お持ち帰られ喫茶店❹|ささやく声が、とどく距離。
※画像はイメージ画像です。
お持ち帰られ喫茶店、大好評です。
考えてみれば、この世には男の自慢話があふれている。溢れているというか、もう、そこいら至るところに自慢話が転がっている。
というか、とっ散らかっている。
犬は歩かずペットカートに乗せられて、棒にあたることはなくなった。しかし、男の自慢話にぶつかる時代である。
男は自慢話がしたいのである。
したいの、したいの、自慢したいの!
自慢〜自慢〜自慢ばなしのはなし〜♪
「俺の、俺の、俺の話を聞け〜♪」モードである。
だが、それは、時の流れとともに「俺の若い頃は違った」のむかし話モードへと変態していく。
老化である。
どちらの話もゴミであることに大差ない。
ゴミは、ゴミ箱へ。これ、マナーです。家庭の生ごみと、男の自慢話・むかし話は、指定された収集日をまもってお出しください。
男のしたり顔の自慢話や武勇伝など、煮ても焼いても食えぬからな。
デンデンデデンデン♪ レッツゴー!
しかし、女は女で、明け透けに見えても、肝心なところは話さぬものだ。
皆、弱みを握られまいと、もしくはマウントを取られまいと、さもなくば生け贄になるのを避けようと、わが身を守るのに必死である。彼女らは笑顔の下で、リリックとライムで殴り合うのだ。
こわい、あたい、こわいわ!
まさに、鯖、威張る、箪笥である。
(サバイバルダンス)
言いたいことも言えないポイズンな世のなかで、わたしのようなささやかな秘め事のカミングアウトは珍しいかもしれない。
だって、しょうがないじゃないか!
たとえるならば、わたしは草だ、草なのだ。
2chでは、(笑)から、wが芽を出し、草生えた。
その草を、美味しそうに、はむはむはむと食むメスのうしさん、うまさん、うさぎさんのはなしなんだもの。
はっ!
も、もぐもぐタイムとは、このことか!
そのなかで言うなら、今回の主役(ヒロイン)はうさぎさん。白い白いうさぎさんだ🐇
だから、ゆきうさぎのみみと呼ぶことにする。
これは、うさぎさんにも食べられる、めずらしい草食系男子(なのか?)の話だ。
いや、おばあさんの振りしてあかずきんちゃんを食べちゃうオオカミの話か?
ん、まてよ、寂しがりの一匹狼が迷子の迷子のうさぎちゃんと一緒にぴょんぴょん跳ねて戯れていたら恋に落ちる話か?
(使い方、あってるか、これ?)
(自覚はないのだ、ないのだよ)
(うん、あれだ、よくわからん)
というわけで、そのあたりのことは有耶無耶にしたまま、うさぎさんに食べられる珍味の草の話をしようじゃないか。
全国一万人の『チェリーボーイ』、準備はいいかい? ちょっと刺激が強すぎたかい?
この『お持ち帰られ喫茶店』は、いつも、こんな風にはじまる。
わたしは珈琲が好きだ。
だから上京後は喫茶店で働いた。
こうして物語の舞台が整った。
カラン、コロン、カン♪
喫茶店の扉が開く音がする。
「いらっしゃいませ。一名様でしょうか?」
「いえ、違います。わたし、面接を受けにきました。」
彼女は言った。
「そうでしたか。では、こちらにお掛けになってすこしお待ちください。担当の者を呼んできます。」
「はい、ありがとうございます。じゃあ、失礼します。」
わたしはカウンターの端の席を指図する。
彼女はその席に座る。
わたしは店長を呼びに裏へと回る。
彼女こそが、ゆきうさぎのみみ、である。
当喫茶店には、姉妹店があった。
この時期、そこで働くスタッフを募集していた。
面接には、ゆきうさぎのみみ(以降、みみ)を含めた十数名ほどが受けにきた。
なかでも、みみは目立っていた。
みみは、ただ、かわいいとか、きれいとか、そういう分類ではなかった。
まるで、彼女を形成するすべてが、美しくも繊細な雪の結晶で構成されているかのような印象を受けた。
白く透き通った樹氷のような芯が、剥き出しのまま、もふもふした毛皮をまとっている生きもの、それが、ゆきうさぎのみみだった。
