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2013年アナトリア南東部旅行の記録(2): (今は沈んでしまった)ハサンケイフ
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またこの記事は、以下の記事の続きにもなっています。
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8月8日、ディヤルバクルからバスを乗り継いでバトマンを経由、ハサンケイフに向かいました。
ハサンケイフ(Hasankeyf)というのは、古代都市の遺跡があったところです。「あった」と書きましたが、今はもうほとんどの部分がダムに沈んでしまっています(この記事を書いている2021年1月7日時点でGoogle マップを衛星写真で確認して、改めて暗い気分になっているところです…)。
この前の年(実際にはもっと前かもしれない)から、遺跡自体がダムで水に沈むという噂を聞いていたので、なんとしても訪れるチャンスがあれば、写真に収めておかねばと思っていました。今回の南東部周遊の大きな目的の一つでもありました。
ディヤルバクルから都市間バス一本で、というわけではないので、まずミニバスの発着所(イルチェ・オトガル)まで移動して、そこからミニバスで近隣にあるバトマンというところに向かいます。
バトマンまで、1時間。こういう写真に写っているようなバスに乗ります。行き先はもちろん自分で確かめて、最初に窓口でお金を払って乗り込みます。
ぎゅうぎゅうづめのミニバスに乗って、ひたすらまっすぐバトマンに向かって道を進みます。ぎゅうぎゅう詰めすぎて、とてもデジカメを出せるような状況ではありませんでした。ですので、残っている写真はぜんぶiPod touchで撮ったものです。写真が一枚もないよりましだよな、と言いながら。
冷房なんて気の利いた設備はないのがお約束、まあ暑いわ息苦しいわ。オレ、旅行してるぜ感を存分に味わいました。まあ、旅とはこうでなくてはな。
かくして、バトマンのバス発着所(Otogar)へ。下のオトガルの写真は帰りに撮影したものですが。行きは、たしかハサンケイフ行きのバスが来るからすぐ乗りな、と言われたのでバス発着所の写真が撮れなかったのだと思います。
ここバトマンで、さらにハサンケイフに向かうバスに乗り換え。ここで、ドイツから一人観光に来ていた女性とばったり出くわしました。彼女も同じくハサンケイフを目指していたとのこと。ならば都合がよい。
一緒に向かいましょうということで、二人して無事ハサンケイフ行きのバスに乗ります。こういうときにトルコ語で意思疎通が当地の人たちとできるのが私の面目躍如(エッヘン)。うまいことバスを乗り継ぎます。
それにしても、お互い一人旅はいいとして、目的地に南東部をチョイスしたというのはすごいな。そんな話を道中そのドイツから来ていた旅行者の方としていました。当時でも南東部を旅する人というのは、イスタンブルやカッパドキアが目当ての人たちと比べても少数派だったと思いますし、なによりトルコの旅行者としても、そこそこコアな人たちではなかったかと思います。
こういうバスに乗って(ただし、これは帰りのミニバスだったと思います。行きはとにかくバタバタしていて、撮影できなかったので)。
ディヤルバクルからハサンケイフへの移動中の写真はそんなわけで、デジカメではなくiPod touchで撮影したものしか残っていないのですが、その点お詫びするとしまして…
川が見えてきました。おお…これがチグリス川…!
社会の教科書とかに出てきたあれだ!(ちなみにトルコ語では、Dicle nehriと言います。ですのでこの地域ではこのDicleという名前の店や公共機関の名称などを多く見かけます)
バトマンからも1時間ほどで、ハサンケイフに到着。少し歩くと、川の向かいにそれらしき遺跡が見えます。
前方にみえる、川の中に点在する柱は、有名な古い橋の跡。かつて、橋があそこにかかっていた証ということですね。
バスを降りたら新しくできていた橋(今はその橋もないようですが)を渡って、遺跡のある対岸の方に渡ります。「ああオレ、今チグリス川を渡ったよ…!」と思っていました。勝手に感動していましたよね。
土産物屋やチャイハネ(喫茶店)の並ぶ通りをすぎて、遺跡群へ。くどいようですが、この通りの店も今はもう、水の底ということになります。
城砦のあった場所へと向かっていきます。
残念ながら全ての場所に立ち入れるわけではなく、一般に開放された場所にのみ入ることができました。
城砦のある丘の方から見下ろします。この家屋のあるところが、今(2021年1月時点)はぜんぶダムの下に沈んでしまっているというんですからにわかには信じられない…
現地の店の人だったかミニバスのドライバーさんだったかに、ここがそのうちなくなるっていう噂は本当なの、と聞いたのですが(メモしてるよね)、「2015年にダムに沈む予定なんだよ」(実際はさらに粘ったようですが結局昨年7月ごろに町のほとんどの部分が沈んでしまったそうです…)という返事を当時聞いています。
「嘆願書もずいぶん送ったんだけど、聞き入れてもらえなかった」とも。あと、誰だったか丘の上の方を指差して「住民はあっちのほうに移住することになってるらしいんだ」とも教えてくれました。
当局の決めたことで、致し方ない部分もあるとはいえ、こういう文化的な財産が失われるのはほんとに辛いなと今でも思います。こう考えると、こうやって改めてここnoteに写真を残しておくというのも、多少は意義のあることなのかもしれません(インシャッラー)。
少なくとも、懐かしい思い出にはなりましょう。
ということで、観光時間はわずかではありましたが、一通り見終えて再びディヤルバクルに戻ることに。今思えばですが、ここで思い出にごはんでも食べておくんでしたね…ディヤルバクルに戻ってからでいいかなあ、とこのときは言っていたようです。
午後2時過ぎぐらいにディヤルバクルに戻ってきて、また旧市街の写真など撮りながら、翌日ウルファへと移動しました。ありがとうハサンケイフ。姿を見れて本当によかったよ。とか言いながら。
以上、ハサンケイフ訪問の記録でした。いつものおなじみ、投げ銭ご投入の方へのエクストラコンテンツがあります。ご関心のある方、写真をもうちょっとご覧になりたい方はこの後もぜひどうぞ!
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