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かなしくなったときは



朝早いうちに目が覚め、暇をしていた。

そうだ、海を見に行こう。そうしよう。

寒い日々の太陽はお寝坊さん。
朝日に照らされた家屋、道端に咲いた花、屋根の下にぶら下がった風鈴、横断歩道の先で話す女性たち、その足元で舌を出している犬。街を、朝が口付けをしては夜が包み込む。あなたたちをもちろんのこと愛している。良いものをたくさん見せてもらったし、これはこれでもう、良いのかもしれない。とも思う。

おおよそ一ヶ月ぶりに近所の野良猫に会う。おじいちゃんが餌をあげている。淡々と食べる猫を見ながら、おじいちゃんと少し立ち話をする。どうやら最近見かけないのは、道路の向こうの空き地で遊んでいるかららしい。

おじいちゃんと猫と別れ、駅に向かう。
そうだ、海に行くなら昔のバイト先にも寄ろう。卒業と同時に辞めたバイト先の裏の方は、少し歩けば海が見える場所だった。海が近いのもそこを選んだ理由のひとつ。しかし実際には、毎日へとへとで、帰りに海を見に行くことはあまりなかった。
まぁ、そんなもんよな。

数回は自分で見に行った。あともう1人と、何回か一緒に海を見に行った。色々話したし、色々分かり合えたはずだった。難解な私でも理解しようとしてくれた。感謝してもしきれないほどには優しくしてもらった。
けれど結局は、もう2度とその人と会わないだろう。

どんな結末を迎えさせればいいのか、わからなくなってしまった。わかるも何も、辿るべき運命を辿ったまでに過ぎないかもしれないが。
創作するのも、シナリオを書くのも苦手なんだ。

バイト先では、顔見知りが3人いた。挨拶を交わし、笑顔を見るとなんだか懐かしくなった。「元気?」と聞かれて、満面の笑みで「元気ですよ〜元気じゃなかったら顔を見せに来ませんから!」と返した。
その場が丸く収まるのなら、平然と嘘をつく、今日この頃。嘘というのは、つけばつくほど上手くなる。しかし、傷つけるくらいなら、私は私が思う優しい嘘をつきつづけると思う。
立ち話を少ししたら、次のお客さんが来たので、少し多めに入れてもらったカフェラテを持ってさっさと退散した。

海まで歩き、それを目にした瞬間、海を見に来たんだ、と改めて腑に落ちた。

海の表面。反対側の世界を映し出す部分と影の部分と空白の部分。それが交互に混ざり合い、絶え間なく揺蕩うのが、綺麗だと思った。

海を埋めてできた土地なので、風景は都市的で、海の向こう側まで一望できる訳ではない。砂浜ももちろんない。故郷にあるこぢんまりとした海は、砂浜は残っているが、交通の便利上、海湾の左と右を橋で繋いだおかげで、もう向こう側が見れない。もうあの海を入口にして逃げることはできない。

腰を下ろし、改めて正面に海を据える。イヤホンではちょうど「人生のメリーゴーランド」が流れ出す。

澄んだ空気、雲ひとつない青い秋の空、足元の赤い落ち葉、目の前には揺らぐ海。人生はめくりめく。

文字を打っているスマホの上に、いつの間にか木漏れ日が差している。太陽の位置が来たときよりだいぶ傾いている。ここはもう暫くすれば日陰ではなくなる。カフェラテももう暖かさを失い、下に溜まった砂糖の甘みが口に残る。

そろそろ行こう。

結局君とも、どう選択しようが、ああなるしかない。出会ったときから結末は決まっていた。運命とは、選択をしているようでいて、実際には台本通り進めているだけ。ふたりでいようがなんだろうが、人は真の意味ではどうしようもなく「ひとり」なんだ。
運命を受け入れた瞬間、人は、すべての苦しみ、痛みから解放されるべきはずなのに、生身の人間として生きている以上、運命そのものが帯びる悲しみからは逃れられないのかもしれない。

かなしくなったときは
海を見にゆく

古本屋のかえりも
海を見にゆく

あなたが病気なら
海を見にゆく

こころ貧しい朝も
海を見にゆく

ああ 海よ
大きな肩とひろい胸よ

おまえはもっとかなしい
おまえのかなしみに
わたしの生活は
洗われる

どんなつらい朝も
どんなむごい夜も
いつかは終わる

人生はいつか終わるが
海だけは終わらないのだ

かなしくなったときは
海を見にゆく

ひとりぼっちの夜も
海を見にゆく

寺山修司「かなしくなったときは」


2023.10.27 星期五 晴れ


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