だから私は書く
昨年末、とてもうれしいできごとがあった。
それは、それまでの半年間の集大成のような、これから進もうとする歩みへの全肯定のような、奇跡みたいなできごとだった。
私は気の置けない年上の友人に、その奇跡のいきさつを話した。
「でも、こんなに感動的なできごとが、1年後には、あぁそんなこともあったねえというような、当たり前の、流れる毎日の1コマになっているかもしれない。それは願望でもあるけれど」
そう言う私に、彼女は応えた。
「ああ、今、鳥肌が立った。なんか、そうなっているような気がする」
日々の中では、うれしいこと、哀しいこと、腹の立つこと、さまざまなことが起きる。私はそのたびに喜び、落ち込み、悔しがる。
そのとき、私がいだいた感情は私だけのものだ。もっといえば今の、私だけのもの。1年後や、もしかしたら明日には、変化したりなくなったりしているかもしれない。
なんだかとても、もったいないな。
ならば、私は書こう。
今この瞬間を真空パッケージして、急速冷凍庫で保存するみたいに。
私にしか分からない、今の感覚や気持ちを、残しておこう。
そしていつか、私だけのものであったはずのそれらが、知らない誰かを救うかもしれない。
そんな奇跡の連鎖が、起こるかもしれない。
だから、私は書く。
今の私が、奇跡だと思ったできごとと、そこで生まれた私だけの感情を。
いつかのあなたと、私のために。
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