悲哀と言うほどでもない 低層マンション文学#2

 大学で東京に出てきたけど、結局地方出身者が多く、なぜか関東の国公立大学は東大以外はほとんど23区内にない。そのため、大都会に足を伸ばせる距離にはいるけど、ターミナル・ハブの駅で遊ぶことが多かった。

 たまに合コンしても、同じ大学の友達の友達か、部活の友達か。いつか明治の友達に呼ばれた合コンで大学名を言っても、誰も知らなかった。国立なんだー、すごいねー。ああ、僕が高校時代に口を酸っぱくして言われていた国立国立と言う言葉は、ここでは全然役に立たない。そうすると、自分のこれまでの努力がいたたまれない気持ちになって、そんなことは無いんだと信じるために、また同じ大学の友達との出会いを求めるようになる。

 GMARCHは強い。成成明学もオシャレだ。日東駒専はメジャーで、早慶上理には太刀打ちできない。これは偏差値の話ではなくて、大学生活での感覚の話。もちろん、東京出身の彼らの中には別のヒエラルキーが出来上がっているんだろう。しかし、僕らの前にはまた別の壁が立っていた。

 民放が3つしかない。めちゃイケが日曜午後にある。遊びに行くところは限られていて映画館は2つか3つ。友達の友達が本当に周りにいるし、何なら親戚も。大学時代に帰省したら皆が車を持っていた。一人暮らしの家賃は軽く1.5倍。

 離れて分かることがたくさんあった。地元は大好きだ。帰る場所があることは素晴らしいし、幸せ。その中で、大学を終えて帰る場所に住む人と帰る場所と住む場所は違うと思う人が存在する。僕は後者を選んだ。

 東京っていうのは、人を飲み込む魅力を持っている。家賃は高いし、スーパーの食材は高くて地元よりも味が落ちる。人は多くて、皆が何かに追われるように規則正しく電車に乗って通勤し、終電と始発の間は4時間くらいしかない。それでも、尚惹かれてしまう。この感覚を理解してくれる人は多いだろうか。それともそんなにいないのか。

 地元に帰ると、20代で結婚して家を建てて親になって、仕事でも安定してて幸せそうな友達が羨ましくなる。休日には子供と遊ぶ。アウトドア、映画。楽しそうな家族だ。時々飲み会。昔の思い出と今の生活を共有する。そして終電を逃してタクシーで帰るか、カラオケオール・スナックで始発。家に帰ったら怒られるのかな。それで平謝りする。

 それにも増して、僕は東京の怪しげで見せかけで底知れぬ魅力に捉われている。これは地方への優越感だと思う人もいるかもしれない。ただ、どっちが上とかでは無くて選択の問題。1人で家賃の高い新宿近くの低層マンションに住んで未来を想像することもなく、1人でだらだらと楽しく毎日を、恵まれたモノとコトに囲まれて過ごすのがいいか、地元で家族と楽しく過ごすのがいいか。ただそれだけ。

 少なくとも、僕は今の生活を気に入っている。それは麻布や青山の高層マンションから見える景色ではないけど、それでも東京で暮らしたいという理由には十分だ。

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