そして、最初から決まっていたかのように、みみは採用され、翌週から働くことになった。
みみの研修が始まった。
当喫茶店のドリップは独特だった。
お手製のネルを使ってドリップするのが基本なのだが、いくつかのバリエーションがあった。
安定した味が出せるようになるまで、ひと月は必要とされた。
みみは遅番のシフトだったため、わたしが、彼女の指導係りを任された。この店で働きはじめてすでに数年が経っていたわたしは、閉店作業も任されるベテランとなっていた。
(よろしくお願いします。)
※みみの場合、()は心の声ではない。
音量2くらいの声。ささやき声だ。
みみの声は小さい。
店員は、みな、彼女のことをウィスパーボイスと呼ぶ。略して、ウィスパーみみ、だ。(わたしが言い出しっぺだ)
エスパー伊東ではない。
(華奢なのでカバンには入れそうだが)
夜なら安心、の方だ。(あ、これも違うか)
彼女のささやく声は、モスキート音の閾値にある。40歳以上には、厳しい。70歳以上では、無音の世界へと誘われる。
鬼滅の刃でいうところの、透明な世界だ。
(なんか、ちょっと、到達感があって、よき)
「ん?ごめん、ちょっと聞き取れなくて。」
わたしは、みみの方へ耳を近づけた。
(すいません。普段は、喉に負担をかけないようにしてるんです。もう少し、大きな声で話します。)
「そうなんだ。できる範囲でいいよ。」
(ありがとうございます)
「うん、聞き返すことがあるかもしれないけど、それは大丈夫?」
(はい、大丈夫です。慣れてるので。)
「オーケーです。では、あらためまして、Uです。きみの世話役をすることになりました。本当なら、店長が教えるのだけど、諸々の事情で、おれに役がまわってきました。わからないことがあったら、何でも聞いてください。これから、ひと月?かな、どうぞよろしく。」
まるで、マニュアルに記載されたテンプレートのような説明しかできないわたし。
なんとも頼りない世話役である。
(みみです。わたし、こういうの初めてで、あ、こういうのっていうのは、飲食店で働くという意味です。なので、たくさん迷惑をかけてしまうかもしれませんが、よろしくおねがいします。)
「はい、大丈夫です。慣れてるので。」
ふたりで小さく笑う。
「じゃあ、最初は基本のドリップを覚えてもらいます。ドリップというのは、珈琲を淹れることのこと。」
(ドリップは、珈琲を淹れること。)
みみは、小さなメモ帳に、わたしの言葉を書く。
「みみさんは、丁寧なひとだね。」
(はやく覚えなくちゃって。わたし、忘れっぽいくて。だから。)
「うん、そうか。忘れたら何度でも聞いてください。ちなみに、店長が不機嫌なときは、聞かない方がいい。ここだけの話。」
(そうなんですね、気をつけます。)
「『なんども言わせんなー』(低い声)て、なる。あの顔で。」
(ちょっと、怖いですね。店長さん、迫力ありますよね。)
「そのとおり。みみさんよく見てるね。彼は、かつて、武闘家で名を馳せたらしい。ここだけの話。」
(そ、そんな感じ、します。わかりました。ここだけの話ですね。)
「略して、ここバナ。」
(略して、ここバナ。)
メモに書こうとする、みみ。
「それは、メモしなくていいのでは?」
(ですよね。)
そして、ふたりで小さく笑う。
「じゃあ、まず、おれが淹れてみるから見ていてください。」
(わかりました。)
珈琲豆の量を計り、霧吹きを吹きかける。
粒度の目盛りを合わせ、電動ミルの投入口へ放る。
かちりとスイッチを入れると、がががががと小気味よく珈琲豆が粉砕されていく。
それをカップで受け取り、開いたネルの中へと移す。
やかんのなかでぐらぐら煮えたぎる湯を小ぶりのポットに注ぐと、濡れタオルの上において、湯の温度をさげる。
間を開けず、湯で珈琲粉を蒸らす。
もあもあもあと、まるで息を吹き返した生きもののように、珈琲粉が大きく膨らむ。
その後、ぷつぷつぷうつと、蒸れた珈琲粉のドームから空気とガスが踊りながら逃げてゆく。
