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「菅公と酒とアルハラ」――資源活用事業#01

まずはご説明として

東日本は荒天ですね、noteに集う皆さまはいかがお過ごしでしょう。植戸万典(うえと かずのり)です。

COVID-19の影響で、日本のテレビ番組も春からのドラマは放送開始が延期されたものも多いようで。収録できない現状を思えば仕方ありません。その代わりにと言ってはなんですが、過去の名作が再放送されています。
放送局にとっては急場のしのぎなのでしょうが、往年の視聴者にとっては嬉しい誤算だったかもしれませんし、新しくファンになった方もいらっしゃるかもしれません。人間万事塞翁が馬、という故事成語を思い起こしました。故事成語という単語自体ひさしぶりに見ました。

資源のリユース・リデュース・リサイクルは良いことです。自分も見習いたい、ということで、「資源活用事業」と銘打ったシリーズを設けてみることにしました。MOTTAINAI精神です。
これは、過去に自分が書いた文章のうち既に読めなくなっているものを再利用して、それに関するちょっとしたあれやこれやのプラスαを載せていく、という趣旨のもの。
学究的には自己引用のようにも感じますが、まぁ、これも急場のしのぎと考えてご容赦ください。

第1回は、平成31年1月14日付『神社新報』の「杜に想ふ」欄に寄せたコラム「菅公と酒とアルハラ」です。
『神社新報』は神社関係の方々が読まれている業界新聞で、当記事の少し前から月イチくらいのペースで書かせていただいてました。このコラム欄はオピニオンにあたるので、自分のなかでも少々毒っ気を強めに書いているのが特徴です。

なお、『神社新報』は編輯方針として「歴史的仮名遣ひ」が採用されており、自分もそれにあわせて書いていますが、ここでは読み易さを考えて現代仮名遣いに改めさせていただいてます。

コラム「菅公と酒とアルハラ」

 このエッセイ気取りの駄文が諸賢の目に触れるのは、すでにお屠蘇の酔いも醒めた頃合いだろうか。いやいや、ようやく初詣や年始の挨拶廻りも一段落し、これから方々との新年会に盃も移ろうのか。或いはまだ節分まで臨時態勢のやまぬ社寺や、また正月定番の落語「初天神」の賑わい宜しくこれから初縁日を迎え、再び人手が増すというところも多いか。
 落語ついでの三題噺ということでもないが、「エッセイ」「お酒」「天神様」で思い出されるのは、私淑する歴史学者・坂本太郎博士の随想「菅公と酒」だ。実証史学を旨とされた博士の、史料に対して真摯な人柄が偲ばれる一篇である。
 この随想は、菅原道真公の伝記に「性酒を嗜まず」とあることに着目し、道真公の漢詩から彼の酒に対する態度を考察したものだ。
 当時の貴族の常として酒席に臨んだ道真公はしかし、恐らく体質的に酒が弱かった。公の詩中には「強いて酒半盞を傾ける」とあるが、文学的誇張はあれ、そこからも下戸であったことが推測されている。道真公の薨後、彼が仕えた宇多法皇は御所に酒豪を集めて飲み競べを催した。酒に耽溺した貴族社会にあって公は、嗜むと言えるほどは飲めなかったのだろう。ちなみに、坂本博士御自身も下戸であったらしい。
 「菅公と酒」の初見は学生時分だが、そのときにふと思った。全国の天満宮では日々神饌に酒があげられているが、これは祭神への"アルハラ"(アルコールハラスメント)にはならないのだろうか、と。世間を知らぬ学生らしい管見だったと、今では恥じるばかりだ。
 社会人ともなれば酒宴の席が増えるのは、平安朝と同じだ。そこでは酒の弱い人と飲む機会も多いが、必ずしも弱い人が酒を嫌うわけではない。寧ろ酒の味わいを楽しむ下戸の友人もいる。道真公も親友と、または客を招いて小飲していた。憂世の愁いを散じるため呷る酒もあれば、仲間同士の親睦を深める酒もあろう。下戸の祭神に酒を奉ることを以てすわアルハラだとは、早計も良いところだ。
 勿論、俗に人間関係の潤滑油にも例えられるとおり、酒は平素からの関係性を浮彫りにする。良好な人間関係はより良好に、そうでない関係ではアルハラとなり易い。対酌には平素以上に相手への敬意が求められる。神と人との関係も同様に、祭神への"アルハラ"とならぬよう常の赤心が重要だ。
 そして何より酒は、秋の稔りを人の技術を尽くして醸し、これを捧げて神恩に感謝する、神の恵みだ。神をもてなした後には我々も戴く。このような酒を、単に騒ぐために使い、況や他者に強要するような行為は、神道人としてもできるものではないはず。
 今年も酒の席は多かろう。学徒としては当然及ぶべくもないが、せめて酒徒としては菅公に顔向けできる一年としたいものである。
(ライター・史学徒)
『神社新報』(平成31年1月14日号)より

タイポとか変換ミスとかありましたら済みません。

「菅公と酒とアルハラ」のオーディオコメンタリーめいたもの

ちなみに自分は、ここ数年来はクラフトビール党です。クールビズよりビールクズ。最近はクラフトビールも新銘柄が多くて困るくらいですね。
もちろん、その他の酒類も分け隔てなく飲みますけど。

もう何年経ちましょうか、大学院までモラトリアムを満喫していた頃、よく飲みに連れ立った親しい友人がいました。若干年上でバイク好きだったのですが、彼が件の坂本太郎博士とは縁者ということを少ししてから知りました。もっとも、自分にとってはその後も変わらない飲み友・食べ友でしたが。
その友人も博士と同じく下戸でした。上記コラムで「必ずしも弱い人が酒を嫌うわけではない」とありますが、それは現在の友人・知人はもとより、彼のことも思い出しながら書いているものです。宅飲みではチューハイ1缶で飲み明かしていました。もっとも、自分はその何倍も飲みましたが。
院を出た後、諸事情あって彼とはずっと飲めていないのですが、いつかまたと今も念じています。

「アルハラ」も随分と世間に認知されるようになりましたが、紙面では「(アルコールハラスメント)」と補足しなければならなかったように、まだまだ理解の及んでいない界隈も見られます。
未だにお酒で嫌な思いをしたり、なかには生命に関わる事態にされたという方も目にします。
「飲みニケーション」にも良し悪しありましょうが、お酒はあくまで嗜好品。嗜好品だからこそ飲んで楽しめるのだし、その楽しみを誰かと共有するには配慮が必要なのは、それこそ「コミュニケーション」ではないだろうかと、酒飲みとしては思うのです。そしてなにより、神様からの賜り物のようなお酒で不幸なことが起きてほしくないではありませんか。

ちなみに、近頃は外出自粛でほぼ禁酒状態です。健康には良いんですけどね……。

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植戸 万典
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