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ロシアが考える「勢力圏」はどこまでなのか 旧ソ連構成国は主権国家とみなさず   繰り返される軍事介入        独特の「主権国家」観は欧米とは異文化     ウクライナ戦争に関する私見12    2022年6月11日現在

「ロシアがウクライナに侵攻した。きっとすぐに隣国のフィンランドや日本に攻め込んでくるに違いない」。そんな恐怖が日本や国際世論に流れている。今回の論考は、その可能性を検討してみる。

2022年2月24日にロシアが隣国ウクライナに軍事侵攻したとき、国際社会の反応は「驚愕」を通り越して「パニック」に近いものだった。その反応のひとつが「ウクライナに攻め込むなら、わが国にもロシアは攻め込んでくるのではないか」である。

 特にロシアと国境を接する国は、ウクライナの連想で我が身を案じずにはいられない。それは「恐怖」に近い「感情」であり、理性的な判断は後退している。

政策決定者が「そんな可能性は低い」と考えても、民主主義国では世論(=有権者)が政策決定の主役である。世論が理性的であるとは限らない。むしろ感情に左右される。

●フィンランド中立政策破棄の大転換
同年5月18日、フィンランド(とスウエーデン)が長年の中立政策を捨ててNATO(北大西洋条約機構)への加盟を正式に申請したことはその現れである。

ロシアと国境を接するフィンランドは、第二次世界大戦中に2回当時のソ連に攻め込まれている(第一次:1939年11月〜40年3月『冬戦争』第二次:1941年6月〜44年9月『継続戦争』)。

第一次でソ連は国際社会に侵略行為を非難され、国際連盟を除名された。第二次でフィンランドは防衛のためソ連と戦争していたナチス・ドイツと同盟。そのため今も国際連合憲章53条の「敵国条項」にリストアップされている。

第二次世界大戦後のフィンランドは、資本主義と議会制民主主義を維持しながら、西側の軍事同盟には加わらず「友好協力相互援助条約」を締結してソ連とは「友好関係」にあった。

フィンランドの例のように「フィンランド化」(Finlandization)=「大国の隣接国が、大国に敵対しないよう中立的な政策を取ること」という国際政治用語があるほどだ。

そのフィンランドのNATO加盟申請は、第二次世界大戦後77年続いた「中立政策の破棄」+「ロシア敵対陣営(とロシアは考えている)への参加」という大転換である。

スウエーデンにしても「武装中立」はナポレオン戦争=1812年以来の国是(実際はNATO・アメリカ寄り)であり、210年ぶりにそれを捨てる。

ウクライナ戦争はそれほどのショックだったわけだ。

(注)もしスウエーデンとフィンランドがNATOに加盟すれば、ロシアにとって3つしかない外洋への出口の一つであるバルト海ルートが完全にNATOの内海になることは前回指摘した。ロシアはますます黒海ルート→クリミア半島→ウクライナに固執する、というのが私の考えである

●日本もロシアの隣国かつ領土紛争抱える
実は、わが日本もロシアと海上で国境を接する隣国である。

第二次世界大戦末期、大日本帝国がポツダム宣言受諾を公知する1945年8月15日の6日前、8月9日に満州国(当時は大日本帝国の衛星国)や朝鮮半島(大日本帝国の一部)、樺太(南半分は同領土)に攻め込んだ。

降伏条約調印の同年9月2日後も、北海道の対岸ギリギリまで進軍は止まらなかった。その南クリル(千島)諸島の「択捉」「国後」「歯舞」「色丹」の4島は現在も「北方領土」(日本側の呼び名)として日本政府は「ソ連→ロシアの不法占拠」を主張している。

その後ロシア(ソ連)に動きがなかったかというと、朝鮮戦争(1950〜53年)の結果、朝鮮半島の北半分38度線以北に「勢力圏」(後述)=朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を樹立することに成功した。1910年に大日本帝国が李氏朝鮮を併合して以来、40年間動きが止まっていた帝政ロシア・ソ連の朝鮮半島での勢力圏構築が再開し、北半分で成功、そのまま固定化して2022年の現在に至る、ということだ。

こうした100年単位のビッグピクチャーから見ると、ウクライナ戦争を見て、フィンランドや日本の世論が「歴史の悪夢」を思い出すのは、故なしとはしない。

では2022年の現在、ウクライナに侵攻したからと言って、ロシアは今度はフィンランドや日本に攻め込んでくるのか。ウクライナと、フィンランドや日本などの間には何か違いがあるのか、ないのか.。