至福のアロマが辺りに漂う。
そのタイミングで、円を描くように本流の湯を注ぎ、珈琲に含まれるおいしい成分を抽出していく。
三分経てば、
はい、おいしい珈琲のできあがり。
「どう? できそう?」
(絶対に、無理です。無理すぎます。)
みみはプチパニックになったようだ。
「あはは。最初は流れを覚えるだけで十分です。ドリップやタイミングは慣れです。数をこなせば段々とできるようになるよ。」
(わたしのできる姿が、想像でまきません。)
「おれにも、いまは、想像できません。」
(あわわわ。どうしたらいいでしょうか。)
「とりあえず、一回、やってみましょう。」
(はい、そうですね、やってみるしかないですよね。)
「厳しめと、優しめ、どっちがいいとかありますか?」
(あ、わりと厳しめとか、好きかも。)
「ほー。厳しめ、オール?」
(あ、優しめも少々、お願いします。)
「かしこまりました。厳しめ中心の、優しさ少々のご注文でよろしかったでしょうか?」
(はい!おねがいします)
みみの研修という名の猛特訓が始まった。
なぜなら、みみは、とてもとても不器用だったから。
豆を挽いては、辺りにまき散らし、
お湯を注げば、床をびしゃびしゃにし、
珈琲粉をドリップしては、まるで、原子爆弾が投下された後のドームのように、こっぱ微塵となった。
あちゃー、である。
ふたりで、落としたての珈琲を交互に飲み比べてみる。
勿論、わたしの落とした珈琲はうまい。
カカオとバニラのなかにストロベリーの香りが立ち、キャラメルのような甘みとオレンジに似た酸味と、アーモンドの芳ばしさが感じられる色相豊かな味わいだ。
(すごく、おいしい!)
一方、みみの落とした珈琲は、こういっちゃなんだが、古今稀にみる出来映えだった。まるでそれは、魔界の悪魔が人間の苦しみを溶かしたような黒い液体とも呼ぶべき味であった。
(す、すごく、まずいです!)
(おなじ珈琲豆とは思えないです!)
(どうしよう!)
(さて、どうしよう)←ここは、わたしの胸のうち。
ふたりで目を合わせ、苦々しく笑う。
「うん、じゃあ、奥の手だします。」
(奥の手?そんなのあるんですか?)
「うん、出さなくてはならないと判断するに到達しました、残念ながら。」
(ご迷惑をおかけして、すみません。)
「これも仕事なんで大丈夫です。ちょっと、二人羽織みたいになってしまうけど、手を触れるのは大丈夫ですか?もし、嫌なら、やめておきます。」
(いえ、大丈夫です、教えてください、わたし、できるようにならないと。)
「オーケーです。では、失礼します。」
(お願いします。)
わたしは、みみの背後に回る。
わたしの右手でみみの右手を、同じように左手で左手をつかむ。
「力を抜いて。」
「はい。」
先ほどわたしがみみにしてみせた動作を、みみの手を操りながら通して行う。
「ごめんね。もう少し力抜いて。」
「はい、力抜きます。」
この距離だとみみのウィスパーボイスはウィスパーでなくなる。これは予定外の収穫。
ひと通り動作を終える。
それを何度か繰り返す。
ふいに、わたしとみみが一体となる瞬間が訪れる。
「今の良かったかも。」
「はい!なんか、すこし、わかりました!Uさん、すごいです!わたし、絶対に無理だと確信してたのに。」
「あはは、いや、確信はしないでね、何とかするから。」
「何とかなりそう。ありがとうございます!」
そんな風にして、みみの研修期間は過ぎて行った。(実際に、へとへとになったのはわたしの方だったが)
みみは独り立ちして姉妹店でデビューすることになった。
姉妹店といっても、あくまでも、わたしの働く店舗が本店である。姉妹店で働くスタッフは、ほとんどが、みみのような新米と、わたしよりも経験の少ない者ばかりだった。そのため、混みあう時間帯や、ひとの足りないときには、本店からヘルプを出していた。
その夜はわたしがヘルプに行くことになった。しかし、予想していたほどには混雑していなかった。
(あ、Uさん、来てくれたんですね!)
