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一日一頁:内田樹編『転換期を生きるきみたちへ』晶文社、2016年。


平田オリザさんを引証するまでもない話だが、わからない、あるいはもっと知りたいからこそコミュニケーションは成立する。そしてそこに理解が発生する。気軽に分かったとか、知っているという言い方を退ける柔軟さをいつまでも持ち合わせたい。

 誤解している人が多いと思いますけれど、「わかった」というのはあまりコミュニケーションの場において望ましい展開ではないんです。だって、そうでしょ。親とか先生から、「お前が言いたいことはよくわかった」ときっぱり言われると、ちょっと傷つくでしょ。
 だって、それは「だからもう黙れ」という意味だから。
 ふつう人を好きになったときに、相手から一番聴きたい言葉は何ですか?「あなたのことを完全に理解した」ですか。まさかね。そんなこと言われてうれしいわけがない。だって、それは「だから、あなたにはもう会う必要がない。あなたの話を聴く必要もない」ということを含意しているわけですから。
 人を好きになったとき、その人の口から僕たちが一番聴きたい言葉は「あなたのことをもっと知りたい」でしょ。誰が考えたって、そうですよ。
 でも、「あなたのことをもっと知りたい」というのは、言い換えれば「あなたのことが現時点ではよくわからない」ということです。よくわからないからもっと知りたい。ちょっとだけわかったけれど、まだまだわからないところが多い。だから、「もっと知りたい」と思う。

内田街「身体に訊く一言葉を伝えるとはどういうことか」、内田樹編『転換期を生きるきみたちへ』晶文社、2016年、37-38頁。

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氏家 法雄 ujike.norio
氏家法雄/独立研究者(組織神学/宗教学)。最近、地域再生の仕事にデビューしました。