【旅日記】東京2024秋|3.折坂悠太・呪文ツアー 〈 LINE CUBE SHIBUYA 10/17 〉
あなたがくれた、とっておきの呪文
この旅の大きな目的というか、そもそもこのライブを観たくて決めた東京行きだった。LINE CUBE SHIBUYAはわたしの地元からは遠く、行きやすい会場とはいえなかったけれど、タイミングや流れに任せていたらいつの間にか東京に来ることになってしまった。
なんせ東京自体も久しぶりで、LINE CUBEは初めて。渋谷公会堂だった頃は何度か来たと思う。
開場前、列に並んで幾人かの友人にLINEをした。「来たよー!」。撮ったばかりの外観写真をつけて。開場までにばらばらと返事が来た。「いよいよだねー」「楽しんできてね!」。優しい人々の言葉が、ひとり旅の体に沁みる。
ホール内は思っていたよりも広かった。すでに音楽が流れていて、アンビエントがメインの穏やかなものが多い。わたしの席を見つけて座る。近い。めちゃくちゃいい席。ボーカルの入らない音が、しずかに流れている。とても気持ちがよくて眠ってしまいそう。
春の”あいずツアー”で福岡に行ったときよりも、ひとりで参加するお客さんが多いような気がした。会話はあまり聴こえてこない。仕事帰りの人もいるのかな。少しずつ、ゆっくりと席が埋まってゆく。
ステージには、上から5本の光が差していた。電球色のあたたかな光。5本の光のうちの真ん中の光が、いちばん強くマイクを照らしている。
開演予定時刻まであと5分になったところで、流れていた音楽に突然ボーカルが入った。おもちゃ箱をひっくり返して遊ぶとき、みたいな音にワクワクする。そして再びゆるやかな音楽へ。曲調の変化に、はじまりが近づいているのだと察する。続々と席に着く人々はやはりひとりが多くて、彼の音楽はひっそりと大事に、慈しむように聴かれる音楽なのだろうと思う。
明かりが消え、ステージに折坂氏とバンドの面々が現れた。客席から拍手が湧く。
〈静かに 静かに〉。1曲目は、声のみではじまる「スペル」だった。シンプルなバンドサウンドの真ん中に、芯の太い歌がどっしりと根を張っている。張った根の上には幹がそびえ、枝が広がり、その先に風にゆらめく無数の葉がある。朗々と自由にたゆたう歌に、わたしは空を思った。空は青く晴れ晴れとしていた。
とても好きになったこの歌をじぶんでも歌いたいと、この数ヶ月、実はわたしも歌ってきた。じぶんで歌うとこの曲はあまりにむずかしく、歌うたび、折坂悠太という人の歌い手としての力を見せつけられる思いだった。そして歌うときにはいつも、娘の顔が浮かんだ。娘の〈横つら〉の美しさを思った。愛おしさと切なさが込み上げて、歌いながら泣いてしまいそうになることもあった。
そんな思い入れのありすぎる「スペル」を生で聴いて、わたしが何も感じないわけはなかった。泣くな、泣くな。どんなに言い聞かせてもだめだった。意識をステージに向けたまま、バッグを探ってハンカチを出した。音を立ててしまわないように、鼻と口を押さえて泣いた。ひっそりとひとりで、慈しむように聴いてきたのは、他ならぬわたしだった。
続いた「坂道」で、世界のあかるさを思い出す。『平成』に収録された少し前の曲ながら、この春以降の『呪文』に至るまでとよく似た空気感を醸す歌。いいねえ、いい感じねえ。ととのうための「人人」、うっとりと酔いしれる「夜香木」、あえて冷ややかな「凪」。『呪文』勢へとバトンがつながる。
『心理』から「炎」。もしかしたらこの頃のわたしが聴きたかったのは、こういう曲だったのかもしれない。ズーンと響く低音。ゆらゆらゆらゆら、開場前の音楽と近い波動が空間を満たしてゆく。〈同じ炎を囲むぼくのララバイ 同じ炎を囲むぼくのララバイ〉。いつの間にか、呼吸は落ち着きを取り戻していた。