それをロシアの視点から考えてみよう。攻め込むも攻め込まないも、ロシア側の判断だからである。

●旧ソ連=「ロシアが優先的な国益を持つ地域」
 そこで「現在のロシアは、どこまでを自国の『勢力圏』(Sphere of Interest =SOI)と考えているのか」を調べてみた。

 国際政治用語での「勢力圏」の定義は「国家もしくは組織が支配する領土外において、文化的、経済的、軍事的、政治的な独占権をもつ地域」である。

2008年8月、当時のメドベージェフ・ロシア大統領が発表した「外交5原則」(通称)に明確な記述があるので引用しよう。(5)に注目してほしい。

1)ロシアは、文明的な国民間の関係を規定する国際法の基本原則を優先する。国際法の原則の枠内において、他国との関係を発展させる。

2)世界は多極であるべきで、一極支配 は容認できない。ロシアは、すべての決定が一 方の側からのものであるような世界秩序を受け 入れることはできない。それが米国のような重 要な国によるものであってもである。そのよう な世界は不安定であり紛争の危険がある。

 3)ロシアは如何なる国とも対立を望んでいないし孤立するつもりもない。米国及びその他の諸国ともでき得る限り友好的な関係を発展させていく。

 4)ロシアにとって、自国民がどこにいようとも、その生命と尊厳を擁護することが無条件に優先される。これに基づき、国外のロシア企業の利益も擁護する。誰かが攻撃をしかけてくれば、それは報復を受けるであろうと言う点を全ての諸国は理解すべきである。

5)ロシアには、世界のその他の諸国と 同様に「特権的な利害を有する地域」がある。これらの 地域に位置する諸国とロシアは伝統的に友好的 な善隣関係及び歴史的に特別な関係を有してい る。ロシアは、これらの地域において非常に注 意深く活動しており「近い隣国」との友好関係 を発展させている。

(5)にいう「特権的な利害を有する地域」という言葉は "spheres of privileged interests”と英語に翻訳されている。

"Privileged “は「特権的」というよりは「優先的」という語感を帯びている。これは前述の「勢力圏」(sphere of interest)よりさらに強い言葉だ。「ロシアが優先的な国益を持つ地域」と意訳すればよいだろうか。

(5)でまずロシアは「他の国と同じように、わが国には勢力圏がある」と宣言する。その地域は「伝統的に友好的 な善隣関係」「歴史的に特別な関係」「近い隣国」だと形容する。

ロシアが「歴史的」(過去)に「特別」「友好的」な関係にあった「善隣」的「隣国」といえば

①旧ソ連構成国
②冷戦時代のワルシャワ条約機構加盟国(東欧)

である。

中華人民共和国はかつては「共産主義の同志」「兄弟国」だったが関係が悪化、中ソ国境紛争(1969年)と中国のアメリカへの接近を経て、冷戦後は「敵ではないが同盟国でもない」という程度の関係である。北朝鮮はロシアのコア・テリトリー(心臓部)であるモスクワ周辺から遠すぎて「近い隣国」とは言えない。

そこに(4)を重ね合わせて読めば「ロシア系住民のいる」かつ「歴史的」に「特別」な「友好的」な関係にあった「隣国」とは旧ソ連構成国のことを指しているのは明白だ。つまりロシアは「旧ソ連構成国はわが国の勢力圏である」と2008年に宣言しているのだ。

本欄5「外交文書を読み解くリテラシー」で「『何を言ったか』より『何を言わなかったか』のほうが重要」という法則を述べた。

上の「外交5原則」で重要な「ロシアが言わなかったこと」は「旧ソ連構成国はロシアの勢力圏だ。そこでのロシア系住民保護のためには軍事介入も辞さない。グルジアはその一例だ」である。こうした「わざと言わなかったこと」を読み解くと、そこに外交文書の真意がある。

●政策変更前には「テーゼ」を発表するロシア
これは私見だが、プーチン・メドベージェフ体制のロシアは律儀というか、政策に変更を加えるときには「原則」や「理論」をあらかじめ声明や論文で発表することが多い。上記の「外交5原則」もそうだし、ウクライナ戦争を前にプーチン大統領が「ウクライナとロシアの民族的一体性」を説いた論文もそうだ。

社会主義では、こうした政策理念を文書にしたものを「テーゼ」(英語:
thesis。 ドイツ語:These 。フランス語:thèse )と呼んだ。「ある観念をまとめて表現・主張する文章」を指す。こうした文書や声明を党組織やマスメディアで回覧・公開し、国民に「なぜこの政策を取るのか」を説明し「指導する」建前になっている。

