古着屋高校生ブルーオーシャンを行く
16歳ではじめた古着屋の商品は
アメリカ古着とヴィンテージスニーカーという
先人たちが築き上げた古着屋の王道ともいえるけっこうベタな商品構成でした
が
なんと
これに
そっこー飽きます。
飽きたというか
かわいいから好きなんだけど
なんかちがうかも?
古着なので全て一点物といえば一点物で、
バイヤーのセンスとかクセみたいなのはもちろんあるんだけど
どうしても他店と似たような品揃えになることは避けられない。
資金力もない、後発組の
住宅街の中の、狭小店舗。
老舗大型店をただちいさくしただけみたいな品ぞろえのショップに魅力があるのでしょうか?
わざわざ行きたくなる、他にはない魅力が必要。
そんなビジネス的戦略を
高校生だったわたしは
一切考えず
自然と興味のある方向を向いて、さっさと歩きはじめます。
まあ早い話が目移りしたんですけど
アメリカ古着の次に興味をもったのは
そう、みんなだいすき
コムデギャルソンとヨウジヤマモトです。
当時、ふつうにテレ東の地上波で
パリ・ミラノ・東京…その他各コレクションの映像を
大内順子さまがナレーションや直接バックステージ インタビューをされるという最高すぎるテレビ番組が毎週(!)放送されていました。
当時はコムデギャルソンもヨウジヤマモトも
東京・パリの両方のコレクションに参加していました。
2019年の現在よりも、25年前の人々はモードに関心が高かったのでしょうか?よくわかりません。
わたしは1994年秋冬コレクションでドはまり。
コムデギャルソンはその後の定番となる縮絨を発表。
ヨウジヤマモトは振り袖や十二単などキモノをベースにしたジャポニズムをテーマにしていました。
今振りかえっても歴史的に重要なシーズンだったと思います。
こういうデザイナーさんの素敵なお洋服たちを
手の届く“古着”で販売したい!(自分も買いたい)
そう思うより先に収集する方法を模索し、動き始めます。
すでに築いていた人脈と持ち前の行動力で
この、いわゆる”ブランド古着”は
けっこうかんたんに集まりました。
今思えば、当時はバブル崩壊から数年経った頃なので
バブル時代にいっぱい売れてたブランド品が不用品として中古市場に大量に流れ込んでいたのでしょう。
竹下通りにラ◯グタグさん、
ファイヤー通りに◯ノトーンさん、公園通りにト◯さん等がこの時代既に盛業中でしたが
インターネット普及以前ですので、
ブランド古着を扱うには目利きと知識が必要で、限られた上記のような専門店を除いて、一般のリサイクル業者は手を出せませんでした。
売りたい人もたくさんいて
買いたい人もたくさんいる
しかし、それをつなぐ導線がととのっていない
1993年当時のブランド古着業界はまさに
ブルーオーシャン
しかし、
その後数年で真っ赤に染まるレッドオーシャンになるのです。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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