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テュル活民なので『乙嫁』14巻を読んだ

テュル活民たるもの、日曜日も活動するべし。

…といいながら、ちょっとお金が入るとすぐ散財してしまおうとするのが我ながら悪い癖だなとも思うのですが、出費の用途がテュル活というのであればこれはもう、仕方ありますまい。トルコ語的に言えばYapacak bir şey yok.

私の定義によりますと、テュル活とは「直接・間接にかかわらずテュルクに関わるものごとに従事すること、およびその活動そのもの」となります。よって、

  • 語学(非テュルク系含む;非テュルクの言語を知ることによりテュルク諸語の特徴をかみしめる、という理由による)

  • 食事(広義のテュルク系含む;ただし長崎が誇る某高カロリーめしはテュル活に含まない)

  • 読書(問答無用でテュル活)

  • 旅行(非テュルク地域含む;非テュルク地域を見聞することによりテュルク地域のよさをかみしめる、という理由による)

こういったことを典型例として、全てが「テュル活」とみなされることになるわけで、一日一瞬たりとも気を抜くわけにはいきません。人生は短く、触れられる領域には限界がありますからね…。

ただ、もちろん体力と気力にも限界はあり、たとえば日曜日である今日などは語学をやる気はあまり起こらないわけです(やらんかい、という指摘もあるが本論文では特にその点については論じないこととする)。

となれば、読書しかないですね。読書もいろいろあって、たとえば新刊のマンガを読むのも立派なテュル活なわけですから、

乙嫁の14巻は読んでおかなければなりますまい。

そんなわけで、先ほどようやく読み終えたところです。ネタバレになるので、内容についてはほぼ触れないことにしたいと思いますが。

いや~さすが。期待にたがわぬ新刊です。発売3日にして、アマゾンで5つ星500個以上ついているというのもちょっとすさまじいですよね…。あと作者の森薫さん、本当に好きな世界の好きなものを描いているのだろうなという感想を持ちます。ぜったい馬を描くの好きですよね。

カザフスタン、アスタナの市内はずれの道路沿い。街中にいながら、なんちゅう広いところだ、とただただあっけにとられていた記憶があります。(2018年8月撮影)

返す返す、こういった素晴らしいマンガがヒットしていることもあって、テュルク世界にスポットライトが当たる(cf. 『テュルクを知るための61章』;明石書店)という時代だというんですから、よい時代になったものです。

おかげでテュルク諸語の話が世間に向けてしやすいというか。私らも端くれのさらに端くれの存在ながら、恩恵を受けている部分があるように思います。たぶん。知らんけど。

さて14巻では、アゼルのお嫁氏が登場しております。あとがきによると名前のジャハン・ビケというのは次の小説(叙事詩?)からとったとのこと。

جهان 
("jahān", ペルシア語なので右から左に読みます)

「ジャハン」と聞くと、おそらくペルシア語の「世界」という単語からとっているのかな、と思うわけですが、ビケはなんだろうな…カザフ世界あたりの何かが由来だろうか、とか。『乙嫁』は毎回読みながら、そんなことに脳のリソースをもっていかれるように思います。

ペルシア語系要素、実際かなり多いのですよね。テュルク・ペルシア世界というのは歴史的もかように融合していたというか混ざり合っていたというか。テュルク系であること、テュルク系の言語どうしであることがアイデンティティの形成に寄与しはじめたのは本当につい近代のことだ、という指摘が歴史系のいろいろな本で指摘されているなというのを最近読んで知ったことでありました。

そんなわけですからトルコ語を生業とする人間がテュルク諸語、中央ユーラシア、はたまたペルシア世界に興味をもつというのは、きわめて自然なことといえるのですよね。

…とこう書いているうちに、またペルシア語がやりたくなってきました。さっきのjahānのペルシア語のつづりも、確認のためにペルシア語の辞書引いたとこだし。

そうか…noteにこうやって記事を書くと、語学のモチベーションが上がるという効能はあるかもしれません。というわけで、テュル活のやる気を出させてくれる『乙嫁』が今後もまだまだ続きますように。

久しぶりに読者カード、また送っちゃう手はあるな…

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吉村 大樹
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