ニートをやれることは豊かさの象徴だ
こんばんは。
ゆです。
ぼくは今、親のスネをかじって生きています。
実家に住み、食費・光熱費・通信費を支払ってもらっている、ほぼニートですね。暇なんでウーバーイーツやって月5万ぐらい稼いでるけど、ほとんど交通費とお菓子代とかに消えてる。
でも、生きていられているんです。
5080問題も叫ばれているけれど、「親のスネをかじることができる」ことや「ニートをやれる」ことは、日本が獲得した豊かさの現れなんじゃないかと思うのです。
ぼく自身、そう思うことによって、「25にもなって親のスネかじるおれめっちゃ情けねえ」という自己否定から抜け出せたのです。まあ今もその火種は胸の内に燻っていますが。割と表面に近いところで。とはいえ、「自己否定によって自分を殺す」負の連鎖への対処は、多少なり上手くなりました。ストレスが大分減りました。
…とまあぼくがこんな悠長なことを言ってられるのは、両親ともに「さっさと家出ろ」とか「ろくでなし」とか暴言を吐いたりちくちく言ったりして来ないからっていうのはあるんですが。
そんなニート生活にも弊害があります。
両親の顔色を伺うようになる
スネをかじらせてもらってる申し訳なさからか、両親の顔色を無意識に、あるいは意識的に伺うようになってしまいました。これはニートの日常生活を過ごす上で、まあまあストレスになってきます。
メリットもあります。家族が規則正しい生活をしているので、それにつられて自分の生活リズムも良くなっていることです。
また、「両親は先に死ぬし、顔色伺うのも疲れるしこのままでいいんだろうか?」という不安はずっと付きまとってきます。
誰かに迷惑をかけても生きていきたいと思っていますが、生活をやっていく上で「ニート」はどうも心許ない。何をしていけばいいのかなー
今後の課題です。
じゃあ、ダラダラYouTube見ます。
またねー
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