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「折坂悠太という歌があった」/折坂悠太 FUJI ROCK FESTIVAL'24・ホワイトステージ配信ライブレポート

(ライブレポートの練習として。敬称略。)


会場いっぱいにふくらんだ観客と、高まる期待が波のように押し寄せるホワイトステージ。バンドメンバーとともに現れた折坂悠太は、ブラックリネンのような柔らかなセットアップに身を包み、ステージの上、まずは深々と一礼した。

2022年のグリーンステージでも披露された「芍薬」で幕が開ける。いきなりの「芍薬」で一気に盛り上げる!というよりは、沸々としたエネルギーを徐々に放出していくイメージ。近ごろの折坂が見せる自然体の姿が、内なるエネルギーの凄みを際立たす。
続く「ハチス」で、会場はリラックスしたムードへ。肩に掛けていたギターを下ろし、ただひとつの心と体だけで歌う愛。ゆらゆらと体を揺らしたり、「煙が立ち上がる」の歌詞に合わせて右手をくねらせたり、楽しもうとする姿がある。「きみのいる世界を『好き』って ぼくは思っているよ」。真っすぐな言葉と軽やかなソウルミュージックのサウンドに、観客と会場、そして折坂自身がほぐされていくようだ。
そして、ボサノヴァのリズムと優しいコーラスから始まった「抱擁」。黄と緑のライトに照らされたステージに、爽やかな空気と哀愁が流れ込む。愛しい人を抱くとき、私たちはこんなにも幸せで、同じくらい切ない。
「今 私が生きることは 針の穴を通すようなこと」。バンドの音を全面に押し出した「針の穴」。したたかでポジティブな言葉が乗ったサビの後「そうだろ!」と叫んだ折坂に、観客もここまで最高の盛り上がりで応えた。
軽快かつ怪しげなリズムで縦揺れと横揺れが交錯する「努努」。東・ハラナツコ(サックス)と西・山内弘太(エレキギター)の対決は、がっぷり四つで互いに一歩も引かない。両者の気迫がぶつかり合いながら、再び折坂の歌へと戻ってゆくさまは圧巻だ。
「努努」の間奏からクラシックギターはマンドリンに持ち替えられ、この日のハイライトともいうべき「さびしさ」へと向かう。イントロから空気が一変する。「長くかかったね 覚えてる」「風よ このあたりはまだか」「この道に吹いてくれーーー!」。表情をゆがめ、歌う先に産声のような叫び。そこから歌は一気にふくよかに、自然体を深めてゆく。

MCでは、前日に客としてフジロックを楽しんだことが語られた。「本当に、多種多様な音楽がありますけど、フジロックは特にそれが一堂に会するような気がしていて。アコースティック楽器の音色でまったりしていたのに、一つ林を抜けると内臓を揺らすようなビートを浴びたり。でもいろんな形の音の波を浴び続けていると、粘土をぐにゃぐにゃ触るような感じで、だんだん自分だけの形になっていくという感覚があります。もとは人間の形で来たのに、帰るときには宇宙人みたいになって帰っていくような」「パズルもそうですけど、いろんな形があるからそれが組み合わさって一つの絵を成すわけです。フジロックはそういう光景が3日間でものすごい濃い密度をもって現れてくるような感じがします。フジロック、大好きです!何が言いたいかというと、大好き!」。笑顔とともに伝えられたメッセージが、辺り一面を愛の色に染めた。

バンドと歌がしっくりと馴染んだ「凪」の後は、渾身の「夜学」。「こんな事もあるものか 留まっていられようか」。口調が妙に落ち着きはらっていて発音にも無理がない。16ビートを感じ小刻みに揺れながら、時折見せる笑顔もパフォーマンスのようでパフォーマンスでないような凄み。全ての表現を体という一つに集結させ、言葉を畳み掛けてゆく。「2024年苗場スキー場、ホワイトステージにて、折坂悠太、夜学。夜学!」そしてハラナツコのサックスが炸裂する!マウスピースから管へと注がれる全身全霊のエネルギーに、楽器はギュッギュッを音を立て呼応。龍か大蛇か。まるで暴れ回る獣との闘い。
その後、上り切った興奮をなだめるように「ユンスル」が続いた。ゆったりと流れる大河のような折坂の歌声。誇張も縮小も要らない、ただそこにある景色を一つずつ切り取ってゆく。

「日暮ぼくは多くある」。訥々と語り始めた最後には、普段と異なる言葉が置かれた。「頃合いをみては ここでまた会えて ありがとう ありがとう 今日の日は さようなら」
そして迎えたクライマックス。「静かに 静かに」。目を閉じてそっと歌い出したのは「スペル」だった。今年リリースされたニューアルバム『呪文』の冒頭を飾り、折坂自身が「自分自身のよう」だと評する「スペル」。ゆがむ表情や切実さを含んだ声色から、生身の感情が伝わる。エレキギターもサックスも、ウッドベースもドラムも、バンドが寄り添うその真ん中に“折坂悠太”という歌があった。

折坂悠太という人の半生を見ているようなステージだった。生きる過程で起こった個人的な出来事と、その出来事に対峙した自分だけの反応。それが音楽となって他者や空間と溶け合う時、個人的な思い出はいつしか普遍性をもって人々をつなぐ。そんな音楽の魔法を信じたくなるようなステージだった。
喜びも悲しみもある日々の中、折坂の歌はこれからも呪文となって私たちを助けるだろう。空をゆく風のように、人をつなぐ愛のように、とても自然な姿で世界を駆け巡るその片鱗を聴く時、私たちは一人であって、一人ではない。


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上野イクヨ
本の出版を目標に執筆を続けています📙📕📘よろしければお力をお貸しください🐆🦒🦓🦩🦚🌬️🫧