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【175】「お月さまいくつ」十四夜のお月様 2023.10.28

1 お月さまいくつの話

 昨日28日は東京に出かけていました。
 20時頃に帰ってきて駅から家に車で帰る途中、十四夜のお月様は煌々と明るく輝やいていて、あんまり綺麗だったので、車を停めて撮影しながらしばらく眺めていました。

 お月つきさまいくつ。
 十三(じふさん)七(ななつ)。
 まだ年(とし)や若(わか)いな。

 こんな童謡をご存じですか。
 北原白秋さんの作だそうです。

 昔、まだ小さかった頃、父に負んぶされてお月様を見たときに、嬉しくて、この歌を背中で歌いました。

 お月つきさまいくつ。
 十三(じふさん)七(ななつ)。
 まだ父さん(とうさん)若(わか)いな。

 私は知らずに歌っていましたが、父がとても気をよくしてご機嫌だったことを思い出しました。

 父の背中、広くて大きく安心できました。あんな風に安心して人にすがることのできたときが今さらながら懐かしいですね。

 この歌が気になってユーチューブでさがしてみました。
 すると、沢山出てきたのですが、みな私の憶えている節回しと違うのです。
 
その中で見つけたのがこれでした。

有った! 私が知っているのは、この節回しでした。

そしてもう一つ、このSPレコードの後半に入っている子守歌

 ぼうやはよいこだねんねしな・・・

これは母がいつも歌ってくれた子守歌で、その節回しなのでした。

子供の頃、家にはSPの蓄音機がありました。
もしかしたら、このレコードが家にあったのかもしれない?
そんな懐かしい思い出が呼び起こされたのでした。

2 子守歌 ぼうやはよいこだ・・・の謎

 けれど、一つ謎が出てきたのです。
 ネットで調べてみるとこの子守歌は普通は、

 ねんねんころりよ おころりよ
 坊やはよい子だ ねんねしな
 ぼうやのお守りは どこへいった
 あの山越えて 里へいった
 里のみやげに なにもろた
 でんでん太鼓に しょうの笛


となっていて、最初に
ねんねんころりよ おころりよ
という歌詞がつくのです。

それなのに、このレコードでは、いきなり 坊やはよい子だ ではじまっており、最後まで ねんねんころりよ の歌詞は出てこないのです。

母は、ぼうやはよいこだ で歌い始めていたような気もするし、 ねんねんころりよ を付けていたような気し、聴いている方は眠い最中のことですからどちらだったかはっきり思い出せないのです。

いずれにしても、このSPの録音で、父の思い出、母の思い出が懐かしく蘇りました。

3 月と木星と雲の海原と

 その時撮影した写真を載せます。

 お月さまの左下に見える金色の明るい星は木星です。 

雲に深い穴が開いてその底にお月様が覗いています
月と木星と

 月の撮影は難しいです。
 月が周りの雲などに比べて明るすぎるのです。
 月の表面の模様が写るくらいに絞ると雲は全く映らないし、雲が写る様に明るくすると月は真っ白な球にしか映りません。
 どちらも違和感なく見えてしまう人間の眼というか脳の処理は凄いと思います。

余談 山中鹿之助の話

 子供の頃家には本が溢れていました。その中には立川文庫だったのかな、少年向けの講談の本などもたくさんあり、愛読しました。

 一休さん、水戸黄門漫遊記、大久保彦左衛門、豊臣秀吉、荒木又右衛門、曾呂利新左衛門、後藤又兵衛、真田幸村、猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道、柳生十兵衛、塚原卜伝、塙団右衛門、岩見重太郎、木村長門守重成、雷電 爲右エ門、堀部安兵衛、関口弥太郎、左甚五郎、寛永武術御前試合、上泉伊勢守等々

 こうしてみると、よく読んだものです。
 最近はやりの戦国武将や豪傑など、みな講談で覚えました。

 関ヶ原の合戦の前は、信長や秀吉の天下統一の際に浪々の身となった豪傑たちが沢山いて諸国を浪々していたわけですが、講談の世界では、そんな豪傑の中でトップはなんといっても 後藤 又兵衛 でした。
 ほかの豪傑たちも、それぞれが主役の講談の中では無敵の大暴れをしている訳ですが、同時代のことですから、その中でお互いにであうことがあるのです。その時、どちらが上かというのは、自分の本では自分が強く、他人の本ではそっちが強いように書いてあったりで、どちらともあいまいなのですが、後藤又兵衛に出会ったときだけは、必ず相手が「後藤の兄貴」と一目置くのです。これは例外のないお決まりでしたね。

 あの黒田節の中の日本一の槍は、最終的には後藤又兵衛が持つことになるのです。そのいきさつというのが面白いでのですが、それは別稿にいたしましょう。

 余談の本題に戻ると、子供の頃に読んだこんな講談の中には、尼子十勇士の筆頭、山中鹿之助の話もあったことを思い出したのです。

 鹿之助は智謀と剛勇を兼ね備え、終生、主家尼子家のために尽くし、毛利によって滅ぼされた尼子家野再興を目指して一度は再興に成功するのですが、最後には強大な敵毛利との戦いで力尽き、捉えられ処刑されてしまうのです。

 鹿之助は、月天子を信奉していたと言われ、三日月の前立てに、鹿の角の脇立てをつけた冑を身につけた美男子であったというので、その忠勇と悲劇性もあって、最近の人気武将ランキングでは常に上位にランクされる存在になっているようです。
 
 その鹿之助が、主家の再興を目指しているとき、月に向かって

「嗚呼、月天子様。願わくば我に七難八苦を与えたまえ!」

と祈ったという話は有名ですが、願い通りに彼は艱難辛苦の末に磔になって死んでしまいます。

「月に代わって、お仕置きよ!」

どころではありませんね。



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