡しながらみんなで食べた。

ヴェルサイユ宮殿の庭園の端っこを見つけに
どこまでも歩いた。

旅は記憶でできている。


いつかまた行ける旅なんてない。

凱旋門はいつまでも大きかったけれど、
視線はそれを見上げる息子を向いていた。

初めて外国を見た息子の目に
パリはどう映って、何を記憶したのだろうか。

凱旋門の地下道で「どこから来たんだっけ?」と聞いてみると、
自信満々に「こっち!」と言って、
昔の自分とは違う方を選んでいった。

そこにはきっと自分とは違う世界が拡がっている。


旅は記憶でできている。

昔々に地図を眺めたホテルの中庭が忘れられない。

そうしてまた、旅に出たくなるのだと思う。