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山上ひかり・烏賀陽弘道       「こころにビタミン」6 有料版 30分版 ひかりさんも烏賀陽も、かつて「性の目覚め」って時代があったのだ。

誰にも子供から大人に移行する年ごろがあります。

それは「子供の自分」に別れを告げて、ひとりの自立した人間=大人として自我を確立していく時代です。

親、兄弟、親戚など「生まれながらにある人間関係」から抜け出して、自分独自の人間関係をつくり、自分独自の「好きなもの」を見つけていく時代です。「私とは何者なのか」を見つけ、育てていく旅立ちともいえるでしょう。

その「自分だけが見つけた人間関係」の最初は「友だち」でしょう。そこに男女愛が介在すると「恋」になります。

しかし、何もかもが「初めて」ですから、様々な混乱に放り込まれます。

自分が「昨日とは違う何か別のもの」に変容していくのですから、混乱しない方が不思議です。

それは嵐のような年代です。イモムシが蝶に変身するまでのサナギのように、一度人間は「子供だった自分」を解体して新しく「大人としての自分」を組み立てねばならないのです。

発達心理学では「個体分離」といいます。親との一体感から「自分」という「個人」を分離させる過程です。それは「成長」の重要なプロセスなのです。

こうした嵐のような時期を、精神分析学や文化人類学では「通過儀礼」(イニシエーション)といいます。「子供だった自分を殺し、大人として再生する儀式」のことです。ゆえに世界の文化の通過儀礼には「擬似的な死」がよく見られます。

身体が子供から大人になる過程は、男女で大きな差があります。

女性は身体が「あなたはもう子供ではないのよ」と、受胎・生殖可能な体になったことを自然に告げます。生理の始まりです。女性は、自分の体が「成人」になったことを教えるのです。

男性の場合は、精通し、性欲が盛んになっても、性交をするまでは「生殖」には参加できません。つまり子供から大人への旅立ちが始まりません。男性がやたらに「童貞か否か」に拘るのはそんな理由があります。

これは男女の身体構造の差異に起因します。

必然的に、女性は男性より、自分の身体に自覚的になります。

こうした男女の身体的・精神的差異に起因する悲劇、摩擦、衝突は延々と続きます。ときには「ハラスメント」と名前ががつきます。

そんな話をします。

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