見出し画像

花様年華〜③



ねぇジン。
二人で話していると、楽しくておかしくて、時間があっという間に過ぎていったんだよ。
ジンもそうだったかな?


店内の客から店員からその場にいる女性全ての視線を集める青年。
それは当然のごとく。

あー...もう店出たい。

メニューで顔を隠しながら黄色い声やピンクの熱視線をかわしながら、

『何を頼みますか?なんでもいいですよ』

と言いつつも、

「まぁできるだけ早く済ませられるものにしてほしいけど」

とつい小声で本音が出てしまう。
そのくらい、彼は人の興味を惹いてしまうのだ。

『ヌナ、日本語で書いてあるので読めないものがあります。教えてください』

対面で座ったのに、いそいそと横に座ってくるとか...
君は周りの人達の視線が気にならないのですかっっ!

気になるメニューのイラストを指差しながら質問する彼の横顔はギリシャ彫刻そのものだ。
本当に美しい。
私もせめて隣のテーブルに座っていれば、気楽に見惚れていられたかもしれない。

オーダーを聞きに来た店員の小刻みに震える手を私は見逃さなかった。
緊張か、私に対する怒りとか嫉妬か...

注文を済ませ、元の対面に座った彼に少し安堵した。
ずっと横は緊張で息がしづらい。
だけど、目の前というのも...
こんなカッコいい人といると心って休まらないものだな。

『申し遅れました。ぼくはキム・ソクジンといいます。ジンと呼んでください』

ジン...
ジンくん...ジンさん?

呼びかけを迷っていると、

『ジンと呼んでください、ヌナ』

おぉ。
当たり前だけど、ジンは最初から私を年上だと思ってたんだな。
そりゃそうだよ、そうだけど。
ちょっと複雑な気持ちになったのも事実。

『ジン。改めましてさっきは助けてくれてありがとう。ずっと光る川を見てたから目がチカチカして目眩を起こしたのかもしれない』

『そうですよ、あんなに長い時間あそこに座って。太陽の光を反射した川を見てたら目もおかしくなりますよ』

『?そっか...そうだよね』

ちょうど注文した飲み物とサンドイッチが運ばれてきた。
ジンは気を遣ってか飲み物しか頼まなかったので、サンドイッチは私が頼んだ。

『どうぞ、食べてね』

『ありがとうございます!具材がカラフルできれいですね』

あぁ。
ジンは「きれい」という言葉を多用するタイプなのか。
さっき私を「きれい」と言ってくれたことも、お世辞を通り越して口グセだったのかもしれない。
そりゃそうだよなー...

まるでハムスターが両頬いっぱいに食べ物を詰めるかのように、ニコニコ、もぐもぐと美味しそうに食べるジンをコーヒーを飲みながら見ていたら、間もなく最後の一滴がストローを通過したことをグラスの底の氷が知らせた。
私の喉はジンと出会ってからずっとカラカラに乾いていたんだ。

『ジン、今日は本当にありがとう。ゆっくり食べて行ってね。あと日本を楽しんでね』

伝票を手に取り席を立とうとした私の手を掴んでジンが言った。

『ダメです、ヌナ!お礼まだ終わってないです!座ってください、お話ししましょう』

サンドイッチ、口の中にいっぱい入ってるね...

席に戻り、ジンがサンドイッチを飲み込むまで待った。
悪いけど私にだって都合はある。
そろそろ研究所に戻る準備を始めたい。日本でしか買えないものもあるのだ。

ジンめ。
いくらイケメンだからって、ちょっとしつこくないか?
イケメンってこういうところあるよなー
自己中心的な!

周りの視線や声もまだ落ち着く気配がないし、正直この場を早く立ち去りたい。

『ヌナ、どうして韓国に来たのですか?』

ジンの声にハッとして視線を彼に戻す。
まぁ本当に...カッコいい。

『うん...日本の大学にいた頃に、もっと深く研究に携わりたかったら韓国に有名な教授がいる、って聞いて、ちょっと行ってみようかなって』

『ちょっと?』

『うん、ちょっとのつもりでね。でも想像以上に興味深い研究だったんだよね。すごくおもしろくなっちゃって。政府の研究機関からもっと研究してみないか、って誘われたからそのまま韓国で就職したんだ。研究自体もおもしろいんだけど、韓国の街も人も私には合ってたみたいで、うん、住めるなって。あとごはんが美味しいよね!もともと韓国料理って日本にいる頃にも食べてたけど、やっぱり本場は全然違って!何食べても美味しいの!毎日キムチ食べるのも最初は飽きるかと思ったけど、いまこっち帰ってきてても毎日キムチ食べるもんね。近所のスーパーに韓国でいつも食べてたメーカーのキムチが輸入されててそれで...』

おっといけない。
喋りすぎた。
しかもめちゃくちゃつまんないこと!

さっとジンから目を逸らすと、

『ヌナ、そのキムチのメーカーどこのですか?』

にっこり笑ったジンが私に優しく話しかけた。

「あっ...えと...」

『『ハンウル』』

『わー!ぼくと一緒だー!』

ゲームで勝った子どもみたく無邪気に喜ぶジンに拍子抜けした。

そっか。
彼はちゃんと私の話を聞いてくれようとしてたんだ。
それなのに私は周りの目を気にして、いざ話し始めたら自分のことばかり一方的に...