「うん、そんなに混んでなさそうだね。」
(はい、ついさっきまで、結構埋まってたんですが、ひいてきました。)
「そうか。じゃあ、おれが見てるから、ひと息ついたら?」
(ありがとうございます。そうしようかな。)
「うん、ひと休み、ひと休み。」
(あ、そうだ。Uさんに、わたしの落とした珈琲の味見をしてほしいなって思ってたんですが、、、)
「味見、オーケーです。コーチとしての責任があるからね。」
(うふふ。どうかなぁ、うまく落とせるかなぁ。)
「厳しめ中心の、優しさ少々でよろしいでしょうか?」
(うふふ。それでお願いします。)
「かしこまりました。少々、お待ちしていることにする。」
みみは、二杯分の珈琲をたてる。
ふたつのカップに注ぎ分け、一つをわたしに差し出す。
もう一つをカウンターに置いて、みみはその前に座る。
(Uコーチ、おねがいします。)
「うむ。」
(何が「うむ。」だ。気取りやがって、気持ち悪い。)←わたしの心のうち。略して、わたここ。
わたしは、まず、カップを傾けて色彩を捉える。
次に、鼻に近づけて、鼻腔に流れこむアロマの変化を感受する。
ひと口珈琲を啜る。
唇から舌先を通り、全体へ広がって、喉の奥へと消えていく際の香味の変化を静かに体験する。
「悪く、ない。」
(何が、「悪く、ない。」だ。まーた、気取りやがって、こいつはどうやらキドリーマンだ。おぇー。)←わたここ。
(ほんとですか?よかったあ。)
「うん、ほんと。大分、このブレンドの特徴出てる感じある。」
(わたし、成長しましたか?)
「大したもんだよ蛙の小便。見上げたもんだよ屋根屋のふんどし。」
(うふふ、何ですか、それ?)
「あ、知らないか。男はつらいよって映画の台詞なんだけど、みんよね。」
(寅さんですね、見たことないけど。)
「うん、でも、褒めたのは本当。」
(うふふ、よかった。)
そう言って、みみは、カウンターに置かれたカップに顔を近づけ、珈琲をすすった。
ずずず。
「うさぎみたいな、飲み方するね、きみ。」
(あ、すいません。いつもの癖で。)
「いつもの癖?」
(はい。あ、わたし、家ではあまり手、というか指を使わないようにしてるんです、怪我したらいけないから。)
そう、みみは、音大の声楽学科に通っていたのだ。
「ああ、そうか、音大だったよね。ピアノ?」
(ううん、声楽。だけど、自分でも弾くから。)
「じゃあ、あまり喫茶店で働きたくないとか。あ、ここバナで。」
(それは大丈夫です。できる範囲で気をつけてるだけなので。ここバナ、了解です。)
「ならよかった。店での怪我でみみの夢が挫折したら、コーチとして面目ないから。あれ、なんか本当にコーチ気分でいるな、おれ。」
(Uさん、わたしのコーチですよ。こっち来てからあまり会えないでけど。)
「こどもを送りだす親の気持ちってこんなかもね。」
(やだ、こども扱いしないでください。)
「ごめんでござる。」
(うふふ、Uさんて、面白い人ですよね。)
「ふざけすぎなのが玉に瑕、なんてね。そんな大したやつじゃないよ。」
(いやいや、Uさんの淹れる珈琲、感動ものです。)
「お、何か食べたいものはあるかね?」
(えっ、良いんですか?)
「えーと、ほら、値段が書いてないお鮨とか、すごーくむかしの果実酒とかでなければ。」
(じゃあ、ハーゲンダッツ!)
みみは、ハーゲンダッツが好物であった。
うーん、直感的な印象ってばかにならないものですね。そうなのだ、わたしは、こうやって、直感的なあだ名をつけることを、密かな楽しみにしていた人(その話は、また、別の機会に譲ろう!)。
「男に二言はない。1ダッツや2ダッツくらい、食べなさーい!」
(バラエティパックとか、ダメですか?)
「バ、バラエティパック??」
(はい、あの色々な味が入ってるのがあるんです。)
「図々しいやつめ、いいけども!」
(うふふ、だって、あれ、二種類ずつ入ってるんですよ。一緒に食べられるかなって思って。)
「前言撤回します。きみは、優しい人だ、わたしが保証しよう。」
(いつ食べますか?)
「うん?いつでもいいけど、ここに買ってこようか?」
(うーん、、、)
「つぎに、みみが本店に来るときにでも用意しとこうか。まあ、ハイエナどもにたかられると思うけど。」
(うーん、、、)
「どちらでも。」
(希望言ってみていいですか?)
「もちろん。」
(もし、Uさんが良ければ、うちで食べませんか?)
