見出し画像

「雑草と校正」――資源活用事業#20

暑さ寒さも彼岸まで、植戸万典(うえと かずのり)です。
裏を返せばお彼岸まではなんだかんだで暑かったり寒かったりするぞという諺のとおり、今年の残暑もきっちり秋分過ぎまで居座ってくれました。

この資源活用企画もなんだかんだで20回です。いつまで続くか自分もわかりません。わからないことだらけです。
とりあえず20回目の今回アップするのは、『神社新報』令和3年8月23日号の「杜に想ふ」欄に寄せたコラム「雑草と校正」。余計なお世話だったかもしれませんが、紙面掲載のときの歴史的仮名遣ひは現代仮名遣いに修正させていただいてございます。

コラム「雑草と校正」

 庭の雑草が烈日に青々と茂っている。除草せねばと思いながら、ぎらぎら降り注ぐ夏の日を前にして、幾つもの校正に追われていることを言い訳にサボっていた。秋になれば、今度は落ち葉を掃かねばならない。
 中国宋代の著に、書を校するは塵を掃うが如しとある。また大正・昭和に校正の神様と呼ばれた神代種亮は、号を「帚葉」とした。どちらも書物の校正が際限ないことを、塵や落ち葉を掃くさまに譬えたものだ。繰り返し校正刷りに目を通しても、刊行されたものを手にすると意外な所に誤りを見つけるという経験は、確かに一度や二度ではない。
 校正作業とは、誰かの、或いは過去の己の尻拭いだ。世に出る前に誤りを正せられれば重畳だが、間違ったまま今も世間に広まっているものも多い。そう考えると、億劫になることもある校正も誤りを正せる機会なのだとポジティヴにも思えるし、校正者の的を得た指摘を読むのも嬉しくなる。
 そんな校正漬けの夏も、気付けば国際的なスポーツ大会は各人さまざまな想いを抱いたまま閉幕を迎え、舞台は障碍者による大会に移ろうとしている。非障碍者の大会と並行(パラレル)で開催するそれは、「多様性と調和」の錦旗に翻弄される現代日本に何を齎そう。
 神道の歴史上では、障碍者の扱いはさほど表に出てこない。もちろん、福祉的な精神の跡も見えはする。だが概観すれば、差別心が皆無であったと無邪気に論じられるほど単純でもない。垂仁天皇記には、言語障碍を持つ皇子が占いによって出雲大神を拝みに旅立つ際、足や目の障碍者に遭うだろう道を避け、そうでない道を吉として選んだと記される。常に障碍者全般を忌避していたと示しているわけではないが、一時的な吉凶判断であれ、そうした占いで不吉と判ずることに違和感の無い信仰文化だったことは窺えよう。
 こうした歴史は散見される。しかし神道に限らず、近現代を通して社会的弱者への目も変わった。無論、誤った考えや表現のあった往時を消し去れはしないし、世の差別が尽く解消しているとも云わない。誰も傷つかない社会とは、果てのない理想だろう。それでも少しずつ世界は“校正”されている。
 だからこそ、そうした世の中にあって願うのは、校正の重要性と同等に、正された末に今あるそれまでも過去の間違いのために排斥されないことだ。校正には不変の基準なんて無いし、過たない者など存在しないことを、史学やら出版やらに関わっている身としては痛感する。価値観も日々流転していることを考えれば、「持続可能な発展」の御旗を前に「神道は寛容だから」と嘯いても白々しい。
 雑草という名の草は無いとは、昭和天皇の有名な逸話だ。多様性を尊重する社会なら、どんな雑草でも、まずはそのひとつひとつを愛したい。別にこれは、庭掃除なぞサボろうという意図では決してない。
(ライター・史学徒)
※『神社新報』(令和3年8月23日号)より

「雑草と校正」のオーディオコメンタリーめいたもの

って具合に書きましたが、それはそれとして、過去の作品などを(制作者の意図としてではなく)現代的価値観によって改変しようとするのは論外であることは言わずもがなですね。

ちなみに、出版物の校正・校閲とは別に、史学界隈では校合(校書とも)というものが大事だったりします。

歴史書とか古記録(貴族の日記など)とかは、印刷技術の発達していない時代は書写されるものでした。なので、今に伝わっている諸本にも文字の異同があることがしばしば。その違いを見比べ、本来のテキストを考える必要があるのです。
要はこれが校合。

現在、『古事記』とか『日本書紀』とかいろいろな歴史資料が出版されていますが(岩波の「日本古典文学大系」とか小学館の「日本古典文学全集」とか)、そうした刊本は多かれ少なかれ学者らにより校合され、最も確からしいと考えられた形で世に出されています。ちゃんとしたものは。
なかでも日本史界隈で重要視されているのが、「新訂増補国史大系」シリーズです。史料を引用するなら基本的にはここからというくらい。

国史大系本は(史料によっては良し悪しあるものの)諸本の異同が頭注に記されているというのが研究者に信頼される理由のひとつでしょう。校合の過程がよくわかるので。
例えば、新訂増補国史大系本『日本三代実録』の仁和元年2月16日条を見てみます。

画像1

写真中央の行の「震」の左脇に黒丸があり、その上の欄外(頭注)に「震、原作宸、據林本淀本印本改」とあります。
国史大系本の『三代実録』はベースとして「宮内省図書寮所蔵谷森健男氏旧蔵本」を底本にしていますが、その底本の仁和元年2月16日の箇所では「宸」とあるところを、別の「神宮文庫所蔵旧林崎文庫本」や「國學院大學所蔵淀藩旧蔵本」、「寛文十三年松下見林校印本」などと照らし合わせて「震」に改めました、ということです。

また他の箇所では、改めてはいない(底本の文字を採用した)けど◯◯本にはこんなふうに書いてあったよ、という感じで注記しているところもあります。

これを全編に渡って施しながら本文テキストを確定させていくなんて、気の遠くなりそうな作業です。
しかしそうした先学の成果があったればこそ、今の我々が都度都度わざわざ写本に当たらなくても刊本を使って研究できる環境にあるわけで、つくづく校正の偉大さと奥深さを実感します。

#コラム #私の仕事 #ライター #史学徒 #資源活用事業 #校正

いいなと思ったら応援しよう!

植戸 万典
ご感想や応援をいただけると筆者が喜びます。