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一日一頁:佐藤大介 『中高生から考える死刑制度』かもがわ出版、2024年。
「意見がかみ合わないまま、多くの人は考えるのをやめてしまう」のは何故か?
「死刑制度に関する情報の大部分が公開されておらず、考えるにも判断材料がきわめて乏しい」からだ。声高に気炎を上げる前に紐解きたい好著。
ただ、死刑制度とは国家が人の命を奪うことを公的に認めている制度である、ということは客観的な事実です。過去の大戦や、現在も世界各地で起きている戦争や紛争を引き合いに出すまでもなく、人類は「人が人を殺す」という幾多の悲惨な歴史を繰り返してきました。その反省のうえに、人が人を殺すことを減らすという理想に向けて、国際社会や多くの人たちが努力を積み重ねてきました。
そうした理想に向かう努力は、国家間の争いであっても、人と人とのいさかいであって同じことだと思います。その点から考えると、死刑制度も「人が人を殺す」という行為であり、国家としてこの制度を続けているのであれば、主権者である私たちも、その行為に加わっているといえます。死刑制度の賛否を考えるにあたって、「当事者意識」を少しでも持つことが重要ではないでしょうか。
しかし、そのような当事者意識を持つのは、とても難しいことだと思います。なぜなら、日本では死刑囚の日常や死刑執行の実態など、死刑制度に関する情報の大部分が公開されておらず、考えるにも判断材料がきわめて乏しいからです。その中では、死刑制度の賛否を判断するには感情や価値観に基づかざるを得ず、両者の意見がかみ合わないまま、多くの人は考えるのをやめてしまうのが現状だと思います。
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