見出し画像

ポッケに心理学|ブロックする、基準。


あなたのこころのポッケに、


あたらしい年になりました。

それも束の間、一日一日はこれ迄と同じように過ぎゆきます(厳密には違いますが、ひとまず、置いておきます)。その速さについていけないひと、つまずいてしまうひと、立ち止まったままのひと、しゃがみ込んでしまうひと、まだ年が明けていない・明けることができないひともいるでしょう。

わたしは、いつも、そういうひとのことを想います。見つけたら、見過ごすことができません。わたし自身がそれらをひと通り経験してきた人間なのですから、仕方ありません。それが、命のしんがりで生きている、歩んでいるわたしの役目のようです。業、と呼べるかもしれません。


「業です!!」
©️ 中小企業からニッポンを元気にプロジェクト


失礼しました。
こちらは郷ひろみでした。御年69歳。紅白歌合戦での勇姿が記憶に新しいです。白組優勝の立役者のひとり。元気をいただきました。さすがです。


閑話休題。
新年早々、ドキッとするタイトルです。ドキッとした方も少なくないでしょう。ドキッとさせてごめんなさい。けれど、

言い難いことほど伝えなくてはならない時があります。隠しておくと、それは、いつか禁忌となって内から命を蝕むからです。

それが、『いま』だったのでしょう。ほら、むし歯って、酷くなってはじめて痛みがでますよね。そうなってからだと治療にも相応の痛みが伴いますし、大変です。

どうやら、『ポッケに心理学』は、普段、見過ごしている内容について書くシリーズになって来たようです。ですので、無理して読み進める必要はありません。どうぞ、そっと、スマホ画面を閉じてください。

ありがとうございます。



では、話を進めます。

昨年は、たくさんの命につながってもらうことができた一年でした。わたしにとって、そのひとつひとつのつながりが、かけがえのないものでした。そのひとつひとつが解けないように、手放さないように、切れないように、大切に大切につかんだ一年でもありました。

それでも、解けてしまう、離れてしまう、切れてしまうつながりもありました。それは、どういう事情であれ、わたしのような人間には痛みを伴うことでもありました。


わたしは基本的に傷ついた人に手を差し伸べます。特に、ひとりぽっちで、溢れていきそうなひとには。このいのちが続く限りは。

それは、
わたしが救世主や神だからではないし、権力や支配欲があるからでもありません。
それは、
わたしが、一度でも、死の淵に立ち還ってくることができた『いのち』だからです。そして、誰よりも後ろで、地べたを這って生きている『いのち』だからです。

そんなわたしが他者のアカウントをブロックする基準は、とてもシンプルです。

☑︎ブロックの、基準。
だれかを傷つけ、安全と安心を脅かすひと。

©️U著『死の淵から還ってくるために』より.


具体的にはどうのような場合か。

直接的な攻撃的・批判的言動はもちろんのこと、一見、そう見えない優しげな言動の形をとる場合があります。以前の記事にも書きましたが、言葉はいくらでも着飾ることができます。嘘をつくことも簡単です。文字になってしまえば、それが嘘かどうか見分けることができません。ほら、わたしのこの文字も嘘かどうかわからないでしょう?それと同時に、文字にしてしまえば情報になりますから、簡単にコピペすることができます。

わたしが一生懸命に命の織機で紡いだ言の葉だって、ほら、簡単にコピペして、あなたの言葉として文字にできるでしょう?

