2024.09.27
大学進学とともに18歳でひとり暮らしを始めてからずっと自炊をしてきた。一人で外食したり、惣菜を買って帰ることはめったにない。友人や母からは自分で作って偉いねとよく褒められるし、少ないお給料の中で家計をやりくりするには必要なことだった。だから私にとってはちょっとした誇りだった。家庭的で頑張っているという自負があった。
それなのに最近、その約12年にも及ぶ「自炊」はあくまで「自ら自分の分の炊事をすること」であって、れっきとした「料理」ではないことに気づいた。ショックだった。
「だってそもそも、節約、速さ、健康、この3つのことしか考えてなかったもん!」ずっと言い訳してしまう。自炊してると言っていたが、焼くか煮るかレンジでチンするかして火を通して素材のまま食べることが多かった。時たま、手の込んだスパイスカレーや特別な料理を作ることはあったが、完全にレシピ通りにすることは少なかったし、そうしなくても私はおいしかったからそれでよかった。だがいざ他人に料理を振る舞うとなったとき、緊張と動揺が私を襲った。本当にこれが美味しいのか?自信がなくなった。そういえば私はよく人から「変わった味の食べ物好きだよね」と言われる。とにかく自信がなくなった。
だから毎回私の家で私が用意した夕食を食べるときは入念に準備した。今まで感覚で料理していたのに、一度レシピ通りに作って美味しいか確認済みの料理しか作れなくなった。
「僕は本当に美味しいときしか美味しいって言わないから、ははは」って初回に言われてから、これまで焼いたナスにしか「美味しい」って言われていない。焼いたナスに醤油と鰹節、あるいはすりおろし生姜をかけただけの一品。だんだん泣きそうになりながら腹が立ってくる。「美味しかったよ」の言葉だけでなく「ありがとう」も言わないし、食べ終わっても絶対に食器を洗ったりはしない。だから私は硬い意志を決め込んでいる、今度京都に遊びに行くときは絶対にお財布を出さないぞ、と。こんなことでバランスをトントンにしようとしていることには正直嫌気が差すし本望ではないが、仕方がないのだ。そっちがそうならそういうことにしてこっちはこうしないとやっていけないのだ。私は美味しい手料理をふるまえるお母さんになりたいけど働き駒になりたくない。ただ労いの言葉が貰えればそれで済む話なんだけど。
言葉の効力って凄いんだよ。私も自分の感情の赴くままに言葉を発するだけでなく、相手を上手くコントロールするような言葉の使い方をしたいと、こういうときよく思い知らされる。言葉巧みに。学んだ経験を活かしたい。
そんなことはさておき、手応えのあった献立。
・きのこと鮭の炊き込みごはん(炊き込みごはん作ったら味が薄かったので焼いた塩鮭を混ぜ込んで結果オーライ)(めちゃくちゃおかわりしてた)(鮭の皮はいらないらしい。私は皮と身の間が一番美味しいと思うのに!)
・焼きナス(安定の3度目の登場)
・山芋とネギのお味噌汁(山芋はホクホクして美味しかったのにノーコメントだったからこれが山芋だと気づかれてない説)
・だし巻きたまご(ぷるぷるだ~ってテンション上がってたのに「おいしい」は出ませんでしたね)(すごい速さで食べたから美味しかったんだと思う)(実際おいしかった)
最近思ったけど、もう気恥ずかしくて「おいしい」とか「ありがとう」とか言えなくなってるんじゃない?ウケる。私も言葉足らずなところがあるからちゃんと表現しないといけないね。
明日はお母さんがくれた冷凍のマッシュポテトを使って「アッシパルマンティエ」を作るよ。まだ声に出して発音したことない単語だ。
先に作ったミートソースの時点でもう美味しい。作るか迷ってたけどスーパーでカレー用牛肉が40%オフになってたからより背中を押された感じだな。さんきゅ
作ったことないオシャレ料理作ったとき、慣れてないから献立めちゃくちゃ悩む。
バゲット(ガーリックトースト)豆ときゅうりと胸肉とレタスのサラダ(おいしそうなバジルドレッシング)
オニオンスープ
でいいかな?エンゲル係数高くて破産しそう。
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