見えない言葉
写真は青森県立美術館の手すり。
学生時代からずっと訪れたかった美術館は、美術館としてもよかったのですが、それ以上に、この美術館をいかに集中して作品を鑑賞する空間にするか、という、建築家とデザイナーの徹底した空間づくりに非常に感動していました。
今日はそんな素晴らしい空間の中にあった「見えない言葉」についてグッときたので、思ったことを語ろうかと思います。
美術館の設計は青木淳さん、タイポグラフィ、サイン計画は菊池敦己さん、と有名なお二人がこの美術館を設計されました。美術館の近くには誰もが習ったであろう三内丸山遺跡があり、美術館は現代的すぎない、今と過去がちゃんとした空間のように感じました。
この美術館を鑑賞して語るべきことはもっと他にあるはずなのですが、なぜ自分がこの手すりに感動したのかを考えていました。
青森県立美術館のフォントは少し直線的でクセのある造形をしているように僕は感じます。(個人的な見解かもしれません)美術館全体のサインにもこの書体が使用されており、非常に明確でわかりやすい、サイン計画でした。(これまで見てきた美術館の中で一番徹底されていたように感じます)
そのような徹底された美術館の中にあるこの手すりを見て僕にはフォントの造形の延長線上にあるように感じたのです。
一般的な円柱の手すりではなく、細身の四角柱を使い、美術館全体の白にし、空間の中に統一感を非常に感じました。
この手すりの先には目が不自由な方のために点字のシールが貼られておりました。
そのシールも白で統一され一見なにもないように感じ驚きましたが、それ以前に作品を鑑賞する、「見る」ことが多い美術館に視覚障害者の方が来られる、来ることを想定していることにも驚きがありました。
大変失礼な話ではありますが、作品を「見る」ための場所に視覚障害者の方が来ることを想像したことがなかったので、僕はそのことにも、そして手すりの造形にも感動をしました。
もちろん美術館が県立であるために視覚障害者の方が来られてもいいように、点字などが施されているのは、何かの決まりだったかもしれないのですが、僕はその目の見えない方でも来られることにまず驚きがありました。
そして想像してみました。チケットカウンターでチケットを購入し、ここまで来るまでに、エレベータに乗ったり階段を降りたりしたかと思うのですが、僕がここに来て感じたであろう、この美術館のらしさをどこで感じるのだろうと感じました。
白を基調とした空間や、天井の高さ、独特なフォルムをしたフォントなど、視覚障害者の方には、非常に難しいことなのかもしれないなと。
全盲でない方にはぼんやりと明るい空間に見えたり、音の反響具合で広さが想像できたりするのかと思うと共に、そのフォントの延長線のような造形の手すりを頼りに、なぞって歩くということはこの美術館にいる1つの証なのではと考えました。
実際に視覚障害者の方が美術館のフォントは見ることはできなくとも、細い四角柱の手すりはその美術館特有のフォントのように手を通して見えない言葉とし語りかけているのではないと強く感じました。
誰もが感じるであろう美術館に来た、その特別感をすべての人が平等には感じれなくとも、何か違う方法でそれは、語りかけてくれる。
点字だけではない、造形によって語りかけるもう1つの見えない言葉。
見えない言葉の話。