神話の普遍性と可変性:神話と芸術は繋がっている
1.神話の世界
今こちらの本を読んでます。
神話の世界。
なぜ、この話を知ってみたかったのか?
物事の普遍性。その追求には、この神話のことを考えないといけないのではないか、と思ったからです。
そもそも多かれ少なかれ、研究者の使命、モットーは、ものごとの真理の追究にある、と思っています。
つまり、ある事象に対してなぜそうなっているのか?
そのことを様々なアプローチから考えていくわけです。根源となる考え方、捉え方、そこをよりシンプルに考えていく。
そのことが必要な気がしています。
宗教における共通性も興味があります。
聖書、仏教の経典、コーラン。
これらのものは文字として伝えられ、私たちに様々なことを示唆してくれる普遍的なものです。
たとえ、その宗教を信仰していなくても、そこに通底する何か?
・・・と色々書きましたけど、それは後付けで、
面白そうだから、
が本当のところですね。
土日は知的好奇心を拡げたい!ですね。
色々とウロウロして考えます。
さて、こちらの神話学入門は、カール・ケレーニイとカール・グスタフ・ユングの二人によって書かれています。
ユングは知っていましたが、カール・ケレーニイのことは恥ずかしながら、よく知りませんでした。
カール・ケレーニイ(Karl Kerenyi、1897年1月19日 - 1973年4月14日)は、神話学者、宗教史学者。ハンガリー・テメシュヴァール(現ルーマニア・ティミショアラ)に生まれる。ギリシア神話や古代宗教の研究に大きな足跡を残した。
ユングと親交があり、かれの研究所の芸術主任研究員を務めていたようです。
ハンガリーの政治体制の学問への圧迫から1943年スイスに移住すると、すでに共著があったカール・グスタフ・ユングとの関係が深まり、1948年チューリヒにユングの研究所が設立されると芸術主任研究員となった。エラノス会議のメンバーとなり、一切の教職から退き、独自の研究に専念する。しかしドイツなどヨーロッパ各地の大学で客員教授として講義を担当し、晩年にいたるまでギリシア、イタリアへの調査旅行を行った。
心理学者と神話(宗教)学者とのコラボレーションによる著書ですね。
ユングのすごいところは、こうした他分野の先生方との交流があり、実際の著作も書いているところですね。
というのもユングの分析心理学(ユング心理学)における集合的無意識では、人間の深層心理に存在する、私たち、すべての人間の持つ共通性に着目されています。
東洋の思想、哲学にも造詣が深い。こちら持っていますが、まだ積読になってます。この本をきっかけに興味をもってますので、次に読んでみます。
ちなみに心理学者の中で最も文化芸術と深く関わりがあるのが河合隼雄先生ですね。そして、かれはいわゆるユング心理学者、です。
シェイクスピアについても翻訳者の松岡さんと河合先生は語っています。シェイクスピアの演劇に興味のある人は是非。お勧めの本です。
河合先生の交流は多岐にわたっていて、村上春樹とも親交があります。まさに河合先生は日本のユングといても過言ではないかもしれませんね。
2.序説 神話の根源と根拠の創設
最初の記述は、ケレーニイによって書かれていますが、
神話を学ぶことの意味について語ってくれています。かなり難解ですが、神話が既存の現実的関係がないものであること。私たちの内部に潜む内部的神話物語的能力を共感することの必要性、について語ってくれています。
そして、私たちが神話に対して取りうるであろう態度の重要性についても語られています。つまり神話を考えることは私たちの中に内在する「何か」(精神的世界)に通じる手段であるともいえます。
難しい話はありますが、このことだけを問いたいと言っています。
「神話は始原、あるいは始原的な事物と何のかかわりがあるのか」
そしてこうも言っています。
「読者が読者自身の神話学への道を見出すために通らねばならないあの直接的な通路を単に拡大するだけのためにもこのことが必要なのである」
神話に関して考えることは私たちの内面、精神世界ともつながっている、そう感じる書き出しです。
次に神話の定義、言葉の使い方から入っています。