『一緒だね。やっぱり有名なんだね』

『そうですね、僕は昔からずっと好きなんです』

もう少し、ジンと話したい、ジンのことを知りたい。
正直な気持ちだった。

『私はね、韓国に着いて初めてコンビニでラーメン買った時に店で作ってそのまま食べるのに驚いてね』

『あ、そうなんですか?ラーメンはおやつみたいなものだから、遊んで少しお腹空いたら、じゃラーメン食べよう、みたいな感じになるんですよ。でもそれはソウルとか都心がほとんどで、少し田舎に行くとハルモニがやってる定食屋さんで、おでんやトッポギを食べますよ』

『そうそう!おでんが味が染みてて美味しいんだよね。トッポギのちょっと辛いのも刺激的で』

『やっぱりヌナには韓国の料理は辛いですか?』

『辛いと感じるものもあるよ。お店によって少し辛さも違うよね。あー研究所の近くにいいお店があるんだよね。久々に行って食べたいなぁ』

『それどこですか?僕も帰ったら行ってみたいな』

『あのね、地下鉄3号線の...』

ジンは旅行中にこんなとこで、他愛ない話を私としててもいいのかな?
ジンのくるくる変わる表情に引き込まれ、そういった遠慮は徐々に消えていった。

店内は少し落ち着いた様子にはなったが、私が居た堪れなかったので足早に退店した。

近くのコンビニで温かい飲み物と、ジンが食べてみたかったと言った日本のお菓子をいくつか買って土手へと戻った。

好きな食べ物。
苦手な食べ物。
ファッション。
最新のスマホ。
韓国で流行っているバラエティー。
一番気に入っているドラマ。

今まで出会ってきた人達と幾度となく交わしてきた、手頃で当たり障りのない会話。
だけど、そのひとつひとつがジンと話してるとキラキラ輝き出すから不思議だ。
気付きや発見が、ジンとの会話によって飛び出してくるような感覚。
もっと話したい。もっと聞きたい。
もっと聞いてほしい。

止まらないおしゃべりを中断したのは、母親からの着信だった。

「ちょっと今どこ!?何時だと思ってるの!何かあったんじゃないかって心配したじゃない!」

そうだった。
結婚破棄されたアラサーの娘が朝出かけたきり、なんの連絡もせず帰宅しないのだ。
いくらあっさり放任主義だとは言え、悪い方向へと考えるのが普通の親だ。

「ごめんごめん、もう帰るから。何も心配することはないって。うん、うん、ごめん。ありがとう」

通話を切ったスマホ画面に浮かぶのは、夜空の月だった。

あたりは真っ暗だった。
ちょうど街灯の真下に座っていたこともあり、相手の顔に夕闇が差すこともなく、夢中で話していたのだ。

『ジン、こんなに遅くまで付き合わせてごめんなさい。私そろそろ帰らなきゃ。このあとはどうするの?』

くしゅんっ

日中は暖かかったとはいえ、桜の開花が進む季節。
太陽の熱はすっかり冷めていた。

『ヌナ、風邪を引いたら大変です。さぁ、これを着てください』

ジンは自分の着ていたパーカーを私に着せてくれた。
柔らかくてあたたかい。
まるで今日の春風のようだった。

『ジン、私は大丈夫だよ。旅行中なのに服を貸してもらうなんて...』

パーカーを握り脱ごうとした私の手を握ってジンが言った。

『パーカーは買えます。ヌナが風邪を引くのが嫌なんです。こんな時間まで引き留めた僕の責任だから』

引き留めたのは私だよ。

『...分かった。ありがたくお借りします。クリーニングに出して返すから...明後日!明後日にまた会える?ジンの宿泊先の近くまで私持って行くから』

『僕、明日の便で韓国に帰るんです』

えっ...明日...
クリーニングは間に合わない。
家で洗濯してもいい?
洗剤や柔軟剤の香りに好みがあったらどうする?
このパーカーは洗濯機OKなの?

っていうか...
待って。
明日、帰っちゃうの...?

また一人で頭の中をぐるぐる巡らせる私の肩に、ジンは優しく手を置いて、

『ヌナ、韓国で会いましょう。その時に、そのパーカーを持ってきてください。約束です』

美しくほっそりと長い小指を私の目の前に出してニッコリと笑うジン。

また...会える?
韓国でジンに会える...?

『そんな...私なんかとまた...』

『ヌナ、もう会いたくない人にパーカー貸しませんよ。また会いたいからパーカー貸すんです』

今度は歯を出して、にっといたずらっぽく笑った。

『ヌナ、約束してください。韓国で会いましょう』

差し出された小指に、私の小指を絡める。
顔中の毛穴からからじんわり熱風が噴き出るようだ。

『あぁ、良かった!韓国でヌナに会えるー!』

土手に向かって叫ぶジンの背中見て、なんだかこれまでの全てが夢のように思えた。

でもパーカーのぬくもりと、ジンと触れた小指の熱さを現実に感じる。

「人を好きになること」の始まりってこんな感じなのかもしれない。

いいなと思ったら応援しよう!