【253】「ファビオ・ルイージ殺人事件」ブルックナーの交響曲第8番初稿の演奏について 2024.11.3
1 初めに言っておくこと:酷評します。
最初に言って置きますが、ファビオ・ルイージさん指揮N響のブルックナーの交響曲第8番初稿の演奏について酷評します。
私はこれまで演奏を悪く書くことはしてきませんでした。
気に入らなければ、黙っていればいいだけで、それを気に入る人も多いのに悪口を書いて気分を悪くさせる必要などないとおもうからです。
ただ、今回は、今日、次の記事に書く予定のブロムシュテットさんのブルックナーの9番の名演を聴いてしまったことで、ルイージさんの演奏について書かざるを得ない想いにさせられ、書けば酷評にならざるを得なかったという事なのです。
といっても、これはあくまで私個人の感想に過ぎません。
ネットで少し調べてみましたが、高評価している記事の方が多そうでしたので、この演奏を素晴らしいと思った方、ルイージファンの方はご安心ください。この記事はたわ言と切り捨ててご寛恕をお願いいたします。
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2 楽しみにしていたファビオ・ルイージさんのブルックナー8番の初稿の演奏
先日10月20日に、ファビオ・ルイージさんが9月15日にNHKホールでN響を振ってブルックナー交響曲第8番初稿の演奏をした際の映像がNHKで放映されました。
ブルックナーファンを自認する私としては今まで演奏されることのほとんどなかった8番の初稿と聞いては気にならずにはいられません。
当夜はテレビの前に椅子を据えて、部屋を暗くしてコンサート会場にいる雰囲気にして、すごく期待しながら開演を待ったのでした。
第1楽章は違う所を探しながら、まずまず面白く聴けました。
けれど第2楽章に入ると長くて長くて、もう終わるかと思うと何か知らない緩い部分が始まって、いつまで経っても終わらない。
あれはあの奇怪なリズムで駆け抜ける第2稿の方がいいなと思いました。
3 第3楽章で事件が起きた:ファビオ・ルイージ殺人事件
そして第3楽章で事件は起こります。
第2楽章の後半時点で少し眠くなり始めていたのですが、第3楽章はルイジさんが初稿の素晴らしさを熱く語っていたので気を取り直して新たな気持ちで聴き始めました。
けれど、あまり感動はすることなく、中半過ぎたあたりから眠くて眠くてたまらなくなり、うつらうつら船を漕ぎ始めたのです。
そしてハッと目覚めた時、体が左に大きく傾いていて、アッ落ちると思った瞬間には椅子から転げ落ちてフローリングにドーンと激突していたのです。
「おお痛てえ!!!」
やばい、どこかやってしまったかと、恐る恐る起き上がって体を動かしてみたところ、最後の瞬間になんとか左手をついて庇ったせいか、どこにも異常はなくホっとしましたが、驚いたというより、この間抜けな事態には自分で自分に呆れはてました。
それにしてもですよ、私が転げ落ちたときに頭でもぶつけていて、次の朝に冷たくなって発見されたとします。
その時死因はどういうことになるのでしょうね。
心臓麻痺とかですかね。
まさか指揮に退屈して居眠りした。
真犯人はルイージさんだったとは、名探偵コナン君でもわからないかもです。
日常のどこに危険が潜んでいるか、油断はなりません。
その後は安全のため椅子はやめて、床に座って最後まで見ましたが、フィナーレも今一つ盛り上がりにかけるまま終わってしまいました。
むしろその後に放映されたブロムシュテットさんの演奏によるブルックナーの3番がよかったです。
指揮のうまさに感心しました。
指揮を見ているだけでどんな音楽が引き出されるのが解るという感じで流石にルイジさんより一枚も二枚も上だなと思いました。
次回いつだったかにブロムシュテットさんのブルックナーを放送するとか言っていたので見てみたいと思いました。
4 なぜ居眠りしてしまったのか?
