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自分を愛そう


今ほど自分を愛おしいと思ったことは、これまでの人生でなかったかもしれない。
これは決して自分が完璧ということではないし、素晴らしい人間だということでもない。
ただただ、自分を丸ごと認め受け入れられるようになっただけのことだ。

以前は、自分を完璧な人間に近づけたいと、本気で思っていた。
だから足りない部分や、できないことをできるようにしてきた。
それはまるで、ずっと習い続けていたドラムの練習のように、叩けないところを何度も何度も練習してできるようになったようだ。
決してそれが嫌だったわけでもない。だから、あれはあれでよかったのだと思える。
ただ、この時期はどこかで「何かを達成しなければ、自分を褒めてはいけない」と、真に自分を認めてはいなかった。
自分に厳しかった時期だ。裏を返せば、自分に自信がなかった時期でもある。
何かを達成しなければ、自信が持てない。そう思っていた。

長い年月をかけ、仕事である程度達成をしたことは、確かに私に自信を与えてくれた。一度できたことは、これからもできる。そう信じられるようになった。今は自分の足りない点を含めて全部受け入れられるようになったらしい。

だから人に褒めてもらえなくても、自分で自分を褒めるし、認める。
失敗しても、グータラしていても、そうしたいんだね、と自分に言う。
人との付き合いが途絶えていっても、離れていく人だったんだね、と思い、自分を責めることはなくなった。

法律を犯さない限り、人が経験することは全てあっという間の出来事であり、そんなに大したことではないんだな、と思えるようになった。もちろん法律でさえも、国が違えば変わるのだけど。逆に、朝陽や夕陽を見て、地球の美しさに感動する瞬間もあっという間のことだが、ものすごく大事なことに思えるようになった。

年齢のせいかもしれない。
今まで、迷いながら、苦しみながらも精一杯生きたおかげかもしれない。
自然の一部である自分自身を、これから先どんなことがあっても、自分だけは自分を見放さないし、何があってもこの自分自身と生きていこうと思っている。

自己とは他人の中にある。
つまり、自分が自分だと思っているのは、周囲の人が見ている自分であることが多いらしい。「あなたにはこんな才能がある」とか「あなたはやさしい」とか「あなたは冷たい」とか、人に言われたことで自分を自覚していることが多いらしい。
確かにその中には自分でも気づいていない自分もいるだろう。しかし、自分の全てを知る人は自分以外にいないし、だからこそ自分を一番認め、愛することが全てのスタートなのではないか、と思っている。

生まれてきてから、終わりまで全ては自己探究なんだろう。
自分にはまだ隠れている自分がいたり、知らない自分がいる。それを信じられたとき、全ては無限になる。
可能性も、夢も、未来も。
肉体の限界だけが存在するので、それを超えることは今のところできないが、年齢で人を、自分を計るのも馬鹿らしいことでしかない。

私はまだ自分の知らない自分に出会いたいし、自分の隠れているものを引き出したい。
自分を思い切り活かし、これからも生きていきたい。
なんてバカなことを書いているんだ、と思われるかもしれないが、自分が自分を愛さなくてどうする。世界が自分を見捨てても、自分は自分を見捨てない。
そう思えたら、なんだってできる気がしている。
どうやら、自己愛最高の時期が来ているようだ。

バッカみたいと思われたかもしれないが、今日の私の率直な心境を書かせていただいた。
最後まで読んでくださった方、感謝です。また、あなたもあなた自身を誰よりも愛してほしいなと思っています。


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