「十二人の怒れる男」を見て

アマプラ映画日記第13弾。
今回見たのはこちら。

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B09P4FRX78/ref=atv_dp_share_cu_r

1954年にアメリカCBSで放送されたテレビドラマを映画化した、1957年の作品。
シドニー・ルメット監督のデビュー作で、アカデミー賞で作品賞など3部門にノミネートしました。

製作費約1.2億円という超低コストで制作され、撮影日数もわずか2週間ほどだったとのこと。
それもそのはず、舞台は父親殺害容疑がかけられている少年の陪審員裁判。
陪審員室で12人が議論する様子だけが、ただひたすら1時間半流れます。
超シンプルな構成で、「登場人物の語り」だけで展開されるのに、決して退屈になることなく、目を引く作品になっています。

陪審員裁判は「全会一致」が原則で、当初は12人全員が有罪評決ですぐ結審するだろうという楽観的観測がありました。
しかし陪審員8番(ヘンリー・フォンダ)が疑問を呈し、合理的疑いから無罪を主張します。
他の11人は「何言ってんだコイツ」状態で非常に迷惑がっています。
それでも陪審員8番は熱心に説得し続けます。
そして、陪審員9番が無罪に寝返ります。
その後も、陪審員8番は懇々と証拠の再検証を行い、有罪に対する疑義を可視化していきます。
なかでも印象的なのは目撃者とされた老人が、物音がしてから「15秒」で少年の姿を見ることは可能なのか、という検証。
部屋の間取り図を確認し、ベッドから少年の通った玄関までの距離を推定。
そして陪審員室の椅子を使って再現実験を行い、40秒以上かかることを実証。
このような陪審員8番の姿勢から、1人、また1人と無罪に寝返っていきます。

始めは陪審員8番が異端児で、他の11人にとって理解不能だった。
それが最後の場面では最後まで有罪と主張した陪審員3番(リー・J・コッブ)が異端児で、陪審員8番を含む残り11人が陪審員3番を糾弾する形になった。
完全に立場が逆転する形になったが、そこまでの流れが鮮やかで、1つ1つの検証を積み重ねてきてグラデーションのように多数派が移り変わっていく様は見事でした。
「どのタイミングが転換点だったのか」気づかないぐらい、ナチュラルに移り変わっていきました。

陪審員8番の話術も見どころですが、陪審員3番が有罪に固執して、周囲に怒りをまき散らしながらも、だんだんと味方が減っていく様子に困惑を覚え、ムキになって主張していくうちにだんだん自分を見失って自分の判断に疑問を感じていく様が表情や仕草に現れていて、見事な演技でした。
この映画が公開された当時は、今よりもずっと価値観が固定化されており、先入観を覆して異を唱えるというのは難しかったように思います。
そんな時代の中でも、対話によって1人1人説得していけば、理解してもらうことは可能なのだ、ということを見せつけてくれたように思います。
非常にシンプルな構成ゆえ、その1つ1つの対話が非常にひきこまれ、考えさせられる映画でした。

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