1917年4月、ロシア革命の端緒を切ったレーニンの発表した声明(『すべての権力をソビエトへ』のフレーズで有名)は「4月テーゼ」という名前で歴史に名前をとどめている。

プーチン大統領はそうした「先にテーゼを発表してから政策を実行する」というソ連時代のスタイルが今も好きなようだ。ということは、発表される「テーゼ」を解読してみると、何がやりたいのか、だいたいの予想をつけることができる。反対に「それまでとは違うテーゼ」がロシア政府から発表されたら「要注意」のサインということだ。

●NATO加盟合意の直後グルジア戦争は始まった

この「外交5原則」が発表されたのは、2008年8月7日〜16日のロシア・グルジア(ジョージア)戦争の直後というタイミングであることに注目してほしい。メドベージェフ大統領が「5原則」を公表したのは「なぜ独立国であるグルジアに軍事侵攻したのか」という国際社会からの疑問に答える形になっている。

グルジアはソ連時代の構成国だった。崩壊後は独立国になった。しかし「アブハジア」と「南オセチア」という2地域の分離独立をめぐって内戦が始まり、それにロシアが軍事介入した(ロシア軍とグルジア軍のどちらが先に攻撃を始めたのかは双方が相手側を非難している)。

戦闘の結果、グルジア軍は両地域から撤退。ロシアは両地域を独立国として承認。自軍を残した。グルジアにとっては自国領のロシアによる占領である。

ここで「外交5原則」を読み返すと、その意味がわかる。

まず(5)でロシアはグルジアを「優先的な国益を持つ地域」と考えていることがわかる。

次に(4)。南オセチアでは、人口の8分の7がロシアのパスポートを持ち、3分の2がロシアで収入を得ている。

この「5原則」のロジックを使えば、独立国であるグルジアに軍事侵攻するのは「グルジアにいるロシア国民の生命と尊厳を養護する」「国外のロシア企業の利益を養護する」という建前を主張できる。

れっきとした独立国=主権国家であるグルジアへのロシアの侵攻は「国家主権の侵害」である。しかしロシアは「グルジアはロシアの勢力圏(旧ソ連構成国)だ」「そこにいるロシア系住民の保護のためだから、主権侵害も許される」と公式に表明している。


●ウクライナ戦争はグルジア戦争とそっくりの相似形
お気づきだろうか。これはウクライナ戦争でのロシアの主張・行動と瓜二つの相似形を描いている。

2014年の「クリミア半島危機」から2022年のウクライナ戦争に至るまで、ロシアが変わらないのは次の2点である。

①「ドネツク」「ルハンスク」というロシア系住民が大半を占めるウクライナ内2州のウクライナからの分離・独立運動を支援
②クリミア半島がロシアに帰属するという主張

クリミア半島のロシアにとっての戦略的重要性は本欄10で詳しく説明したので今回は省略する。下記リンクを参照してほしい。

(注)私は2022年のウクライナ戦争を、2014年に起きた「クリミア半島危機」から続く「8年戦争」だと考えている。あるいは、2014年を「第一次ウクライナ戦争」・2022年2月の軍事侵攻に始まる戦争を「第二次ウクライナ戦争」と呼んでもいいだろう。2014年以降も「ドネツク」「ルハンスク」2州でのロシア系分離派とウクライナ軍の衝突はずっと続いていたからだ。

ウクライナへの軍事侵攻のロシアが主張する理由のひとつは「両州におけるロシア系住民の保護」だった。軍事侵攻の数日前、ロシアは①の2州を独立国として承認した。

この「旧ソ連構成国内にいるロシア系住民の保護を口実に軍事侵攻する」という手法は、グルジアとウクライナでまったく同じである。

ついでにいうと、ロシア・グルジア戦争が始まった2008年8月とは、4ヶ月前の同年4月に、NATOがグルジアの「将来的な加盟」に合意したばかりというタイミングだった。この「ブカレストNATO首脳会議」でグルジアと並んで「将来的な加盟」を認められたのがウクライナである。

(注)NATOは正式の加盟手続きである「加盟国行動計画=MAP」への両国の参加は見送った。

グルジア戦争が起きた2008年の時点では、ロシアが敵対的と考えるNATOの「東方拡大」(旧ワルシャワ条約機構国・旧ソ連構成国の加盟)はすでに始まっていた。

1999年:ポーランド、チェコ、ハンガリーがNATOに加盟。
2004年:バルト三国、ルーマニア、ブルガリア。

ロシアがグルジア戦争を始めたのは「グルジアとウクライナが敵対陣営に入ってしまう」というタイミングだったことがわかる。ロシアにすれば「まずグルジアに軍事侵攻すれば、ウクライナもわが国の意図を理解してNATO加盟を諦めるだろう」と考えたのではないか。