かぎりなくスロウな「信濃路」を経て、「正気」。緑色のステージの中心に赤いライトがひとつ、挿し込んでいる。〈わたしは本気です 戦争しないです〉。ガットギターのやわらかな音色に乗った、強い意志がある。
言葉は使いようだな、と思う。あるとき言葉は無力だけれど、別のときには計り知れない力を持ってしまうから、きちんと心を配って使いたいなと思う。折坂氏もきっとそれを頭に置く人で、根っこにあるのは優しさで。わたしはその心を信頼しているから、この人の歌を聴くのだと思う。
「正気」の揺らぐアウトロから「朝顔」へと移りゆくさまは、ほんとうに見事だった。〈ここに 願う 願う 願う 君が朝を愛するように〉〈ここに 願う 願う 願う 君が朝をおそれぬように〉
初めて「朝顔」を聴いたとき、これは朝が来ることを忌み嫌った経験のある人にしか書けない歌だと思った。朝が必ずしもあかるいものではないと知っていて、それでも希望を持つことをやめない人の表現だと思った。この歌が多くの人に受け入れられて、多くの心を救っていること。そして今、原曲よりもさらに広がりを持ったアレンジでここに花開くこと。すべてが美しく、眩しかった。
「夜学」と「努努」で空気は一変し、バンドメンバー同士の気迫がせめぎ合う。どこまでも純粋な「さびしさ」、ユーモアたっぷりの戯曲的「心」。上がるところまで上がりきった熱気は「無言」でぐっと鎮まり、いよいよクライマックスへ。
終わりの気配が近づくなか、聴き慣れない語りに会場中が耳をそばだてていた。
〈唱えてみるか? ディダバディ ディダバディ〉
そう言われて背中がゾッとする。こわい。唱えた先にはなにがあるのか。
次の瞬間、「ハチス」のどこまでもあかるいソウル・サウンドが煌めいた。広がったのは無数の光に照らされた、愛の満ちた世界。軽やかで朗らかな、優しい世界。
ゆらりゆらりと揺れながら歌う折坂氏の姿を、わたしはただぼーっと見ていた。歌の名の通り、折坂氏はまるで風になびく蓮の葉のようで、とても身軽に見えた。長い間背負っていたなにか—それでいてもう無くても大丈夫ななにか—を手放して、とても自由に、生き生きとして見えた。
わたしは折坂氏を眺めながら、じぶんのこの数ヶ月について考えていた。夢に近づいたはずが急に離れてこわくなり、傷つきたくないとじぶんを抑えたり、そうかと思えばいきなりすごいところにワープしてみたり、なんとはちゃめちゃな日々だったのだろう。その傍らにはいつも折坂氏の音楽があって、共に泣き、笑い、わたしと夢とを繋ぎとめてくれた。
「音楽のおかげでいろんな人と出会って、いろんな場所に連れていってもらえる。音楽にありがとうという気持ちです」。この日、折坂氏は、普段わたしが思っていることと同じ気持ちを語った。
「こんなに手を振る人生になるとは思っていなかった」と言いながら、会場中に両手を振って、ジャンプまでしてよろこんで、とても調子が良さそうだ。もしかしたらこれからも、時々はざわざわしたりもやもやしたりするかもしれない。けれどそんなざわめきが彼のまなざしをますます深く、歌を艶やかにさせるのだろうし、この日のアンコール(イ・ランさんのカバー曲と「トーチ」だった)の素晴らしい歌声を聴けば、それもまた悪くないよね、と思う。
まあ、なにはともあれ人生楽しく、幸せでいたいね。〈きみのいる世界を「好き」って ぼくは思っているよ〉。わたしも、そう言えるじぶんであれたら。だからこれからも唱えるよ。〈ディダバディ ディダバディ〉、魔法の歌を。あなたがくれた、とっておきの呪文を。
折坂悠太「呪文」ツアー / LINE CUBE SHIBUYA 10/17
セットリスト
スペル
坂道
人人
夜香木
凪
炎
信濃路
正気
朝顔
夜学
努努
さびしさ
心
無言
ハチス
(アンコール)
ある名前を持った人の一日を想像してみる
トーチ
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