後で、ブルックナー8番を聴きながら居眠りするなんて、どうしたことだったのだろうかということを考えてみました。
1)稿の問題
聴いたことない不慣れな初稿であったことも大きかったとは思います。
待っているフレーズがなかなか出てこす、遠回りしたり、無くなっていたりでストレスが徐々に溜まっていったということもあったと思います。
2)指揮の問題
ルイージ氏の指揮は初めて聴きましたが、自然な雄大な起伏を作り出すことに成功していないという点でブルックナーの音楽には向いていないのではないかと感じました。
3)オーケストラの問題
N響の演奏からはブルックナーの音楽に対する共感とか愛情というものが伝わって来ませんでした。
また指揮者に対する敬愛というものも感じられませんでした。
言われたから言われたとおり真面目にやっているという感じで、自発的な沸き立つような音楽する歓びというものが感じられませんでした。
見ていて、オーケストラの楽員は自分が好きではない曲を演奏しろと言われることもあるのだろうな、そういう時一体どのように自分の気持ちに折り合いをつけて演奏しているのだろう、なんて余計なことを考えてしまったのでした。
4)宗教性の問題
ブルックナーの曲は単なる音楽ではなく、信仰:神への祈り、であるという側面は切り離せないものだと感じます。
私自身はキリスト者ではありませんが、日本の神も含め大いなるもの存在をどこかしら感じてはいるような気がしています。
ヨーロッパのオーケストラでブルックナーを聴くときに感じる、楽員の血肉となった宗教性、ブルックナーの交響曲を聴いているときにふとした瞬間に立ち現れハッとさせる神の啓示のような瞬間、そうしたものがこの演奏には無かったのです。
5 再確認
ルイージさんの演奏が私の心を打たなかったことが、その後すごく気になっていました。
最初に書いたように、ネットでのこの演奏について書かれている記事を少し調べてみたりしましたが、N響の響きが素晴らしく美しくて感動した、とか高評価する声が意外に多かったことが気になり、自分の感性がおかしくなっていたのではないかという疑いが拭えなかったのです。
そこで約一週間後に、録画しておいたビデオをもう一度聴き直してみたのです。
2度目なので、前回よりは落ち着いて見通しよく聴くことができ、第一楽章は面白く聴けました。
しかしやはり第2章の中盤から眠くなり始め、第3楽章の途中で居眠りしてしまって起きたらもう第4楽章に入っていた、第4楽章のフィナーレもやはり冴えないというのは前回と全く同じパターンとなり、今回は最初から床のクッションに座っていたので落ちることはありませんでしたが、それ以外については前回の再現となりました。
6 ブロムシュテットさんの畢生の名演に接しての想い
11月3日の夜にNHKで放映されたブロムシュテットさんの演奏に接した時に確信しました。
ルイージさんの演奏についての私の評価は間違っていなかったと。
それがどういうことなのか、ブロムシュテットさんの演奏がどのようなものだったか、については次回のノートに書きますので、是非引き続きその記事も読んでください。
7 補足:ルイージさんのブルックナー8番初稿トーンキュンストラー管との演奏がとてもよかったこと
ルイージさんの名誉のために、先にこれだけは書いておきます。
ルイージさんは、この8番の初稿を気に入っていて何度も演奏されているようなのです。
次のNOTE:ブロムシュテットさんの記事 を書き終えた後で、気になって、ルイージさんの8番初稿の演奏を探して聴いてみました。
下は、ファビオ・ルイージ指揮 ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団 2022年8月19日 グラフェネッグ(オーストリア)、ヴォルケントゥルムにて収録の8番初稿の演奏です。
驚いたことに、この演奏がとてもよかったのです。
ちょっとだけ聴いてみた所、ちゃんとブルックナーの音がしていて、自然で雄大な起伏があるのです。
ルイージさんへの評価、稿の問題への評価について結論を出すのは早すぎたようです。
この問題は、後日、改めてこの演奏をゆっくり聞いた後で論じさせていただこうと思います。
ブルックナーは奥深いですね。 その節はまたよろしくお付き合いください。
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