●ロシアは独特の国防感覚を持っている
これまで本欄で、ロシアは隣接する国が

①強大化
②敵対化
③勢力圏から離脱

しようとすると、その国を弱体化しようとすることを指摘した。この手法は、帝政ロシア〜ソ連〜ロシア共和国と一貫して変わらない。その手法を大雑把に分類すると

(A)内乱を誘発する・支援する=グルジア、ウクライナ、モルドバなど
(B)分裂させる
(C)分断国家として固定する=南北朝鮮や東西ドイツ
(D)軍事介入して敵対的な政権を転覆する=チェコ、ハンガリーなど

である。

●ロシア系住民の保護を名目に内乱誘発・介入
ここで「5原則」のいう「ロシア系住民の保護」は(A)(B)という名目は、グルジアとウクライナに応用され「アブハジア・南オセチアのグルジアからの分離独立」「ドネツク・ルハンスクのウクライナからの分離独立」という形で内乱・内戦化したことに注目してほしい。

「内乱・内戦の誘発・支援」にはもうひとつロシアにとって利点がある。内戦状態にある国のNATO加盟は、ほかの参加国が認めないことだ。内戦状態にある国と軍事同盟を結べば、同盟に引きずられて他国の内戦に巻き込まれる。「ヨソのもめごと」に引きずり込まれてしまうのだ。

これは、オーストリア・ハンガリー帝国内・バルカン半島の局地的な民族紛争に、全世界が同盟関係で引きずり込まれた第一次世界大戦の悪夢の再来である。欧州諸国としてはいちばん起きてほしくないシナリオだ。

(注)第一次世界大戦の始まりについては、詳説する紙数がない。参考文献としてバーバラ・タックマンの「8月の砲声」 (ちくま学芸文庫) を挙げておく。

ロシアが秘密工作で(ロシア政府は決して認めないが)ロシア系住民の蜂起・独立運動を起こせば、その国がNATOに加盟することを防げる。内戦が続く限り、その国はNATOには加盟できない。ロシアにすれば内戦がズルズル続いてくれるほうがいい、という結論になる。

●少数民族として生きていくしかない旧ソ連のロシア系住民
ソ連が崩壊した1991年時点で、旧ソ連内のロシア連邦以外の構成国には約2500万人のロシア系住民が住んでいた。実はウクライナはその中で最大、833万4000人のロシア系住民を抱える。全人口の17.2%である(グルジアの紛争地であるアブハジアは9.1%、南オセチアは3.0%)。

植民地帝国が解体すれば、本国に帰るのが、これまでの大英帝国やフランスの植民地帝国や大日本帝国の常であった。しかし、陸続きの「ソビエト帝国」の経験は特異なものである。2500万人ものロシア人が帰還する現実的な方策は立ちようもなく、ロシア本国にも受け入れる態勢はない。かれらは、ロシア連邦以外の各共和国において「少数民族」として行きていくほかないのである。(山内昌之『帝国とナショナリズム』岩波書店)


つまり、旧ソ連構成国は、国内にロシア系住民を抱える限り、ロシア連邦がその保護を名目に介入し、敵対的な政権をつぶす、政策を反転させる可能性があるということだ。ウクライナ戦争はまさにこのコースをたどった。

●他国への介入は主権侵害だが人道上なら許される=R2P

こうした外国による他国への「保護する責任」は別にロシアの専売特許ではない。国際政治用語で「人道的介入」(R2P=Responsibility to Protect)という。「人道的理由に基づく場合は、国家主権が制限されうる」=「他国の軍事・政治介入が許される」という論法である。

これは「諸国家間の法的平等」「内政不干渉」「領土的一体性の尊重」といった古典的な国家主権秩序(=『ウエストファリア的秩序』と呼ばれる)には抵触する。しかし、その国の中で人道的な危機が起きている場合は、例外として、国家主権を侵害してでも他国の介入が認められる。そんな主張だ。

「人道的介入」は冷戦後に出てきた論法である。旧ユーゴスラビア内戦や、ルワンダ内戦で数十万人の死者を出しながら、欧米が介入をためらったことを教訓に生まれた概念だ。1999年のNATOによるユーゴスラビア空爆(コソボ独立をめぐる内戦への介入)や、2003年のイラク戦争では、欧米によってこのR2P論が使われた。

ロシアは、こうした欧米のR2P論には猛反対してきた(シリア内戦へのロシア介入は例外)。これは前述の2008年「外交5原則」(1)でも「国際法を守ります」と宣言しているので、筋は通っている。