「序説で神話(ミュートス」という言葉があまりにも多義的であり、使い古され曖昧であり過ぎる。」
ということから、ミュートロギア―、ミュートスと「集める、語る:を意味する語レゲインとを結びつけるミュートロギア―という言葉から語り始めています。
・・・でいきなり躓いているわけですが、今は便利なことに言葉を調べると出てきます。
wikiは引用したら駄目よ!となるわけですが、まぁ素人が調べるときには簡便してもらうとして使いたいと思います(最初の入り口としては悪くないと思っています)。
簡単に述べると、「神話」は人の魂のなかにある原型集合であり、それの外在化を、神話の物語と呼ぶのです。「ミュートロギア」の説明をしているのは、「神話を語る」という行為で、神話が具体的な言葉となることを、ミュートロギアというという話です。また、このように語られて来て、神話が具体的な姿を持ち始めると、それを整理したり、系統立てたりする作業が起こってくるのであり、こういう作業によって、「集成」となったものが、またミュートロギアであり、神話を「整理・系統付け」る作業は、「神話学」にも通じ行きます。mythology とは「神話学」の意味です。
ミュートスではなくミュートロギア。つまり、神話を語る行為ということですね。
「偉大な神話の語り手でもあったプラトーンは、自己の体験と創作を通じて、ギリシャ人がミュートロギア―と呼んだものの生き生きとした動的性格について我々に教えてくれる。ミュートロギア―は、詩(ポエジー)と同列の芸術であるととおに、詩の中に含まれる芸術であり(両者の領域は交錯し合っている)、言うなれば、題材の上で一種の独特な前提をもつ芸術なのである。神話の世界には神話の芸術という規定を与えうることのできる、ある特殊な題材がある。それは太古より伝承された一塊の素材であって、神々や神性をもったものたち、英雄の闘争や冥界めぐりについて語られた馴染み深い、しかも以後にどのように再構成されることも拒まぬ物語ーこうした物語を言い表すのにもっとも恰好なギリシャ語が神話素(ミュトロゲーム)であるーのうちに含まれている。神話というのはこのような題材の運動のことである。固定的なものでありながら同時に動的なもの、実質的なものでありながら、静的なものではなく可変的なものである。」(序説、17)。
プラトンといえば、西洋哲学の源流というイメージがあったのですが、神話の語り手でもあったのですね。そもそも・・当時は学問として神学、哲学、芸術が分かれていなかったのかもしれません。つまり全て統合された一つの知の体系だったともいえます。
3.神話の世界と芸術
どの箇所を深めて考えても興味深いのですが、特に私の興味を引いたのは、ミュートロギア―は、詩(ポエジー)と同列の芸術であるともに、詩の中に含まれる芸術であり(両者の領域は交錯し合っている)、言うなれば、題材の上で一種の独特な前提をもつ芸術なのである。
それは太古より伝承された一塊の素材であって、神々や神性をもったものたち、英雄の闘争や冥界めぐりについて語られた馴染み深い、しかも以後にどのように再構成されることも拒まぬ物語
というところですね。つまり、「これは固定的なものでありあがら、同時に動的なもの、実質的なものでありながら、静的なものではなく可変的なもの」という話と繋がってきます。
つまり、それそのものが、本質的なものを変えずして、現在に合わせて変えることが出来る。
音楽、演劇、芸術などのすべてに通じるものを感じますね。
お気づきの人も多いと思いますが、クラッシックでギリシャ神話と結びついいる曲も多いです。
そもそも、音楽(music)の語源は、ゼウスの娘、ムーサから来ていますから。
文化芸術をつかさどる9人の女神です。
ちなみに、ムーサはオリュンポス12神ではありません。オリュンポス12神のうち音楽、芸術を司るのは、アポローンですね。
ゼウスが、記憶の女神ムネーモシュネーとの間にもうけた9人のムーサたちですが、愛人との子どもです。
良く知られている(私たちの世代では)、聖闘士星矢はギリシャ神話が下敷きになってますね。
神話を理解することの意義、神話が何を私に教えてくれるのか?そのことを考えてみたいと思います(ボチボチやります。これは完全に趣味の研究的活動なので)。