フクシマからの報告 2018年春その2 今なお続く政府の初動ミスの後遺症 無意味な封鎖で住民に不必要な苦痛
2018年4月16〜18日、福島第一原発事故のもっとも深刻な汚染を受けた福島県飯舘村を訪れた報告の2回目を書く。前回書ききれなかった部分の補足である。
1年前の2017年3月31日、全村民の強制退去が解除された福島県飯舘村で、たった1か所、解除から取り残された集落がある。「長泥」という。ここには75世帯、268人の村人が暮らしていた。下の地図でいうと。飯舘村の南端に見える赤く塗られた部分だ。
(2017年1月9日付 福島民報より)
私は飯館村を訪ねるたびに長泥に足を運ぶ。
正確にいうと、集落には入れない。2012年7月、集落に入る4本の道路に金網の開閉式ゲートが設置され、封鎖された。住民は強制的に「避難」つまり退去させられた。私はゲートの前まで行く。
峠に設置されたゲートの向こうには、満開のサクラ並木が見ている。ここから集落に降りていく山道は、村人が植えたサクラが包んでいるのだ。
この長泥集落の封鎖ほど、政府の愚策を象徴する存在はないと私は考えている。自分たちの政策や法律のミスをごまかして、つじつまを合わせるために、住民たちに不必要な苦しみを与えている。
その詳細を以下の本文で説明しよう。
(冒頭の写真は飯舘村長泥集落へ続く道路わきにある『東電FUCK』の落書き。原発事故発生から7年経って、かなり文字がかすれてきた。下は2012年5月に撮影した同じ落書き。拙著『福島飯舘村の四季」カバー下表紙より)
(以下の写真は特記のないかぎり2018年4月16〜18日撮影)
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