母の寝室は僕のギャルゲー部屋でした
僕の中学校時代は卓球漬けの毎日だった。過去を振り返ってなんとか卓球以外の思い出はなかったか?と脳みそをネジネジさせてみた結果、もう一つの青春を思い出した。これは小学校6年生から中学に入ってすぐくらいまでの短い間に駆け抜けた青春の思い出だ。
僕のもう一つの青春は兄の部屋に潜んでいた。
当時というか、生まれてからずっと僕はお兄ちゃんっ子でよく真似ばかりしていた。兄の所持しているものは如何なるモノでも興味があった。
それは引き出しに隠すようにしまっていたギャルゲー(恋愛シミュレーションゲーム)も然りである。
僕は鍵っ子だった。友達と遊ぶ予定も入れずに学校からまっすぐ帰れば、家の全てを自由にしていい最強の時間を手に入れることができた。僕はそのエンペラータイムと呼ぶにふさわしい時間を利用して、兄の部屋に侵入し、コソコソとギャルゲーをプレイしていたのだ。
母はパートに出かけている。兄は部活か習い事に行っている。それは事前に分かっているので、帰ってくることはない。だからこそギャルゲーをプレイできるのだが、何かしらの理由で母も兄も早めに予定より帰ってくる可能性はある。だからプレイ中は常にドキドキしている。これが美少女キャラクターのセリフに対してのドキドキなのか、コソコソとギャルゲーをプレイする背徳感から来るドキドキなのか、もう僕には判断できなかった。とにかく早く帰ってギャルゲーの続きがしたい。この時期の僕はそんなことばかり考えていた。
プレイステーションにディスクをセットしたらもう逃げられない。
なぜなら、兄の部屋は玄関のすぐ横にあり、僕がプレイステーションをやるための部屋は玄関から1番遠い部屋だったからだ。そこは母の寝室兼リビング的な部屋だった。
つまり、この時点で兄が帰って来たとして、ディスクを取り出しケースにしまって、兄の部屋に向かって引き出しに戻す。この一連の流れを1秒で終わらせなければならない。僕にもしこの流れを可能にするスピードが備わっていたのならば、今すぐギャルゲーをやめて陸上をやる。そうすればリアルでモテる。
という訳で、僕は気になるキャラクターの攻略に夢中になりながらも、背中に意識を集中させ、常に中腰でギャルゲーをプレイしていた。もちろんイヤフォンは片耳だけにはめて、もう片方は少しの物音も聞き漏らさないように注意していた。
余談になるのだが、今思えば、僕のマルチタスクを多用してしまう癖はこのときに定着したのかもしれない。一つのことにしっかり集中した方が良いときにも他のことが気になって、マルチタスクの癖を恨んだことは何度もあった。それが腑に落ちた。息子の教育の参考にしよう。もし小学生でギャルゲーをプレイしそうになったら絶対に止めさせなけばならない。いや、やるなら堂々とやれ、と言って家のリビングで家族に囲まれながら美少女を攻略させるのも良いかもしれない。それなら目の前のことに集中する癖が付くだろう。
しかし、残念ながら当時の僕にそんな独自のギャルゲー論を持ち合わせている親は存在しなかった。だから兄もソフトを隠していたのだ。引き出しの奥の方に置くだけではなく、さらにその上にカムフラージュになるようなゲームソフトを被せていたのだ。まぁ、兄のストーカーである僕には通用しなかった訳だが。
そんなこんなで引き続きギャルゲーをプレイしていた。しかし、僕の攻略を邪魔をする最大の敵に出会ってしまった。
それは、誰もいないシーンとした部屋なのに、いきなり「パキッ」と鳴るアレだ。僕はあれが大嫌いだった。こちとらギャルゲーをプレイしてるんだ。しかも兄の秘蔵のギャルゲーを母の寝室でこっそりプレイするという状況だ。物音だけはホントに勘弁してほしい。
部屋が「パキッ」と鳴るたびに僕はビクゥゥ!となってプレイステーションの電源を切る。もちろんセーブなんてしてないから攻略はやり直しだ。
何度か部屋の「パキッ」を繰り返したところで、これは埒があかないと判断して、僕は部屋の調査をすることにした。このままでは青い髪の格闘少女の攻略を終わらせることはできない。僕は、一度ギャルゲーのプレイを止めて、ジーーッっと部屋の真ん中で耳を澄ませた状態で待機した。このときの僕の耳はある種ゾーンに入っていたような気がする。
「シーン⋯⋯」
「⋯⋯」
「パキ」
鳴った。それほど大きいパキではなかった。しかし、僕は1発で容疑者を特定することに成功した。
それはベランダの窓枠だった。
僕は窓枠に耳を近づけて、またジーーッっと耳を澄ませた状態で待機した。
「シーン⋯⋯」
「⋯⋯」
「パキ」
「こいつだっ!」僕は窓枠に指を差して叫んだ。
ギャルゲー部屋もとい母の寝室はベランダと連結した部屋だった。マンションの築年数は古く、木で作られた窓枠は外気の湿気に左右され膨張収縮を繰り返し軋んでしまう。それが「パキ」の正体だったのだ。
ちなみに今ならグーグルを使えば一瞬で判明する。
この犯人特定の功績は大きかった。次のプレイから「パキッ」に全くビビらなくなったのだ。これで少しは余裕を持ってギャルゲーをプレイできる⋯⋯、と思ったら大間違いだ。
神は小学生がギャルゲーをプレイすることを許してはいなかった。
兄が急に帰ってきた。
ドドドドドド
僕の心臓は地響きを鳴らすほどのうねりをあげた。
少し気が緩んでいたこともあり、初速が遅れてしまった。
僕にできたのは、プレイステーションとテレビの電源を落とし、PSソフトのケースを隠すことが精一杯だった。
そして、僕はとんでもない失態を犯したことに気づく。
やばい。プレイステーションにディスクが入ったままだ。
こんなのが見つかったら一発でアウトだろう。このままプレイステーションごとぶっ壊したい衝動に駆られたが、バクバクとなる心臓を押さえつけて何とか次の作戦を考えた。
まず大事なのは兄を母の寝室に入れないこと。これは簡単だ。兄はほとんどの時間を自分の部屋で過ごすので、寝室には元々近づかない。
あとは兄の行動を横目で監視しながら、トイレに行くまでべったり張り付く。トイレに行ったら最速で兄の部屋に侵入しギャルゲーソフトを元に戻す。
これが僕の考えた最良の作戦だった。ゲームの話題も禁止だ。万が一兄が「プレイステーションをやりたい」など言い出したらアウトだ。
そんな僕の心配は杞憂に終わった。
当時、僕ら兄弟のブームだった「彼氏彼女の事情(単行本)」の話題で盛りあげようと思ったのだが、あっけなく兄がトイレに行ったのだ。
僕は全細胞を活性化させてギャルゲー部屋(母の寝室)に向かう。プレイステーションからディスクを取り出しケースにセットする。そして兄の部屋に侵入して元に位置に設置完了。また母の寝室に戻って自分のメモリーカードを回収する。メモリーカードには思いっきりギャルゲーのデータが入っているて覗こうと思えばすぐに覗くことができる。残しておくのは大変危険な行為なのだ。
そして何気ない顔をしてテレビをつけ、何の興味もない番組を無表情で視聴した。
この胸がドキドキしっぱなしの思い出は僕の青春と言っても差し支えないだろう。
ストーリーの攻略が終わるまでの短い間に駆け抜けた青春。
まさに部屋と部屋の短い間を駆け抜けた青春でもあった。