「みみの家で?」
(まえにUさん、ギター弾くけどアパートだと音が漏れるから、あまり弾けないって言ってたじゃないですか。わたしが住んでる部屋、完全防音なんですよ。周りもみんな音大の子ばかりで、夜中でも平気で演奏できるんです。だから、もし良かったら、て思っていたりして。)
「それ、きみの迷惑にならない?」
(ぜんぜん全然。夜中に友達同士で練習してたりしますから、大丈夫です。)
「ハーゲンダッツ食べられるし?」
(ハーゲンダッツも食べられるから。)
「もっ、てなに?おれ、きみに食われんの?」
(違いますよ、違いますよ、Uさんの弾き語りも聴けるしの、も、です。)
「あはは、危うく食されるとこだった。」
(もう、ちがいますよ!)
「じゃあ、みみはいつが空いてるの?」
(そう、だなあ、うーん、たとえば、今度Uさん、こっちにヘルプに来るのいつですか?)
「ああ、たしか、来週の予定。」
(その日、わたしもシフトあるので、その後とか、どうですか?)
「その後だと、だいぶ遅いけど、大丈夫?」
(わたしは夜型なんで、平気です。Uさんが大丈夫なら。)
「おれが、もし、ぐーぐーいびきかいて寝ちゃっても、冷ややかな視線で寝顔を刺さないなら、行かせていただきましょう。」
(刺しませんよー。Uさんこそ、わたしの散らかってる部屋をみて、冷ややかな視線で刺さないでくださいね。)
「約束しようじゃないか。」
(うふふ。ありがとうございます。)
ということになったのだ。
これはなにやら、何やらの予感がするが。
童貞諸君!ついてきているかな?
ぴょん、ぴょん、ぴょん。
翌週、わたしたちは、仕事終わりにみみのマンションへ向かった。
最寄りの駅で降りると、駅前のコンビニでハーゲンダッツのバラエティパックとお酒を買い込んだ。
わたしはアコースティックギターを肩にかけてお酒の入ったレジ袋を持ち、みみはハーゲンダッツの入ったレジ袋をぶら下げて帰った。
みみのマンションは、ハウスメーカーのCMにでてきそうな、小洒落たコンクリートのマンションだった。
小洒落た植木に、小洒落た玄関のライトに、小洒落たオートロックがついていた。
小洒落たボタンのエレベーターに乗り、小洒落た通路を通り、小洒落た部屋に入ると、中心には、大きなグランドピアノが置かれていた。
(わたし、部屋着に着替えちゃうんで、寛いでてください。)
荷物を片付けた後、みみはそう言い残して洗面所へ向かった。
わたしは、みみの着替えを待つ間、ギターの弦の調音をして待った。
部屋着に着替えたみみが戻ってくる。
白いもふもふの部屋着に着替えたみみは、本当に、ゆきうさぎのようだった。
「おつかれさん。」
(おつかれさまです。あと、いらっしゃいませ。)
「うん、お邪魔してます。」
(いえいえ、こちらこそです。)
「ほいじゃ、まあ、飲みますか。」
(賛成です。)
こつん、と缶を合わせる。
「みみは、お酒つよいひとか?」
(んー、つよくはないけど、好きです。というか、飲まないとやってられません。)
「病んどりますなー。」
(はい、病んどります。きょうは飲んでもいいですか?)
「そりゃ、きみの家だもの、お好きなように。」
(でも、Uさんとハーゲンダッツ食べないと。)
「あとでね。」
(はい。あと、もう一つあるんですよね。)
「なに?〆のラーメン?」
(違くて、弾き語り、Uさんの。)
「あー、高いよ、それ。」
(えー。)
「ハーゲンダッツくらい。」
(残り全部で足りますか?)
「手を打とう。」
(聴かせてくれますか?)