●ロシアは旧ソ連構成国を主権国家扱いせず
ところが、旧ソ連構成国のグルジアやウクライナ(先立つチェチェン戦争)になると、ロシアの態度は反転する。「ロシア系住民の保護」という「R2P」論をそのまま使って、軍事介入をためらわないのである。

つまりロシアは「旧ソ連の内・外」で「主権国家への不介入原則」を正反対に使いわけている。ミもフタもなく言ってしまえば、ロシアは旧ソ連構成国を主権国家扱いしていないのだ。

●イデオロギー追求から実利と国益追求へ
カーネギー財団のロシア人国際政治学者であるドミトリ・トレーニンはロシアの勢力圏について、”influence”(影響)”Interest”(国益)という言葉を使い分けて定義している。ロシア政府の考えについてよく表現していると考えるので、引用してみよう。

同じ「勢力圏」でも

ソ連時代:Sphere of Influence=影響圏

ロシア時代:Sphere of interest=国益圏

現在のロシアの勢力圏に関する考え方は、2000年代中期に遡る。ソ連時代に比べると、ロシア共和国の考える勢力圏ははるかに小さく、そして軽い国益に基づく。加えて「影響圏」というほど強制的でもない。ソ連時代のイデオロギーは、ロシアではプラグマティズム(実利主義・現実主義)に転換した。「影響圏」が包括的かつ排他的であるのに比べると「国益圏」ではもっと具体的かつ個別的な国益を摘示することができる。そして国全体ではなく、ある国の中の政治・軍事的、経済的、金融的、あるいは文化的な地域に絞られる。

The current policy of Russia's spheres of interest dates back from the mindset of the mid2000s. Compared to the Soviet Union's, the Russian Federation's sphere is not only much smaller, but also much “lighter”—“interests” after all are not as compelling as “influence.” In Russia, and throughout the former Soviet Union, ideology has been replaced by pervasive pragmatism. Unlike “influence” which tends to be both all-inclusive and exclusive, “interests” are more specific and identifiable. Rather than whole countries, they include these various politico-military, economic and financial, and cultural areas within them.

D.Trenin "Russia's Spheres of Interest, not Influence"
The Washington Quarterly, Volume 32, 2009

トレーニンの言葉を私なりにまとめてみた。

ソ連が崩壊してロシアになって
変わらない点>
勢力圏は維持する。
<変わった点>
①政治的目的
イデオロギー(共産主義)ではなく、国益という実利に転換。
②手法
一国を丸ごと取らなくてもよい。国の一部でも国益を確保できればよい。

もう少し詳しく検討してみよう。ロシアの軍事・政治研究者である小泉悠氏の著作『帝国ロシアの地政学』(東京堂出版)から引用する。

<かつてソ連時代の勢力圏>
①ソ連の領土そのものに組み込まれていた地域
②ワルシャワ条約機構や経済相互援助会議(COMECON)といった諸制度を通じてソ連主導の体制に組み込まれていた地域
③不安定で限定された影響力だけを発揮できたアジア・アフリカ諸国

小泉、前掲書。

ソ連崩壊と冷戦終結で、ロシアは②③を勢力圏と考えなくなった。しかし一方、旧ソ連構成国は依然「勢力圏」だと考えている。

ソ連崩壊で「支配圏」のような強固な勢力圏は失われたものの、旧ソ連諸国は依然「影響圏」とみなされ続けてきた。(中略) つまり旧ソ連諸国はロシアにとって単なる「外国」ではなく、ロシアが一定の影響を及ぼすべき「勢力圏」だということだ。

小泉、前掲書。

<旧ソ連構成国の現在>
①ロシア主導の政治・経済・安全保障枠組みに加盟し、ロシアと概ね共同歩調をとる国々=カザフスタン、ベラルーシ、アルメニアなど。
②①から距離を置く国=ウズベキスタン、トルクメニスタンなど。③NATOやEUへの加盟を目指す国=ウクライナ、グルジアなど。

小泉、前掲書。

引用した『帝国ロシアの地政学』(東京堂出版)が出版されたのは2019年である。同書で小泉氏は「ロシアにとって決定的に好ましくないと考える行動」として「NATOやEUへの加盟」を挙げている。すると、グルジアとウクライナという、ロシアに軍事侵攻された旧ソ連2国は、どちらもその「虎の尾」を踏んだことになる。

●ロシアの主権国家観は西欧とは異文化
そもそもロシア、特にプーチン大統領の「主権国家」に関する考え方は西欧型民主主義国とはまったく違う。「異文化」と考えるべきだ。

