ブラッド・ピットになりたくて
「この写真の髪型でお願いします。」
夏も今かと徐々に気温が高まる5月下旬、この頃の私は一癖も二癖もあるこの伸びた髪を切ることに胸を躍らせていた。
なぜかはわからないが、きっと俗に言う「暑いから切ろうと思った。」、「伸びてきたから。」とかそんな理由ではない。
これはブラッド・ピットになろうとした一人の男の話である。
在宅勤務で人と顔を合わせることが少なくなった今、いろんなことに挑戦するチャンスが巡ってきている。
どうも人は顔を合わせると相手に移る自分の像を気にして、無難な人間になってしまう。性格や容姿に限った話ではなく、生き方や考え方にまで無意識のうちに横並びといった、ある種の同調が異端な人間を作り出すことを許さないとしているのかもしれない。
顔を合わせない日が続いた頃、髪を切ろうと考えていた。どうせなら今までと違った髪型で面白い感じにしようと考えた。
美容院を変えるなんて今までそれほどしてこなかった人間だ。恐る恐るの不安と何か変わるかもしれないという期待の狭間で、想像を膨らませると一喜一憂した。
「そうだ、ブラッド・ピットだ。」
海外への憧れなんて一切持ってない。知っていることと言えば、海外の男性が女性を選ぶ基準は女性のケツだということだけだ。
ブラジルのカーニバルでは半裸の女性が可憐な衣装を身にまとい豪華な飾りをつけてダンスを悠々と躍るショーがある。そのショーでもケツはチャームポイントとしてケツ単体の動きや振る舞いがダンスの中で表現されている。
海外でのケツへの執着は見上げるものがある。
ブラッド・ピットもきっとケツが好きに違いない。そう確信した私はブラッド・たなかになるために家を出た。
前回の美容院は散々だった。
店に入ると前回の失敗が蘇ってくる。「また変な髪形になったらどうしよう、短くしすぎると取り返しがつかないし、やっぱりやめとくか?」脳みその神経が焼き切れるまで自問自答を行った。
私の中で思い出深いハリーポッターのシーンがある。
死の秘宝シリーズでハリーがヴォルデモートにアバダケダブラをくらった生死のいさかいでダンブルドア先生と出会うシーンだ。
「ハリー。君はなんと勇敢な男じゃ。」
「歩こう。」
そのシーンが重なるように向こうで誰かが私を呼んだ。きっとダンブルドア先生に違いない。私は連れられるようにして歩いた。
「この写真の髪型にしてもらえませんか。」
ブラッド・ピットとは言わずに髪形をオーダーした。今思えば、こんなやつがブラッド・ピットの髪形真似したところで何も変わらねえよ。なんて言われてるようで気が引けたからだ。
ー仕上がりは満足だった。
これ以上切るとどうなるかと聞くと、君のイメージからは離れるよと言われたのでそれもそうだろうと受け入れた。
「外人さんは顔が小さいからね。ズルいよね。」
そんなこと意識したこともなかった。顔が大きい、小さいという見分けを私自身は普段から気が付かない。ましてや、私は顔が大きいほうなのか、小さいほうなのかもわからなかった。
「この髪形に似せるなら艶のあるワックスかジェルを使ったほうがいい。」
この人はなんでも知っているのだろうか。いや、何でもは知らないはずだ。
私の髪は自然に立ちにくい髪質であることなのでソフトよりハード系を使たほうがいいこと、この髪形は自然に流すように仕上げるのではなくて艶を出さないと散らかっているように見えるから気を付けること、伸びると頭のがボサボサするから気づいたら早めに切ること。
久しぶりに知らない人に親切にされて尊敬の念でいっぱいだった。
薩摩の教えにこんな言葉がある。
1.何かに挑戦し、成功した者
2.何かに挑戦し、失敗した者
3.自ら挑戦しなかったが、挑戦した人の手助けをした者
4.何もしなかった者
5.何もせず批判だけしている者
きっと、前回は失敗したから今の成功があるのだ。そう確信すると感謝の気持ちでいっぱいだった。
髪には詳しくないのでできるだけインプットしようと相手の言葉を脳に直書きして何回も暗唱した。私はそうですね、そうですね。としか言えなかった。
「まあ、せっかくブラッド・ピットみたいな人の良い髪型を好きになったんなら大事にしたほうがいいよ。」
そうですね。
この人は写真を見た時からブラッド・ピットだということを知っていたようだ。この人は何でも知っているのだろうか。いや、何でもは知らないはずだ。
知っていながら敢えて伏せていたのだろうかと考えるとなんだか恥ずかしい気持ちだ。
なんでこんなことを言ってくれるのだろうか。私は考えた。
おそらく他の人は短くとか、流行りのとか、パーマとかで選んでいると仮説を置くと、誰もが知っている大人気ハリウッドスターの髪型なんてオーダーはおそらくそんなにいないだろう。
そんな珍しいやつを応援したくなったのかもしれない。
ようやくことの重大さを理解した。
**************帰る途中***************
薩摩の教えを再び思い出す。
挑戦し続けていれば失敗もするだろうが、成功もする。今回はたまたまだが私は多くのいろんな失敗があってこの成功がある。しかし、挑戦しないことには失敗も成功もわからないのである。
私の挑戦は終わらない。
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