それを世界中のいたるところに拡散することだって簡単です。指先ひとつで、タンと。ほら、ほら、ほらね。簡単、簡単。だけど、そういう人がコピぺした文章には、『いのち』が込められていません。だって、それは二次利用した情報に過ぎませんから。ただのデジタル・データです。そこに、『いのち』があるわけないのです。だって、『いのち』を込めたのは、他のだれでもない、この、わたしなのですから。そのようなコピぺした言葉では、『いのち』を揺らすことはできません。決して。メッキはいずれ剥がれ落ちます。

と、どちらの場合にしても、安全で安心な関係性を揺るがします。

潜在的・顕在的に関わらず、ひとを傷つける言動をする者の深層心理には、支配欲や独占欲や承認欲求などが溢れています。これらの欲求は肥大化しつづけ、たやすく、その者自身を飲み込みます。飲み込まれた者は、嫉み、妬み、僻み、恨みへと姿を変えて行きます。

『いのち』あるものを脅かす危険な存在が、成れの果てです。

そういう者の言動から、わたし自身を含めて、わたしを信頼してつながってくれるひとの安全と安心のために、わたしはブロック機能を使い遠ざけます(no+eは、この機能が十分でないことが残念ですが)。


でも、なぜ、そうなってしまうのでしょう。
このことについて記事内で詳しく説明することは、心理カウンセリング行為にあたりますので詳細は省きます。ただ、イメージできるように、すこしだけ付け足します。

例えば、強い劣等感を持ったこどもが、「自分は強いんだ」と思うために、自分よりも弱い立場のこどもに対し強くでるような場合です。いじめの根本です。これはこどもだけでなく、大人にも当てはまります。ハラスメントの根源です。そして、そのこどもの抱える『劣等感』は、親が親の劣等感を補うために設たものです。そうやって、弱い立場が設られ、弱いものが設られていきます。


ブロックするには、十分に時間をかけます。その時、その時の、わたしの個人的な気持ちだけで判断することは避けます。なぜなら、ひとはだれだって、じぶんの体調や状態、生きている環境や状況によっては、さまざまな振る舞いをする存在だからです。心理の専門家としては、じぶん自身のことを含めて、このことは痛感しています。

ですから、時間を掛けて言動を見守ってきたけど、これ以上関わることは危険と断定して初めてブロックを使います。no+eでも、stand.fmでも基準は同じです。もちろん、わたしとつながりのある他の方々がどうするかは、それぞれの自由です。どうぞ、ご理解ください。

では、最後に、死の淵から還って来ることが運よくできた心理カウンセラーとして、ひと言だけ。

☑︎心理カウンセラーの、ひと言
じぶんの荷物はじぶんで持ちましょう。

©️U|心理カウンセラー


あなたの大切な誰かは、荷物係でもゴミ箱でもありません。

あなたと同じように喜び、悲しみ、怒り、笑い、涙を流す、ひとつの命です。姿形は異なれど、心の内容物は同じです。あなたが苦しくて、抱えられず、目を背け、隠し続けて来たものを持たせれば、あなたと同じように、いや、それ以上に傷つき、苦しみます。互いに癒されぬ傷は、一体、誰が癒すのでしょう。傷が癒やされなければ、それは、生涯に渡って、お互いを傷つけ続けます。瘡蓋に見えるその下で。そして、いずれ、世代を超えた傷として引き継がれていきます。

だから、どうか、
ご自身の傷を抱えられるように、癒やされるように、必要な手当をしてあげてください。あなた自身の『あんしんの芽』を育ててあげてください。信頼できる関係性とつながりのなかで。

わたしにはその役目を担えなかった方々が、それぞれが必要な人たちに出会えることを願うばかりです。


令和七年一月三日 曇天、寒空、霜柱立つ朝に。
✎_U

あなたのこころのポッケにしまって。


大切な命へ、心を込めて。


⚠︎⚠︎⚠︎のこのnoteに記載されている筆者の文章の一部、または全部を、コピーやスクリーンショット等の行為により、無断で転載・転用することを固く禁止します。不適切な形で引用することで、読者や相談者、また、利害関係の立場にある方や弱い立場にある方の不利益を防ぐためですのでご理解願います。違反者に対しては速やかに法的対処を致します。同様に、迷惑行為、誹謗中傷、類似行為に対しても法的対処を致します。⚠︎⚠︎⚠︎⚠︎⚠︎⚠︎

©️U|臨床心理士

いいなと思ったら応援しよう!