2017年にサンクトペテルブルグで開かれた「サンクトペテルブルク国際経済フォーラム」で、インドのモディ首相、オーストリアのケルン首相らと登壇したプーチン大統領は「ドイツには制限された主権しかない」と話したことがある(2017年6月2日、 St Petersburg International Economic Forum plenary meeting)。

それに先立つ2017年5月27日、ドイツのメルケル首相(2021年12月退任)は、アメリカのトランプ大統領の登場やイギリスのEU脱退を受けて次のように発言した。

「ヨーロッパがアメリカやイギリスに完全に頼ることのできない時代が来た。これからは、私達の運命は自分の手で決めなくてはならない」

このメルケル発言について、プーチン大統領は前述の経済フォーラムでこうコメントしている。

世界の中で「主権」(sovereignty)を享受している国はそう多くありません。誰も悪く言うつもりはないのですが、メルケル首相の発言は「主権」が制限されていることへの長年にわたる嫌悪感から出たものであることは間違いないでしょう。

軍事・政治同盟の枠組みでは、公式に「主権」は制限されています。何をしていいか、してはいけないのか、明文化されています。しかし現実はもっとひどい。許可のないことは何もしてはいけない。誰が許可を出すのかといえば、リーダー国です。そのリーダーはどこにいるのか?彼らははるか遠くにいる。

繰り返しますが「主権」を持つ国はそれほど多くありません。ロシアは「主権」を大切にします。おもちゃにしたりはしません。国益を守るために「主権」はどうしても必要です。国家の発展を確実にするためにも必要です。


There are not so many countries in the world that enjoy the privilege of sovereignty. I do not want to hurt anyone but what Ms Merkel has said was dictated, among other things, by long-standing resentment – I assure you, despite whatever she might have said later – over the fact that sovereignty is in fact limited.

By the way, it is limited officially within the framework of military-political alliances, where it is stipulated what may and may not be done, but in reality, it is even worse: Nothing is permitted except for what is permitted. And who gives permission? The chiefs. And where are the chiefs? They are far away.

To reiterate, there are not so many countries that have sovereignty. Russia treasures its sovereignty, but not as a toy. We need sovereignty to protect our interests and to ensure our own development.

(プーチン大統領の発言はロシア語。
英語訳はクレムリンウエブサイトより)

つまりプーチン説による「主権国家」とは「他国の指図や許可なしに、国益や発展を守る行動を決めることができる国」という意味になる。そして「そんな国はそう多くない」と述べる。

この論法を敷衍すると、NATOのようなアメリカ主導の安全保障体制の枠組みにいる国はすべて「制限つきの主権しかない国」ということになる。

●プーチン「ドイツには制限つきの主権しかない」
EUの主要経済大国であるドイツを指してそう言うのだから、日米安全保障条約下で防衛と外交政策をアメリカに依存している日本も当然その「制限された主権しかない国」に入る。

続けて同フォーラムで、プーチン大統領は「主権」を持つ国としてインドと中国を挙げている。そこにロシア自身を加えると、共通するのはすべて核武装国だということだ。国家の最終的な生存を自国で決める軍事力を完結させている国だけが、プーチン大統領による「主権国家」ということになる。

このロジックを旧ソ連構成国であるグルジアやウクライナに当てはめると「旧ソ連国」かつ「非核武装国」という意味で、二国の主権は二重に否定される。あくまでロシアの視点からすれば、だが。

●メルケル首相・プーチン大統領はお互いをよく理解
これは余談だが、ドイツのアンゲラ・メルケル元首相とプーチン大統領は「意見は合わないが、お互いをよく理解している」という関係だった。

というのは、メルケル氏は1989年のベルリンの壁崩壊・ドイツ統一まで、東ドイツで育ったからだ。1990年には最後の東ドイツ政府で報道官を務めた経歴がある。生まれは西ドイツ(ハンブルグ)だが、キリスト教聖職者だった父の転勤で東ドイツに移ったのだ。

ベルリンの壁崩壊の時、メルケル氏は35歳。偶然だが、プーチン大統領は当時37歳のKGB職員としてベルリンに駐在していた。当時のベルリンは東西対立の最前線である。プーチン氏は当時社会主義の兄弟国だった東ドイツの「お目付け役」だった。

そんな経歴のため、メルケル氏はロシア語が、プーチン大統領はドイツ語が堪能である。そしてどちらもソ連型の社会主義体制で生きることがどんなことなのか、熟知している。

しかしベルリンの壁崩壊やソ連崩壊についての見解は正反対である。

それまで物理学者だったメルケル氏は、ベルリンの壁崩壊・ドイツ統一をきっかけに政治の道に足を踏み入れる。

「彼(プーチン大統領)はそれが人生最悪の出来事だったという。私とっては、自由に生きる人生の到来でした」(2022年6月7日、首相離任後最初のインタビューで)

