白とグレー
「一緒に暮らすか」と言われたときは自分の耳を疑った。
いつもの気まぐれかもしれない。明日になれば「そんな事言ったか?」と笑って濁すのかもしれない。
でもそれは40年もの間頑なに閉じられていた扉の鍵を渡された瞬間で、そっとその扉を開けると、暗闇の中で息を潜めるように膝を抱く小さな男の子と目が合う。
「大丈夫だよ」
男が手を差し出しながら声にすると、震える小さな手が伸びてくる。
滑り込むように差し込んだ一筋の光が暗闇を溶かしていき、キラキラと煌めく光明が男の子を抱きしめた。
貴方は光のような人だ、強く優しい光。
男は「綺麗だ」と呟いた。
カラッとした秋風が頬をひんやりと撫ぜる、或る週末の昼下がりだった。
少し厚めのブランケットを探したいと言いだした社長、矢代に付き添って、駅の近くに最近できたインポートを扱うお洒落な家具屋に入る。
矢代が幾つかの雑貨を手に取りながらぶらぶらと歩き、目的地の寝具コーナーに辿りつく。その後方から、黒のスーツに黒の革手袋をはめた、ボディーガードさながらの出立ちの男が続く。
「あーこれこれ探してたやつ。やっぱ暖かそうでいいな」
矢代がお目当ての商品を手に取り、男の方を振り向く。
「百目鬼、カート持ってきてよ」
百目鬼と呼ばれたその付き添いの男は「すぐに」とだけ言うと、踵を返して入り口の方に向かう。
カートを押して戻ってくる途中、すれ違った若い女の子二人組が笑いを堪えるように手を口に当て、ちらっとその大きな体躯とカートに目を上下させ肩を震わせる。
急いで戻ると、矢代からも「お前が持つと、カートがオモチャみてー」と笑われ、先程の女の子達の視線の意味を理解する。
今の今までここ数ヶ月の抗争の名残が抜けず、気を張りながら矢代の周辺に目配りしていたのに、クックと無邪気に笑うその姿に邪気を抜かれていく。
今日の買い物の目的のブランケットをカートに突っ込み、「んーじゃ次は…….」と独り言ちながら、矢代が枕カバーを手に取る。
白とグレー、両手に持ちどっちがいいか決めかねてるようだ。
「…….百目鬼、お前だったらどっち?」
迷った末、決断は百目鬼に向けられる。
「自分は……シーツ類は白しか使ったことないので」
寝具類はおろか、インテリア全般に関して全く興味がないので、なんの参考にもならない返事をする。でもすぐに思い直したように、「あっ、でも矢代さんにはグレーが似合ってます」と付け加える。
すると、矢代が両手にあった枕カバーを棚に戻し、その下の段にある別の商品に手を伸ばす。そして「まぁ、確かにお前は真っ白だな」と何やら意味ありげにほくそ笑み、
「じゃー、これは俺とお前って事で」
とその白とグレーのストライプ柄の枕カバーをカートに入れた。
普段表情筋が無いにも等しい百目鬼の瞼が大きく開き、その言葉の真意を確かめるように、矢代をじっと見詰めてくる。自分の存在が貴方の中で何者かになってるって思っていいんですね、その瞳がそう訴えている。
矢代は返事の代わりに、もう一つストライプ柄の枕カバーを取り、「これお前の分な」と無造作にカートに投げ込む。
甘い言葉とか堅い約束とかは要らない。ただ貴方の側で生きていく理由が欲しい。それを与えられた気がして、百目鬼はまるでおやつを貰った犬のように尻尾を揺らした。
その白くて従順な犬は、待てと言ったらきっと石になるまで待つだろう。矢代はもっと大きなご褒美を与えてやりたくなって、
「一緒に暮らすか」
そうポツリと呟いた。
店を出たら外は暗く、二人の足は自然と矢代のマンションに向かう。
ネオンに化けたまやかしの世界を避けるように、早足で言葉少なげな矢代と、その背中を追う百目鬼。単調な二人の足音が交差点の大型スクリーンから流れてきた音楽と掛け合う。
信号に待ちぼうけを食らってる間、街の灯火に選ばれたかのように浮かび上がる綺麗な横顔を恍惚と見入っていると、「ジロジロ見んなよ」と矢代の眉尻が少し下がり、何やら心ありげな視線を向けてくる。
「最初のお揃いが枕カバーって…….なんか、やらしーな」
耳元から誑かされ、安い挑発に乗せられた百目鬼は、反射的に矢代の腕を掴もうと手を伸ばした。
その手をスルッと器用にすり抜け、体を擦り付けながら百目鬼の周りを一周するグレーの猫。しなやかなその肢体は伸びをするようにお尻を突き上げ、にゃーんとおねだりをする。
猫の尻尾がクルンと腕に巻き付いたとこで、「信号変わるぞ」と矢代に腕を引っ張られた。
真っ白なシーツの上で、白とグレーのストライプ柄の枕に寝そべる自分と、その隣で丸くなって眠るグレーの猫。百目鬼はそんな情景を頭に浮かべながら、前を歩く背中に告げた。
「合鍵が欲しいです」
貴方の心の、と願いながら。