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一日一頁:高史明『生きることの意味 ある少年のおいたち』ちくま文庫、1989年。

読み終えた。人が学ぶ意味はここにある。

時間がなくても1日1頁でも読まないことには進まない。

 わたしが、いかめしい父の姿に隠されている、人のやさしさを理解するようになったのは、混沌から出発して、この生きることの意味を自分で探求しはじめてからのことでした。この意味では、わたしの生きることの意味の探求は、人のやさしさを探求していく歩みであったともいえるでしょう。
 わたしは、このやさしいということばが好きです。やさしさとは漢字で書きますと、人を憂えると書きます。人の世の創造的ですばらしい関係は、なによりもまず、人が人を憂えることからはじまるといえるでしょう。また、やさしさとは、考えようによっては、戦後はじめて自由につかえるようになった、民主主義ということばに置きかえることもできます。わたしが、父のやさしさとともに阪井石三先生のやさしさを、やさしさと発見するようになったのは、この探求のおかげでした。
 いま、この発見は、わたしにとって、深い力になっています。たしかに、人のやさしさこそは、人間を生かしていくほんとうの力になるものだといえます。わたしは、これからもなお、生きることの意味を探求しつづけてゆき、他の人たちの探求に学びながら、その意味を深めてゆきたいと思っています。

高史明『生きることの意味 ある少年のおいたち』ちくま文庫、1989年、239頁。

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氏家 法雄 ujike.norio
氏家法雄/独立研究者(組織神学/宗教学)。最近、地域再生の仕事にデビューしました。