●メルケル首相「プーチンは西欧型民主主義が大嫌い」
2007年1月21日、黒海沿岸のソチで開かれたドイツ・ロシア首脳会談の会場に、プーチン大統領の愛犬、黒いラブラドールの「コニー」がなぜか突然「乱入」した。

プーチン大統領は愛犬家だが、メルケル氏は大の犬嫌いである。プーチン側はそれを知っている。上の記事の写真では、満足げな笑みを浮かべるプーチン大統領とは対照的に、メルケル首相はひきつった顔をしている。

もちろん愛犬の乱入は、ロシア側が用意した演出・ジョークだろう。それにしても、かなり際どい。メルケル首相が報道陣の前で取り乱したら、大失点である。メルケルにはそういう危ないジョークをぶつけても構わない。それぐらいの信頼関係はある。プーチン大統領はそう考えていたのだろう。

そのメルケル氏は前述のインタビューで、プーチン大統領について「西欧型の民主主義が大嫌いで、EUなんか潰してしまいたいと思ってる」とかなり大胆かつ辛辣な人物評を語っている。「軍事力による抑止だけが、彼の理解できる言語だった」とも述べている。退任後、かつウクライナ戦争中のインタビューなので、遠慮がない。本音なのだろう。

●ロシアは1968年のブレジネフ・ドクトリンに逆行
こうした「勢力圏の国には軍事介入してもかまわない」というロジックは、ソ連時代の1968年に当時のレオニード・ブレジネフ書記長が公表した「ブレジネフ・ドクトリン」に近似している。

当時、民主主義化(社会主義体制からの離反)を実行しようとしたチェコスロバキア(プラハの春)にソ連軍・ワルシャワ条約機構加盟国軍が侵攻し、改革を潰した。

ソ連は西側諸国はもちろん、社会主義国からも非難を浴びた。そのときにブレジネフ書記長が介入の正当化のために発表したドクトリンが「社会主義体制を守るためには主権は制限される」=「ソ連が必要と判断すれば内政干渉や軍事介入も許される」という主張だった。「制限主権論」とも呼ばれる。

この「ブレジネフ・ドクトリン」は、1985年にゴルバチョフ書記長が「内政不干渉」を打ち出して破棄されたことになっている。

ところが2008年のグルジア戦争・メドベージェフ外交5原則で、ロシアの政策はブレジネフ・ドクトリンとほぼ同じ内容に戻ってしまった。ペレストロイカ以前に40年も逆行してしまったことになる。

安全保障政策では、プーチン体制(メドベージェフ大統領時代、プーチンは首相。その後大統領に復帰)はソ連時代と変わらない「他国への介入OK主義」に逆戻りしたということだ。その範囲が「旧ソ連構成国」、目的が「社会主義体制」から「国益」に変化しただけである。


●冷戦終結後も勢力圏争いは終わらず
 
話を少し戻す。

「勢力圏」の原義"Sphere of Interest" は「ある国家の利害(=国益)に関係する地域」である。つまりある国家Nが「その地域にはわが国の国益がかかっている」と判断する地域Rは、国外であっても「勢力圏」と見るわけだ。勢力圏Rで他国Pが利益を伸ばすことを国家Nは好まない。自国の国益を減じる行為と考える。

「勢力圏」というと帝国主義時代の言葉のように思うかもしれない。第二次世界大戦後、国際社会から帝国主義は退場したことになっている。建前上はそのとおりだ。

しかし続く冷戦時代、米ソを筆頭とする東西陣営は「勢力圏」を拡大すべく、アジア・アフリカ・中南米・中近東など世界中で自陣営に各国を引き込もうと表裏両面で鍔迫り合いを繰り広げたことは歴史が雄弁に語っている。

2022年の現在もそれは続いている。NATOの東方拡大(かつての東側同盟国=ワルシャワ条約機構加盟国がNATOに参加)がその一例だ。

ソ連崩壊・冷戦の終結後、ワルシャワ条約機構は解散した。ところが冷戦時代の東側に対抗する軍事同盟であるNATOは存続し、かつての東側国に加盟を広げた。それがロシアの警戒と不信を呼んだ。最終的にはグルジアとウクライナがNATOに参加すると表明した。

