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2013年アナトリア南東部旅行の記録(1): イスタンブル→ディヤルバクル

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また、この記事の前に今回報告の旅のプロローグ相当の記事もぜひご覧ください。

8月7日:出国、仁川経由でイスタンブルへ

2013年、8月7日に日本から大韓航空経由で、イスタンブルのアタテュルク国際空港に向かいます。まずは関西空港から韓国、仁川空港へ。

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このときは、今後何回も大韓空港に乗るなんて思いもしませんでした。なんせこの時点では、のちにトルコのアンカラに日本語を教えにいくなどとは想像すらしていなかったのですから。

仁川からイスタンブルの便には、かなりの乗客が乗っていたようです。この時期におそらくトルコでもいろいろ事件などが起こっていたようなのですが、あまりその影響はなさそうだ、とノートに記しています。なんだったかな。PKK関連の何かだったかもしれません。(調べない)

成田からイスタンブルの直行便と比べると、仁川からイスタンブルはフライトの時間はやや短めですが、それでも10時間近くは座っている必要があります。毎回、何をして過ごすかというのが課題でした。このときは吉田修一の『横道世之介』と、友人に進められていた村上春樹の『雨天炎天』を持っていきました。村上春樹のこれは大正解。面白かったです。みなさんにもオススメ。

機中はとにかく、南東部に初めて足を踏み入れるということで相当緊張していた記憶があります。最初のディヤルバクルから市内中心部までどうやって行くかということを必死に頭の中でシミュレーションしていたようです。

あと当時のノートによれば、CAの方が日本語で応対してくれたことに感激しています(実際、大韓航空のCAさんたちはこちらが日本語話者だとわかるとそれで対応してくれるのですごいな、と毎回思います)。

その他、当時のノートにはごちゃごちゃと書いているのですが、何はさておき。

イスタンブルにて1泊

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同日夜、今やすっかり懐かしくなったアタテュルク国際空港に到着、上の写真は入国手続きが終わってすぐの光景です。この光景を見るたびに、「ああまたここへ帰ってきた!」とかつて思っていました(「帰ってきた」とほんとうに思っていたのです)。

それくらい、空港が現在のイスタンブル空港に変わるまで、何度も利用したということなのでしょう。到着日はイスタンブルの定宿で1泊。フライトの前日もあまり寝れていなかったこともあり、イスタンブルの宿ではよく眠れました(そう書いてあるから間違いない)。

知り合いになっていたオーナーや従業員に、今回は南東部の方に行ってきますと伝えると、あちらのほうでは本当に気をつけるようにととても心配してくれたのを覚えています。それくらいイスタンブルとは空気も雰囲気も違うところだということなのですね。

また南東部への出発当日から、断食月明けの祝祭日にもなっていました。なので、早めに空港に行った方がいいともアドバイスを受けました。考えたら、断食月明けの祝祭日をトルコで経験したのは、これが初めてだったかもしれません。確かではないですが。

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いざ、アナトリア南東部へ

定宿から、新市街の方を見渡します。午前中にチェックアウトして、アジア側の空港、サビハ・ギョクチェン空港へ。国内便の多くがこちらの空港から飛んでいました。

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フェリーに乗って、アジア側へ渡ります。このフェリーもいいんですよね…

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とにかく写真を撮りまくろうと思っていました。どれかがいつか、どこかで役に立つことを知っていましたし、私費できたからにはモトをとらなければいけないと強く意識していたと思います。

フェリーで10分か15分くらいで、ヨーロッパ側からアジア側に到着します。そこからさらにリムジンバスに乗って、サビハ・ギョクチェン空港へ。

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フライトが近づいてきました。ディヤルバクル(Diyarbakır)と書いてあります。ペガサス航空といういわゆるLCCで、さあいよいよディヤルバクルへ。

他の乗客の会話からトルコ語だけではなく、クルド語らしきものも聞こえてきたのが印象的でした。そうです、ディヤルバクルはトルコ語だけでなく、クルド語がよく離される地域の代表でもあるのです。その景色を一度見てみたかった、というのが今回の旅行の趣旨でした。

ディヤルバクルへ

およそ2時間のフライトで、ついに初のアナトリア南東部へ。最初のお目当て、ディヤルバクルです。

道中の無事を祈りつつ、まずは最初の宿に無事たどり着くことを祈りつつ。

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うわあ。到着。ついに到着。歩いて空港を出ます。

いい天気でした。そして、暑い!蒸し暑い!

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道路の標識を見るだけで感慨深いものがありました。マルディン、バトマン(「バットマン」ではありません!)、シイルト。地図でしかみたことのない南東部各地の地名が書いてあります。南東部に、俺はいるのだ。スゲー。

とか言いながら。結局、空港からはシャトルバスで旧市街の中心部へやってこれました。祝祭日期間はバスも無料とのこと、さすがトルコであります。

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さっそく、城内の旧市街へ。まずは北の入り口からずっと南下して、南の者のほうへ向かいました。

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ディヤルバクルの城壁の長さは、万里の長城に次いで世界で2番目に長いとされています。このときはまだ世界遺産に登録されていませんでした(のちに2015年に認定されています)が、祝祭日ということもあって大勢の現地の観光客が城壁近辺を観光していました。

当然目立つ、日本人観光客の私。トルコ語が多少わかるというので、ずいぶんいろいろ話しかけられたようです。内容は覚えてないですが。

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城壁の中がこのように、スペースになっているところもあります。ここはケチ・ブルジュという史跡の地点で、中に簡易喫茶店みたいなところがたしかあって、そこで休憩がてら紅茶か何かを飲んだように記憶しています。

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城壁の上から、南方をながめます。絶景。素敵の一言でした。写真って、こういう絶景の感動を伝えるのがどうしても難しいですよね…単に撮影技術がないだけかもしれないですが。

十分城壁の外の風景を堪能した後は、再び城壁の内部、旧市街へ。見たい教会やモスクがいくつかあったのですが、結局全部を制覇はできませんでした。理由は後ほど。

とりあえず中を見ることができたのは、たとえばこのスルプ・グラゴス・アルメニア教会。

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モスクだけではなく、このようなアルメニア系の教会もかなりしっかりとした形で残されているというのが、素人の自分には意外だったのを覚えています。覚えているのは、こういう教会に入ろうとすると教会の人が大変喜んでくれたこと

教会に興味を持って来てくれたということでずいぶん喜んでくれたので、こちらもちょっとうれしくなったものでした。来た甲斐があったというべきでしょうか。

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さて、次に行きたいモスクは…ということでこの道から入っていこうとすると、強く当地の住人に止められました。なんでよ?と聞いても、理由は答えてくれなかったのですが、たまたまそこに座っていた老人(どうやら戦争で負傷されたか何かだったらしく、片腕を失っておられたのが強烈に印象に残っている)も「危ないからこの先に進むのはあきらめなさい」と。

そうか、彼らからしたら生活の場に知らない観光客、それも外国人に入られると困るということだったのかと思いました。泣く泣く諦めましたが、仕方がない。私も我が身は惜しいですし、何よりまだ実質アナトリアの旅行初日だし。

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ということで、初日は日用品の買い足しなどしながら、外側から城壁を取ったりしていました。翌日、お目当てのハサンケイフというところへ行きたかったので、夕方はケバブをいただいて景気付け。

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以上、ざっとですがディヤルバクル旧市街編でした。次回、翌日のハサンケイフ編に続きます!

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