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「海の日に当つて」——資源活用事業#30

植戸万典うえとかずのりです。8月11日は山の日です。

海の日があるなら「山の日」も欲しい、でもこれ以上祝日を増やすと経済活動への影響が心配、ならばお盆休みに連動させて直前の8月12日ではどうか、それは日航機墜落事故(1985年)の日なうえに事故現場も山だからいかがなものだろう、だったらさらにその前日の8月11日にしよう——といった経緯で制定されたようです。
正直、由来もなにもあったもんじゃないなと制定されたころは思ったものです。今でもよくわかってはいませんが。でも山の恩恵には感謝します。祝日万歳。

だったら前々から不思議だった「海の日」の由来はどうなんだ、と思って調べたのが、今年の海の日に書いたコラムです。
掲載は例によって『神社新報』なので紙面では歴史的仮名遣ひでしたが、ウェブ上での読みやすさのために現代仮名遣いに直して転載します。ただしタイトルの「当つて」の部分は、オマージュなのでそのままです。

コラム「海の日に当つて」

 七月の第三月曜日は、海の恩恵に感謝し、海洋国日本の繁栄を願う日だ。文筆家としては、それに応じた話題を提供する日である。べつに海水浴に興じる日でなければ、冒険とイマジネーションの海へ旅立つ日でもない。
 祝日化する前の七月二十日は、昭和十六年から当時の村田逓信相の提唱によって海運・海事への理解促進を図る「海の記念日」だと定められていた。逓信省・日本海運報国団編『海の記念日に当つて』によると、明治天皇六大巡幸の二回目となる明治九年の東北地方巡幸の帰路、明治丸で恙無く天皇が横浜港に安着された七月二十日を佳き日と卜したのだそうだ。
 もっともこの話、由来としてはなんとなくこじつけっぽいのが以前から不思議だった。なぜ六大巡幸のなかでも二回目で、おまけに帰還日なのか。こういう場合は初乗船の日の方が自然だし、一回目の九州巡幸にも軍艦は使われている。あるいは神武東征出発日でも良いではないか、と。実際、日取りには別の有力候補もあったようだ。どうやらこれは、夏でないと海に出る人が少ないとか、学生にその意義を伝えるためには休みの頃が良い、といった思惑もあったらしい。ちなみに神武天皇の東征は冬十月五日が出発日である。
 『海の記念日に当つて』の主張に従えば、明治天皇が御親ら明治丸に召され、霧深く、波高い航程に就かれたという御垂範により、開国によって国民の内に盛り上がった海への関心が正しく強く育成されたらしい。成程と頷くほかないが、天皇の示範で日本人の外洋への海路が開けたという理窟なのだろう。
 もちろん、開国以前から日本人は船を漕ぐ営みも持っていた。住吉神や金毘羅神などのさまざまな航海の神が各地で信仰され、また今も神札を祀る船舶があり、海洋文化が生活に根付いている。自分が沖縄で漁船に乗せてもらったときも、操舵室には神棚が祀られていた。そうした船舶と同様に、戦前の日本の軍艦には「艦内神社」があった。「神社」と称するが、漁船のものと同様に神棚と捉えて良い。そうした艦内で神を祀る習慣は、今の自衛隊にも受け継がれているようだ。以前、海自関係者に新しい艦艇に祀るのはどの神が良いか相談を受けたことがある。祀る神は、艦名に関わりが深かったり、造船地の著名な神社であったりするそうだ。
 艦内神社は古来の船霊信仰との関係も指摘されるが、基本的には近代の所産であろう。そのような文化を培ってきた艦艇では海の日も、記念日の制定以来満艦飾で祝っている。由来の牽強付会っぽさ自体は一旦横に置くとしても、海の日は今や明治以来の海洋文化を象徴する日となっているのだろう。
 さて、この次の祝日は八月十一日の山の日だ。山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝しなければならない日だが、とくに由来譚は……海の日のようなものすらない。どうしたものやら。
(ライター・史学徒)

※『神社新報』(令和5年7月17日号)より

「海の日に当つて」のオーディオコメンタリーめいたもの

こう考えると「海の日」と言うより「船の日」とか「航海の日」とかの方が本来の趣旨に近いのではないでしょうかね。

ところで、海の日と山の日があるなら「川の日」はいつ祝日になるのでしょう?

まぁ、天の川のイメージで7月7日なら「星の日」のような気もしますが。
記念日を考える人もたいへんですね。

#コラム #ライター #史学徒 #資源活用事業 #私の仕事 #海の日

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植戸 万典
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