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二足目以降のわらじを求めて

二足の草鞋(わらじ)という表現がありますが、「草鞋ほしいな、二足といわずできればたくさん…」と最近特に思うようになりました。

昔は、草鞋一足分(私の場合はトルコ語ですね)をどうやっていいものにするかということばかり考えていたように思います。それはそれで楽しいし、今も、そしてこれからもやり続けていかないといけません。メシのタネですからね。

ですが、それだけだと飽きてくるという。我ながら困った性分だなということに気づいてしまったのです。正直に書けば。いや、ようやく少しだけまわりのことにも自分の興味関心が向かうようになったということなのかもしれませんが。

ともかく手っ取り早いもう一足の草鞋をこしらえたいということで、ここ数年アゼルバイジャン語にもとりかかっている…

ということは、普段私のnoteを読んでくださっている方ならすぐ気づいてくださるのではないかと思います。

この草鞋があるからといって、食える保証は一切ないのですがね。
なんなら別の草鞋、それほど目立たない草鞋ですが、「外国語としての日本語を教える」草鞋のほうがよほど生活の足しになりうるということはあります。アンカラでは実際それだったわけですし。

今後、草鞋(それにしても、わらじって何回も書いてるな今回)、できるだけたくさん追い求めにいきたいなと思います。とりあえずはお気に入りのを一足。

その大いなる一歩として、明日からしばし遠征に行ってくるというわけです。改めて思うに、2021年をしめくくるには、あまりにありがたすぎる仕事を授かったことです。Çok şükür.

できるだけ早く、商品になるようなレベルにもっていきたいですね…。

草鞋といえば、「ロシア語草鞋」も夢見ないこともないのですが、これはもう今のところは趣味レベルで、ぽつぽつやれればそれでいいかなと思っています。

人間、割けるエフォートには限界がありますからね。時間と気力・体力という制約や限界がある中で、作り上げたい草鞋のうちどれにどれくらいとりかかれるかを決めていくということなのだろうな…

…と、書いてしまうとあまりにも平凡すぎることをなぜか改めて思う、出発前日なのでありました。

さあさあ、何はさておき。久しぶりの現地に行ってみましょう。全てはそれからだ。

草鞋は、「一足」で両足分を指すのだそうですね。なんとややこしい。この記事を書いている時にそれに気づいて途中で内容を修正したのですが、先ほどまだ最初の勘違いが修正できていないままの箇所があったようで、当該箇所についてご指摘をいただきました。ご指摘感謝いたしまして、修正いたします。

2021年11月28日

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吉村 大樹
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