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キリル文字のかほり

ロシア色したキリル文字ほど清しいものはない
出会いの時のВыのようです
ためらいがちに撮った写真に
驚いたようにラテンな文字に
字列が頬を染めて過ぎてゆきました

某名曲の歌詞のパロディはおいときまして…
トップの写真は先月バクーに行った際撮影した、旧市街外周の道路、イスティグラリヤト通り沿いにある歴史的な建造物の外観です。

現在はアゼルバイジャン科学アカデミーの幹部クラスの役員が使用する場所ということになっているらしく、ひとまず現役で稼働している建物ということのようなのですが、私の目を引いたのはその外観、建物の上部にある「アゼルバイジャン科学アカデミー」の部分です。

お気づきになった方はいらっしゃるでしょうか。なんと、最近まで(少なくとも数年前までは)この「アゼルバイジャン科学アカデミー」は、キリル文字で表記されていたのです。

キリル文字で書かれているところが好きだったのに…(2017年3月撮影)

以前の写真はこちら。
旧ソ連時代の名残ということで、個人的にはそこが大変気に入っていたのに…ラテン文字に切り替わっていたことに、少なからずショックを受けた自分がいました。

2002年以降、アゼルバイジャン語はラテン文字で表記するということになっており、公的文書等は全てラテン文字に切り替わっています。

一方で、以前から街に残っている看板や歴史的建造物などに、キリル文字表記のまま残されているものもわずかながらあります。個人的に、バクーを訪問するときにはそれらを発見するのが密かな楽しみなのです。

バクー市内、青果市場(Yaşıl Bazar)にて。
香草の量り売りの表記がキリル文字のまま残っていますね。(2021年12月撮影) 

とはいえ、こういったキリル文字も少しずつ、街中から消えていく運命にあるのかもしれないなという予感がします。はたして現地の人々自身は、キリル文字に対してはたしてどういう印象を持っているのでしょうか(聞いてみたらよかった)。

もちろん、キリル文字に出会うことそれ自体は現在でも可能で、国立図書館などに行って旧ソ連時代に公刊された書籍や雑誌を見ればよいわけです。実際私自身も資料収集の一環で、今回もキリル文字資料はそれなりに持ち帰ってきていますからね。

その一方、バクーの街並みがどんどんラテン文字に変えられていくことへ、さびしさを感じるのも禁じ得ない自分がいます。

呼び戻すことができるなら
僕は何を惜しむだろう

布施明「シクラメンのかほり」より(作詞・作曲 小椋佳;1975年)

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