これは不撓不屈っていうかレジリエンスだよね?
お勉強週間となった先週。読書やらなんやら、自分のプロジェクトの下準備やら、結構充実した1週間を過ごすことができた。
しかし週末。久々に頭を使ったせいか自律神経がバグったようで、ひどい目眩とのぼせ症状が発生した。首の後ろが火照り、書こうとするとPC画面がマイムマイム的に動いて見えてたいへん。動悸もある。たまに訪れる更年期症状的なやつだ。(まだアラサーなのに。)
Noteも途中まで書いていたが、投稿できずに4日も空けてしまった。
そんな状況だと、今までの自分の行動パターンとしては、不貞腐れてそのままnoteをやめる率が高い。
しかしここには、なに食わぬ顔で5日ぶりにブログを書いている私がいる。
さて、その心境は?
書かないルートを選んでいた場合
今回の「それでもnoteを書く」/「もうやめた、書かない」の分岐で、前者のルートを選んだわけだが、もし後者のルートを選んでいたらどうなっていただろう。ちょっと想像してみた。
*
更新をしなくなった4日目の夜。ふとんに潜り込みながら、「ああ、今日も更新をせずに終わる……なんという体たらくだ」と頭を抱え、自分に失望する。「見てくれている人になんと思われていることか」と、対してフォロワーもいないくせに、恥ずかしくてたまらない。もうダメだ、いやだ。逃げちゃダメだと思うほど、逃げたい気持ちが膨らむ。
もうnoteのnの字も見たくない。こうなったらヤケだ、全部やめちまえ。ドッグイヤーマークも無理。アプリは消さないけれど、なるべく見えないところに移動。ミントグリーンっぽい色すら視界に入らないようにする。とにかく、逃げて逃げて逃げまくる。
逃げ続けた結果、noteの存在を忘れることはできた。しかし罪悪感は亡霊のごとく、頭のすぐ後ろをぴったりとついて離れない。そんな罪悪感に取り憑かれながらも、新しい目標を決めてリスタートを切る。後ろにいる数多の亡霊たちも見て見ぬふり。まあ仕事じゃないんだし、いいんだ。と言い訳をする。楽しい方だけ、希望がある方だけを見ていこう。なにをやっても成し遂げられないクズだなあ……と心の片隅で自分をバカにしながら。
*
とまあ、そんな感じになるのだろう。
今までよくやっていたので、リアルに想像できる。
今回選んだルートの場合
では今回、「それでもブログを書く」ルートを選んだ私はどうだったか。
*
更新をしなくなった4日目の夜。ふとんに潜り込みながら、「ああ、やっちまったな」と思う。毎日書くって自分に約束をしたわけだから、まずは自分に謝ろう。ごめん。
私の内にあるギャルマインドがひょっこり出てくる。
え? いいよ、逆に2週間以上連続で書けただけでもすごいって。そもそも、そこまで自分に期待しなくていいんだよ。できないのが当たり前。ちょっとずつでも成長できてるわけだし、noteストップしたらもったいなくね〜。しかも体調不良が理由なんでしょ? 自分で自分に根性論振りかざしても意味ないし、とりま早く直しな? 更新遅れたからって怒る人も笑う人もいないから、わら。明日回復したら頑張れ! ご自愛!
え、自分めっちゃいいやつじゃん。
そういえば、本来の目的だって文章を書く能力を高めることだったし、毎日書くことは手段に過ぎないもんな。ブログを書くこと自体も楽しいし、気を取り直して、また明日からスタートしよっと。
*
こんないきさつで、今は楽しくキーボードを叩いている。
困難にぶつかっても立ち上がって乗り越えられたのだ。これを四字熟語でなんというのか。
ググったら、不撓不屈と出た。座右の銘としても人気なのだとか。
うーん。
でもこれ、最近巷でよく使われている心理学用語、レジリエンスの方が近い気がする。日本語だと短くは回復力や復元力と訳されるが、「困難な状況でもしなやかに順応し、立ち直る力」のことだ。
一方でいつもの三省堂の『新明解四字熟語辞典』で不撓不屈の意味を調べて見ると、「強い意志をもって、どんな苦労や困難にもくじけないさま。▽「撓」はたわむ意。転じて、屈すること」とある。
なるほど、レジリエンスはたわんでもバネのように跳ね返れ。不撓不屈はたわむべからず。たわんだ時点で負けらしい。
じゃあもうちょっと、しなやかみも含んだレジリエンス的な四字熟語はあるの? と思って探してみたが、見つからなかった。
不撓不屈は頻出四字熟語だが、今の時代にはフィットしないようだ。
有撓不屈にしてみたらアリかもしれない。