「世界から猫が消えたなら」を見て

アマプラ映画日記第14弾。
今回見たのはこちら。

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B01M28TG7E/ref=atv_dp_share_cu_r

川村元気原作の小説を映画化。
一時期読書感想文界を席巻してました。
これと「西の魔女が死んだ」ね。こればっかり感想文読んだ覚えがあります。

監督は永井聡で2016年に映画化。
原作は読んだことない、という前提で話しますが、これは映像じゃなくて活字で読む方が良いなきっと、と思いました。

前半、とても良かったです。
僕(佐藤健)と彼女(宮崎あおい)の出会いの場面、本当に素敵だと思いました。
いざ会うと全然話さないけど、電話だとたくさん話してくれるから、デートが終わった後の電話が楽しみだった、という話、キュンです。
レタスという猫を拾ってきた幼き日、タツヤ(濱田岳)とのただ映画のDVDを借りるだけの不器用な関係…。
光の射しこみ方など映像がとても美しく、1個1個の思い出がとても輝いて見えました。
そして登場人物の表情が鮮明に残っています。
全然母親の見舞いに行かなかった父親が死に際に時計を持ってきたときにあきれるように父親を見つめる僕の視線、別れた直後に交通事故に巻き込まれたトムさんに気づき駆け寄る僕と彼女。
人生に喜怒哀楽を添える出来事には、必ず「人」の表情が寄り添っていることを感じました。

それだけに、彼女やタツヤが赤の他人となる瞬間が、やるせなかったです。
バタフライエフェクトじゃないですけど、1つ1つの物にはたくさん思い出が詰まっていて、人間同士の出会いや思い出には、必ず物が介在している。
文明が発達しなければ、世界に人間しかいなければ思い出なんてなかったのだと思いました。
私は断捨離癖があって実用的でないものは結構捨ててしまいます。
クラスTシャツとかもすぐ捨てるし、もらいものとかであっても。
でもやっぱり物から思い出すことってあると思うんです。
実家に帰った時に小学校の時のプリントや学級通信を漁って思い出にふけったりしていると、これは絶対になくしてはならないなと思いました。
あと人生で何回見返すかはわからないけど、それを捨てた瞬間、今までの思い出も捨てたかのようになるから。

後半は正直時間軸がグチャグチャで混乱しましたし、「思い出の喪失」の壮絶な場面を流した後に、その人を再登場させるのはどうなんだろうと思いました。
あそこで赤の他人になったのなら、その喪失感を残したままにしておきたかった。
文字からそれぞれが情景を思いうかべて読む方が良かったなと思いました。

思い出を1つずつ失うより、思い出を持ったまま死ぬ方が良い。
その結論に達したのは同意です。
どうせ死ぬならたくさんの人に悲しまれたい。

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