見出し画像

一日一頁:高階秀爾『エラスムス 戦う人文主義者』筑摩書房、2024年。



あらゆる極端と形式を排し、人間のために戦ったエラスムスの軌跡を、昨年逝去した碩学の筆で学ぶという至福を新年より味わっている。

エラスムスのすがたにオーウェルの姿を見出すのは私ひとりではないだろう、と思う。

 一五二八年には、彼のラテン語が野蛮だという非難に対して、「キケロ派』という痛烈な論争文を発表しているが、それはキケロの使った言葉だけを後生大事に守り続ける人びとに対して、単にその外形ではなくて精神を受け継いで、生きたラテン語を創り出すことが大切だという主旨のものである。このような考え方そのものは、信仰における場合の彼の態度と同じものであるが、その奥に私は、言葉のなかに生きた生命を復活させることによって、同じ言葉で結ばれた人びとの生きた共同体を作り出したいという、ひそかな願望のようなものを感じないわけにはいかない。
 いわば彼は、言葉をとおして自分の故郷を手に入れようとしたのである。おそらく、彼があれほどまで進んで多くの人びとに議論を挑んだのも、そのような共同体のなかにおいては、論争すら、心を通じ合う手段であったからに違いない。エラスムスのその意図が、実際にどこまで実現できたかは疑わしい。彼自身、論争においては決して相手を徹底的に傷つけないよう気を遣っていると語っているが、あまりにも鋭い彼の攻撃は、しばしば相手に取り返しのつかない致命傷を与えた。だが彼の方でも、あり余るほどの才気を駆使しながら、必死になって人間的なつながりを求めていたのである。
 エラスムスの波瀾多い生産がわれわれに今でもなお強く訴えて来るものがあるとすれば、それは、理性的なもののみによって人間同士の心のつながりを作り出そうとするひとりの男の苦悶の歴史が、そこにまざまざと読み取れるからにほかならない。

高階秀爾『エラスムス 戦う人文主義者』筑摩書房、2024年、211 - 212頁。

いいなと思ったら応援しよう!

氏家 法雄 ujike.norio
氏家法雄/独立研究者(組織神学/宗教学)。最近、地域再生の仕事にデビューしました。