チキショー、英語が追い打ちをかけてきた
長崎の某大型書店に、ようやく北村一真先生の新書が並んだようなので、さっそく買ってきました。
うーむさすが北村先生。読み進めやすく、1日でだいぶ読み進めました。自分にグサグサ刺さってくる感じを覚えながら。
なぜグサグサ刺さるかを考えるに、自分に「受験英語からその先」のレベルの英語運用能力が正直ないな、という現実を突きつけられるということなのだろうと思います。
大学では外国語学部に入りましたが、その大学で英語関連の授業を私は実はほとんど受けておらず(とても意外だと言われるのですが)、高校までの蓄積だけで今までやってきているというのが正直なところなのです。
実際自分の場合も、特に大学院以降はいやでも英語に触れないといけなくなり、特に専門分野に関する本はやはり英語で書かれたものを読まないといけませんでした。
実際、自分が今採用している文法研究の方法論に関するものは日本語で書かれたものはほぼ皆無でしたから、特に修士課程の1年目は英語で書かれた本をずっと読んでいたように記憶しています。
一方で時事英語や小説のようなものを読むのにかけた時間は相当少ないので、なるほどそもそも語彙力が足りていないのだから、読めやしないというのは当然なわけですね。
そういったことを含めて、英語に対して自分なりにアプローチの仕方や距離のとり方を確保していないといけないと思っていたところでした。そのあたりを自分なりに整理するべく、上述の新書を読みつつこれから考えてみたいところです。
それんしてもここ最近、エスペラントに興味を持った矢先の英語ワールドからの誘惑ですよ…今の私の視界には、トルコ語だけじゃないどころか、アゼルバイジャン語はまあいいとしてもテュルク諸語いろいろ、ロシア語アラビア語ペルシア語に周辺言語いろいろ、そこへきてさらに追い討ちの英語と。
これだけをどれも納得できるまでやっていくには、自分の人生はあまりにも短すぎるっすなあ…今更な感想ですが。
嗚呼しかし。中公新書かあ…死ぬまでに一度でいいから、書く側に回ってみたいっすなあ…
みなさんもそう思いません…?(実際には書くとなったら血を吐く思いをしそうだけど)