私のトラウマ、人生遍歴
私は虐待されて育った。
今日は私のトラウマに関しての説明を行ってみたいと思う。
連日、怒りに包まれている。
人間を殺したいと毎日思う。
それだけの感情が湧くくらい、幼いころの私は感情を殺された。
私は毎日怒られた。
家の人間に脅された。
話さないと、応答が遅いと怒鳴られた。
話せば、意味が分からないと鼻で笑われた。
怒鳴り方も尋常ではなかった。
殺意を向けられた。
これは感じ方だ。
何者にも否定されるべきでない。
何が起きたかは問題ではないのだ。
私が、どう感じたかが全てで、真実だ。
私は虐待されていた。
そのことに気付いたのは、私が生まれてから約24年経過してから知った。
言葉で脅すことも、虐待に当たるらしい。
家に帰ると夫婦喧嘩を見せられた。
それも虐待に当たるんだとか。
とにかく、親が何かを私に向けるときはいつも怒っていた。
私は毎日それに怯えて過ごした。
家からよく追い出された。
正確に言うと、私が家から命からがら、逃げ出したのだが。
泣きながら近所を歩いて回った。
異常性があったと思う。
この異常性に気が付くまでには、相当な時間が掛かった。
周りの人間の家庭環境も、なかなかに複雑だったからである。
それに、私が小学生の真ん中の頃、離婚して母親は家からいなくなったので、激情的な感情に見舞われることは格段に減った。
それでも、身体が人間を拒絶しているから、家にいるときはずっと怯えていた。
小学校の頃も、ほとんどを不登校で過ごした。
中学校も同様だ。ぼんやりとしていた。
何も判断できなかった。
私は、人生の上で何かを決めたことなどなかったと思う。
何かしたいと訴えてみても、そうではなくてこれをやりなさいと言われた。
どうせ続かないとも言われた。それに関しては、私の性質的に真実な気もする。だけど、私は私の話を家の人間に聞いてもらったことはないように思えた。いつも私の意思よりも、正しそうな意見を取り出しては私を殴った。
高校は療養施設みたいなレベルと空気感のところに行った。
先生からの紹介と、私の意思が不在だったから、言葉のままに行った。
高校は3年間続けて通うことが出来た。
いい場所だったと思う。
部活も勉強も、人間関係も、生徒会も頑張って取り組んだ。
ここでの交流や経験は、今でも私の中で生きている部分だと思う。
組織が好きなのだと思う。人間関係を見ながら、チームで仕事を成し遂げることが好きな素質が、この頃からあったように思う。
大学へ進学することになった。進学先を提言された。
私には意思がなかったので、そこへ行くことにした。
学部がまったく合っていなかった。
興味もなかったし、勉強内容も確実に適合がなかった。
転部したい気持ちもあったが、そんなエネルギーもなかった。
大学では人間関係のトラブルを起こして、意気消沈していた。
よく学校に来れるね。とか、まだ居たんだ。とか言われた。
陰湿だ。人間としての底が知れるな。あんまり好きではない。
これはただの愚痴だ。
大学でも、生徒会みたいな組織に属していた。
人間と企画する組織が好きらしい。
考えること、エネルギーが集まる場所。
そういうところが、私は好きなのだろう。
恋人が出来た。
私はここで心を回復する機会を得た。
4年間。治療のような属性を持っていたと思う。
本当によくしてもらった。恨んだこともある。
そのくらい、この人間を愛せたということだ。
悪くないだろう。いいことだ。
高校の頃から知っていた人だった。
よく笑う人だった。
笑うことは大切だ。
日常に色をつけてくれる。
どこに行っても、いつも楽しかった。
この人は、私を人生で一番救った人だと思う。
その後、彼女とお別れしたと同時に、発達障害が発覚。
今度は発達障害と戦闘することになる。
古い友人に心を拾われつつ、実家に帰った。
実家に帰る前日には、親に身体を焼かれる夢を見た。
トラウマが蘇ったのだろう。叫びながら起床した。
家に帰ってからというもの、身体は震えるし、食事は出来なくなるし、歩きながら涙は零れてくるし、散々な暮らしをした。
母親が精神疾患だったことを、この時点で初めて知る。
父親は母親から毎日罵声を浴びせられ、頭がおかしくなっていたらしい。
かといって、私が怒鳴られるのも違うわけだが。
しばらくして、就労移行を利用することになった。
自分で探し出した。
人間、追い詰められたらなんでもできる気がした。
精神科も自分で見つけた。
生きようとし続けている。
私は私を常に生存させようとしている。
就労移行では、企画課というところに自ら飛び込んだ。
話すこと、アイデアを創出すること、チームで仕事をすることが好きな私には適性があった。
広報誌を作成するチームのリーダーになった。
実は大学の頃も広報誌を作成するチームリーダーに任命された過去があるので、なんだか適性があるらしい。まっとうできるとは言っていないが。
大学では、それが原因で資金を無駄にしてしまい、辞職することになった。
就労移行でも、頑張りすぎとタスク管理が苦手過ぎて、広報誌の作成を危うく達成できずに、また失敗経験を積むところだった。
この時は、有能なチームメンバーがいたので、タスクを管理する表を作成してもらうことで、危機を回避することが出来た。
