植戸万典です。この世には不思議なことなど何もないのだよ。
人にはそれぞれこだわりがあるように、逆に不思議とそれぞれ全くこだわらないところも人にはあります。
自分自身もそれなりの年月を神社界に関わってきたなかでの反省もあるのですが、「国家神道」とか「神社神道」とかを今の神社界の人たちも結構印象論で使っているのではないかと見ていて思います。
おおらかと言えばおおらかですよね、自らの信仰の根幹にかかわることなのに。そこをこだわらないのか、と。
ちなみに自分は仮名遣いに関してべつにこだわりはないので、媒体に応じて使いわけています。
『神社新報』は歴史的仮名遣ひの新聞なのでそれに準じていますが、こちらでの資源活用では現代仮名遣いに改めています。それこそこだわりでは?
コラム「こだわりの怪」
「こだわりの怪」のオーディオコメンタリーめいたもの
文中の「私淑する小説家」とはもちろん、みんな大好きな京極夏彦先生。
このコラムは、京極先生の「(文章の)一段落の行数や最終行の長さなども操作」されているのを自分なりに実践してみたものです。
ただし、先生は、行末の位置が揃わなくなるから最終行以外の行末に句読点がこないように調整しているそうなので、拙文の「こだわり」とは若干異なりますが。
このコラムに関して『神社新報』の版面上で自分がした操作は、まず単語レヴェルで各語が行末と行頭に分離しないようにすること。最近は比較的どの媒体でもそれを意識しています。
これは、単語が分割されてしまうと言葉の意味を瞬間で認識しづらいだろうと思うからです。
また『神社新報』の「杜に想ふ」欄は上下2段組みなので、ここでも1段落が上下に分かれてしまわないように行数を調整しています。
ひとつの意味の塊である段落において左上から右下までの視線の移動があると、そこでもわずかながら間が空いてしまうので。
そして、今回のコラムは淡々とした読み味を目指したので、各段落の「形」が同じになるようにしています。具体的には、1段落の行数と最終行の長さを揃えることにしました。図1のような感じです。
と言っても、行数は段落によって8行(青枠)または9行(赤枠)なのですが。これは、このコラム欄の規格の行数に合わせるためが大きい理由ですが、当該段落で扱っている内容に応じて1行分多い赤枠の段と少ない青枠の段に分けて対応させています。ざっくり言えば、赤枠の方は一般論的な話題に属し、青枠の方は具体的なエピソードについて述べています。感覚的な分類ですけれど。
各段落の最終行は、すべて17文字に揃えました。ちょっと長かったかもしれません。
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