「うん。楽譜あるから、一緒に弾くか。」
(ええー、いいですけど、わたしピアノはそんなに上手じゃないですよー。)
「声楽学科のきみが、わしに弾き語りを求めておいてようゆうたな。」
(それと、これは、また別というか。)
ほろ酔いになったふたりは、流行りのポップソングを何曲かあわせて弾いた。
みみのピアノは、ずっと上手だったし、時折、歌うハーモニー、ふだんのささやき声とは異なり、よく通る声だった。
すっかり、酔いがまわったころ、ふいにアイスのことを思い出した。
「そうだ、みみ、約束のハーゲンダッツ、食べないと。」
(あー、そうでした、これはいかんです。)
「酔っ払いめ、おれが持って来てあげよう。」
(そんなそんな、ありがとうございます。)
「持ってこさせる気しかないな、おぬし。」
(バレていますか。)
「きみの成長を横で見てきた身ですから。」
(その節は、お世話になりました。)
「なに味?」
(バニラで。)
「気があうじゃないか、きみ。」
(んふふ、ありがとうございます。)
「食べさせてしんぜよう。」
(これは、これは、ありがたきに。)
「よく意味わからんけど、ま、いっか。」
「ほら。」
(ぱく。)
「ほら。」
(ぱく。)
「ほら。」
(ぱく。)
その様子にパブロフの犬を思い出したわたしは、くくくと笑い出すのを堪えながら、みみにバニラアイスを食ませる。
「ほら。」
(ぱく。)
「ほら。」
(ぱく。)
「ほら。」
(ぱく。)
差し出すバニラアイスをうさぎのように首を突きだして、ぱくぱく食べるみみを見ていたわたしは、バニラアイスの白さと、みみの白さに吸い寄せられるように顔を近づけた。
そして、バニラアイスでぬれたみみのくちびるを、そっと、食んだ。ぱく。
みみのくちびるの動きがとまる。
わたしはみみのくちびるを離す。
みみが、わたしのくちびるを食む。ぱく。
わたしも、みみのくちびるを食む。ぱく。
みみが、わたしのくちびるをやわらかく食む。ぱく。
わたしも、みみのくちびるをやわらかく食む。ぱく。
みみが、わたしのくちびるに吸いつく。ちゅぱ。
わたしも、みみのくちびるに吸いつく。ちゅぱ。
みみが、わたしのくちびるにつよめに吸いつく。ちゅぽん。
わたしも、みみのくちびるにつよめに吸いつく。ちゅぽん。
みみは、わたしにからだを預ける。
わたしは、片手で、みみの髪をなでる。
どちらともなく、指と舌をからませる。
みみの上着の裾から手を入れ、からだの曲線に沿ってなでる。
みみの吐息が、わたしの首すじを擽る。
「だめ。」
「だめ?」
「シャワー浴びなきゃ…」
「うん。」
「きょう、たくさん汗かいちゃったから。」
「コーヒーフロートの味かもよ。」
「ばか…」
「いやだ?」
「やじゃないけど…はずかしいよ。」
「この距離で聞くみみの声、いいね。もう一度言ってみて。」
「ばか…」
「だめ?」
「…はずかしい。」
「いいね。」
「変?」
「すごくいい。」
みみのささやく声が届くほど、ふたりの距離は近い。ふたりの息づかいが音楽を奏でる。まるで、立て掛けたアコースティックギターとピアノがセレナーデを奏でるかのように。
食べかけのバニラアイスは、テーブルの上で、
ひと足さきに溶けていた。
部屋の外では、まんまるお月さまが白い光で、ふたりの奏でる音楽を照らしていた。
みみとの夜は、バニラアイスの味だった。
こうして、わたしは、ゆきうさぎのみみにお持ち帰られた。
ーおしまいー 🐇
お持ち帰られ喫茶店|ささやく声が、とどく距離。
ー演目ー
『ゆきうさぎのみみと奏でたセレナーデ』
ーあとがきー
この『お持ち帰られ喫茶店』、シリーズがはじまった頃は、賛否両論ありながらも、大方好意的な反応をいただいた。
一部、放置された粘着テープばりに、否定的な意見を散布するこまったちゃんもいたが、特定して華麗なブロックを決めた。
🏐
バボちゃんも大喜びだ🙌
続けていると、良いことがあるものだ。
かならず読んでコメントしてくれるひと、面白いと賛辞してくれるひと、楽しみにしてくれているひとが現れたのだ。
泣いてしまうじゃないか。
そして、最近では、ちらほら、男性のファンが増えているのだ。これ、めちゃめちゃうれしい!
わたしの、男気あるとはいえぬ、マイナー路線のサブカル的なひそやかな情事であった体験談を、良いと言ってくれるのだ。
書いてみるもんですね。
というわけで、このお持ち帰られ喫茶店、
「つづくのかー、つづかないのかー」
前作は、こちら↓
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