また、他にも協力してくれるメンバーを勝手に集めて、終業後にも会議とか開いていたので、ブラック根性丸出しといった感じである。
楽しかったので、まあいい。ガストは永遠の友達。食べ飽きた。
就労移行では、経験は詰めたものの、体調が一切安定せず、結局退所することになった。2年の利用上限があるためだ。約1年間利用して、体調があまりにも酷かったので、入院することになった。
入院する前の体調としては、家で発狂したり、外で倒れたり、家のタンスを水筒で殴って破壊したりしていた。
入院中は、一人暮らしするための家を探していた。
歌って過ごした。看護師になじられた。知ったことか。
あんたたちは黙って業務だけしておけ。
入院中は暇で仕方なかった。
患者と会話してみても、私は元気がいいらしく、煙たがられた。
鬱の人間には、双極症の私は相性が悪いとか説明された。
ひたすら、筋トレと読書と歌を歌って過ごした。
退院後、一人暮らしを開始した。
就労移行②にも通うことにした。
日中活動はやはり回復の鍵だろう。
暇だから、プログラムを自作して提出した。
ディベートするという内容のプログラムを作成して提供した。
参加してくれた方からは好評だった。嬉しかった。
ここでも、私は企画を勝手にしていたわけなので、相変わらず、楽しいことをつくるのが生きる上で必要な項目になっているのだなと感じた。
ここで交流を持った、信頼できる人から「場所が違えば天才と呼ばれていたと思う」と言われた。歴代の褒め言葉の中でも群を抜いて印象に残っている。天才と(間接的に?)言われたのは初めてだった。
評価している人間からの褒め言葉は嬉しいものだ。
しかし、結局体調は安定せず、スタッフからトラウマを抉られた僕は、また就労移行を去ることになった。スタッフからは「家族なんだからいずれ仲良く暮らせるようになる」とか、意味不明なことを言われた。私は親に人格を破壊されているわけだが、殺人犯に会いたいと誰が思うというのか。なんなら、あなたの大切な人間を一匹殺害してから、その人と握手して仲良くしろと命令してやりたいようだった。この支援者は理解できていない。家族だから仲良くとか、寝言は寝て言え。虐待は人間を殺す。人を殺すのはよくないことだな。被害者感情とか想像できないあんたは相当な加害属性を持っているよ。想像力が欠けているってのは、悲しいことだね。経験値が足りないんだよ。もっと混沌とか知って出直して来い。二度と会いたくないね。最悪の気分だ。
その後、通っていた病院で医師に「あなたにかけている時間はないんですよ」とキレられて、僕も「わかりました、二度と来ません」と宣言して精神科のドアを蹴破り、現在の病院に転院したところ、双極性障害という診断名が降りました。この時の新しい病院探しも、医師の経歴まで調べて決めたので、なんというか、一患者としては労力をかなり払ってしまった方だと思う。生きるためには、あとどのくらい苦労すればいいのだろう。
転院は2回した。発達障害も、双極症も、自分の力で見つけ出した。
診断が降りる前から、何となく理解していた。
自分から「双極性障害だと思う」と何度も告げた。
結果、医師からキレたれたわけだが。
でも、人間として最低だよな。
顧客にキレるな。精神科にぶち込むぞ。
そして、デイケアの利用を開始した。厳密に言えば、転院する前から利用しているのだが、まあ誤差の範囲だろう。
デイケアでは座学をしたり、パソコンの勉強をしたり、タイピング練習をしたり、自由に本を読んで過ごしたり、ぐったりしていたり、した。
話し相手はいなかった。人間にあまり関心がないのだろう。
みんな、身体とかぶつけてくるし、どこか機能として欠如している感じがした。これは悪口とかではなくて、ただの事実の羅列だ。
そんな感じでぶらぶらと過ごしていたら、インターネット経由でネット心理教育の人員として拾われた。
嬉しかった。
私をまともな人間として見てくれたことも嬉しかったし、なんだか楽しそうなことに巻き込まれるのは、私は好きだから、歓迎して迎えてしまう。いいことだ。心がわくわくすることをやってみよう。どうせ死ぬんだ。感動して死のう。それに、これに参加したら、なにかスキル的に磨かれる気がした。
人間への恐怖心の克服とか、話のスキルを磨くだとか、そんな意味合いが私の中にはあった。
そして現在、生活としては、一人暮らし、デイケア、ネット心理教育という活動量の中に私は生活している。
今通っている病院の医師、受付、薬剤師はみんな信頼がおけるいい人間たちだ。穏やかで、頭が良く、安心できる。不安感がない。それは素晴らしいことだ。ありがたい。
信頼できる人間の数は相変わらず少ない。
昔、友達だと思っていた人間も、今は関わりがなくなった。
カミングアウトしてから、距離が離れたように思う。
僕は頭がおかしいから、仕方のないことだと思う。
人生は選べない。
親も、脳みそも。
私の出来ることを目一杯やろう。
どうせ死ぬんだ。いいんだ。
そんな僕は、あとどれだけ人間と対峙して、抱えたり踏みつけたり、乗り越えたりして、この命を納得させられるのだろうか。
私は私を生存させなければならない。
誰に否定されても、私は生きよう。
殺されるなんて、くだらない。
読んでくれてありがとう。
私の人生は大体、こんな感じです。
それでは、失礼します。