それが軍事侵攻の遠因になっていることを2022年5月16日付本欄記事「地政学から見たウクライナ戦争 なぜロシアはクリミア半島にこだわるのか 海洋への出口をめぐる300年の闘争」で書いた。

言うまでもなくNATO加盟国はアメリカ・西欧の「勢力圏」である。ポーランドやチェコは冷戦時代はソ連の「勢力圏」であり、ソ連・ロシアにとって敵対陣営から自国を引き離す「バッファーゾーン」の役割があったことも書いた。つまり冷戦終結から40年を経た現在も、アメリカ・西欧とロシアは「勢力圏」を広げるべく「押したり引いたり」を続けているのである。

●大陸国家ロシアの特殊な地政学環境
ロシアは地政学的に特殊な条件を負っている。既出も含めてもう一度まとめてみよう。

地球上の陸地の9分の1を占める広大な領土。

そこに侵略者を防ぐ自然の障壁(山脈、河川、海など)がほとんどない。

陸地を通って外敵が侵入する歴史が繰り返された。

国境は隣国との交渉・同意で引かれた人為的な線に過ぎない。

戦争や革命、政治交渉で国境線が動く。

ゆえに「国境は陸地に人間が引いた線に過ぎない」「いつその国境を越えて外国が侵略してくるかわからない」という「被害者意識」がロシアの集合的無意識に根を下ろした。

歴史的にみても、モンゴル帝国から始まって、ポーランド王国、オーストリア・ハンガリー帝国、オスマン帝国、ナポレオン、ナチスドイツと、ロシアの歴史は「侵入してきた外敵との戦い」の連続である。

これは私見だが、ロシアの安全保障政策の基調低音には、こうした「いつ侵略されるかわからない」という恐怖、被害者感情が脈々と流れているように見える。それはときに「過剰防御的」「被害妄想的」にさえ思える。

まして今のロシアは核武装した軍事大国なのだから、外から見ると攻撃的で侵略的な「危険な国」に見えてしまう。

そうした地政学的な条件から、ロシアの安全保障政策にいくつかの特徴があることは前述した。

「隣国の強大化・敵対化を嫌う」
「隣国を弱体化させようとする」=分裂、内乱、分断国家化など。
「敵対勢力との間にバッファゾーンを置こうとする」

●ロシアは隣国の弱体化を望む
ゆえに、ロシアは外国であっても隣接国に干渉することをためらわない。政治・経済的な介入であることもあれば、軍事的介入であることもある。その目的は「自国に友好的であること」だ。すると「勢力圏」を自国の周りに作ることになる。

ところがこの動きを外から見ると「ロシアは隣国に干渉的」または「拡張主義的」と映る。「ロシアは侵略的だ」と考える。ロシア政府は「いやいや、わが国の安全のためにやっているのです」と主張する(あるいは本気でそう思っている)。しかし周囲は不安と恐怖にかられる。

こうして不安・恐怖→不信・猜疑→対立・紛争という負のループに入る。これはロシアと周辺国の間で解決したことのない歴史的なジレンマである。双方とも相手への認識が食い違っている。

ロシアは今も敵対する陣営(例:NATO)との間にバッファーゾーンを置きたいと考えている。ウクライナ戦争でウクライナの「中立化」「非武装化」をロシアが要求しているのも、ウクライナをバッファーゾーンにしたいという願望の表現である。

ところが、そうやって隣接国に干渉すればするほど、周辺国は怯えて対抗陣営に入ろうと必死になる。それはロシアには敵対的な行動と映る。さらに攻撃的になる。

そうやってロシアと隣接国、西欧・米国陣営は、終わりのない猜疑と不信、結果として軍事エスカレーションのループにはまって抜け出せなくなる。

ウクライナ戦争は、その最悪の帰結といえるだろう。

(2022年6月11日、東京で記す)

(冒頭写真:Map and flags of the 15 republics of the former USSR / Getty Images)

<注1>今回も戦争という緊急事態であることと、公共性が高い内容なので、無料で公開することにした。しかし、私はフリー記者であり、サラリーマンではない。記事をお金に変えて生活費と取材経費を賄っている。記事を無料で公開することはそうした「収入」をリスクにさらしての冒険である。もし読了後お金を払う価値があると思われたら、noteのサポート機能または

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<注2>今回もこれまでと同様に「だからといって、ロシアのウクライナへの軍事侵攻を正当化する理由にはまったくならないが」という前提で書いた。こんなことは特記するのもバカバカしいほど当たり前のことなのだが、現実にそういうバカな誤解がTwitter上に出てきたので、封じるために断っておく。

(冒頭写真:Map and flags of the 15 republics of the former USSR / Getty Images)


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