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誰かの思想に触れるとき

 尾崎世界観さんの「泣きたくなるほど嬉しい日々に」を読んだ。自分の好きなバンドマンのエッセイは時々買って読んでいる。峯田和伸さんの「恋と退屈」は何度も読んでゲラゲラ笑って泣いた。野田洋次郎さんの「ラリルレ論」は授業で使ったことがある。共感することがあるかと言われると、そういうわけでもない。どちらかというと、自分が好きな唄を作る人たちの感性に触れたいからという理由。

 アーティストの人たちの人生は、僕らとそれほど違うわけでもない。しかし、その原体験や表現者になった経緯を知ることが面白いんだ。大学時代はそこそこの頻度でライブハウスに通い、友達のバンドのマネージャーみたいなこともやっていた。どれだけの人たちが夢を見て破れていくかも何となく知っている。だから、バンドで飯を食っている人たちは本当にすごい。その人たちも誰かしらの影響は受けているだろうけど、曲を作って、誰かに響かせる/響くという事自体が奇跡みたいなもん。

 繰り返しになるけど、そこまで波乱万丈な人生を送っているというわけじゃない。バンドをやっていた。何かのタイミングで売れた。けど、売れたことがどうというよりも、その人たちが過ごす日常が好き。音楽とどう関わっているのか、他者とどう関わっているのか、一人の時は何を考えているのか。ファンだから知りたいっていう気持ちはある。

 ただ、言葉にしづらいんだけど、ただそのバンドが好きだからではなく、「知りたい」。その人たちが何を考えて、生きているのかを。読んだ後、小説を読んだような気持になる。一つの物語、それは虚構ではない生の物語。

 ノンフィクションは第三者目線の客観的な話、ある意味記録に近い。自伝、一人語りは小説に近い。私小説を大学の講義で扱い、志賀直哉の「城の崎にて」「和解」のように人生を物語として語ることの面白さも感じた。彼らの語る物語は振り返りであり、自己暴露であり、日記である。

 歌詞を書く人たち、曲を作る人たちに共通していると思ったのは、とにかく頭の中に言葉やメロディが浮かんでくるんだろうということ。読んでいて惹き付けられる。もちろん、曲が好きだから選んで読んでいるんだけど。人のことを知って嫌いになることもあれば好きになることもあるでしょう。どちらになるかは受け取り方なので、自分にしか分かりません。しかし、自分が好きな曲を作る人の文章を読むと、また好きになってしまう。曲=思想だから。好きな曲を聴くということは、誰かの思想に触れるっていうこと。


 泣きたくなる。今日は明日の昨日。銀色のプール。9月。名前は?カムパネルラ。全部思想が思想では言葉で。だから好きになってしまう。

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