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令和歌謡論③ 杯杯ではいはい

 好きなことは掘り下げだすときりがない。乃紫さんの曲に歌謡曲を感じる、その郷愁はどこにあるのでしょうか。

 一応聴ける曲は全て聴きました。というかしばらくそれしか聴いてません。その中でもいくつかの曲をピックアップして紹介します。

 僕が昔ネットで聴いた初期の初期の「踊れる街」。最近になってMVがYoutubeで公開された。街というモチーフは都市に関わらずどこにでも存在するもの。それぞれ生まれ育った地域に憧れる街が存在する。そこに行くときはワクワクするし、踊るような気持ちになって時間を過ごす。そしてまた行きたいと思うのが街(都市)。ダンシング・シティで、ところ構わず(好きな人と)二人で踊って。周りの人たちも、僕たちも楽しむ中でその街の音楽は鳴り続ける。疾走感も相まって、最終回と始まりのような高揚感があります。

「とある夏」で爽やかに謡われるのは日本の夏。蚊取り線香、西瓜、花火、ラムネの瓶、蝉の声。サビから始まり、Aメロ、Bメロはなだらかに進んでいくコード進行。これは僕たちが幼い頃に聞いていた唱歌に似ている。18才を思い出す大人になった今の自分には、毎年夏が来るたびにずっと変わることのない思い出として刻まれているんでしょう。「思い出してしまう」というのは間違いなく普遍的。大輪の下からは、東京事変の「長く短い祭」大輪のしだれ柳をイメージする。椎名林檎さんの曲はJ-POPとは異なる擬古文的な日本語で歌謡曲の要素があると思っている。そこに「今は炭酸の麦」(麦焼酎炭酸割)が渋すぎてやられます。よい、は宵であっているのかな。

「先輩」は70年~80年代の女性の強さや妖艶さを現代にアップデートしています。昭和歌謡は、時代に即した男性像や女性像への共感が必ずある。例えば、男性は孤独に強く己の道を進むような姿に憧れを覚え、女性は清らかで美しいみたいな。これはステレオタイプ的なものだけど分かりやすいイメージでもある。逆に、キャンディーズの「年下の男の子」や郷ひろみの「男の子女の子」みたいに、牧歌的で穏やかなモチーフも存在する。これが令和歌謡では、年上の女性に憧れて掌で転がされる経験の少ない大学生の男の子になるわけ。そこで「先輩」というワードがしっかりがっつり効いてくる。昭和ではスケバン(中学生・高校生)の強い女性だったのが、令和では大学の先輩(学科・サークル)に変わった。それを男の子目線から語るのが、乃紫さんなりの令和歌謡で抜群にかっこいい。「先輩」は令和のパワーワードになるかもしれない。

 初のMVである「杯杯」は、タイトルからも字面からも妖しげな雰囲気が漂う曲。打ち込み、曲調は90年代HIPHOPの影響が強い感じがする。韻を踏むことを当たり前にやってしまうのが凄いとしか言えないんだけど、その中の言葉遊びが抜群にかっこいい。回る円卓と酔い。普遍性を持ちつつ新しい時代で受け入れられるかどうかは、作る人のセンス。チャイナ服での爆食い、「杯杯」=「はいはい」って考えて酒飲んで聞いてればいんじゃない?くらいの軽いノリが意外と面白くなってくる。華金の一人飲みで考えていそうなこと。色々言われるごちゃごちゃした世界でも好きなことやって生きていけばいいんじゃない?あーはいはい。




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