小説を書くまで
暦的に、色々とスタートすると良い時期だということは知っていた。
「欲しいものリスト100個」書き出そうとしたけど、60個くらいで
止まってしまったり、ドリームマップも結局写真は使わず、文字で書いたりなど、なんだか色々と言われた通りにはできていないのだけど、一つだけ
やった。
それが「小説を書いたこと」だ。
と、偉そーに言っているが、まだ1話しか書いていない。
これからどこまで続くのかも、まだまとまっていない。
とりあえず主人公たちについては、定まっているが、これから私の経験を
もとに、あくまでもフィクションで書いていこうと思っている。
小説のタイトルは「Fly into the future 客室乗務員受験物語」だ。
私が今までやってきたことを、全てブログなどに書くことは個人情報もあるし、できない。
そしてリアルだと思うと、読む方も辛いこともある。
だからこそ、フィクションで面白く読んでもらうために小説にしようと思い立ったのは2年ほど前のことだろうか。
構想2年もかかったのは、なぜか?
自分に自信がなかったから、に尽きる。
誰だって小説は才能がある人が書くものだと思っている。
私だってずっとそう思ってきた。
文学少女とは自分では思ってなかったけど、結局は相当の数の本を好きで読んできたし、中学、高校でほぼ明治の文豪の本は読んでいたし、(先日太宰治記念館に行ったのも、高校3年生で読んだ「人間失格」がきっかけだ)だからこそ、「小説なんて読むのは楽しいけど、自分に書けるはずがない」と思ってきたからだ。
でも、2020年のパンデミックで仕事が激減して、ショックで気力を失い、中ば呆然としながら旅をしたり、本を読んだりしていた時、一冊の本に号泣した。
それが「こんまり」こと、近藤麻理恵さんのご主人である「川原 卓己氏」の「Be yourself 自分らしく輝いて人生を変える教科書」だ。
近場の旅に行く途中の電車の中で、電子書籍で購入していたのでスマホで読んでいたら、号泣してしまって、「泣いているのをみられているのではないか」とハラハラしながら読んだ一冊だ。
「自分らしく」
というタイトルだが、この時私は仕事が減ったことを悲しんでいたけど、果たして私は本当に自分らしく生きていたのだろうか、と課題を突きつけられたように思ったのだ。
そして我慢していたことも、無理をしていたことも、違和感を感じながらやってきたことも、全て肩から下ろしていいんだ、と言われた気がして泣けたのだと思う。
そこから唐突に「書きたい」と思い始めたのが2020年の年末。
年明けには、カルチャーセンターのエッセイ教室に通った。
(2ヶ月で終えたが)
そこからずっと書くことは私の夢となったが、何を書きたいのか、
果たして書けるのか、などずっとずっと考えてきた。
そういう意味では、構想2年というより、悩み2年という感じた。
そして、最近「自分にしか書けないものを書こう」と思い、到達したのが今回書き始めた「客室乗務員受験物語」だ。
私はこの仕事を始めて32年になる。
最初は、地方のエアラインスクールで時給制の講師としてスタートし、
その後学長を任されるものの、経営難で解雇される。
理事長と方針が合わなくなり、私は組織に合わせるよりも、生徒さんを大事にしたため、仕方がないことだと思った。
そこから、独立するまでにも紆余曲折はあったものの、今年で27年目となる。
長い。
本当に長い。
「そんなに長くよくやってられますよね」
と言われたことは、一度や二度ではない。
この仕事が好きだったから続いたのだけど、なぜ好きだったのかと改めて
考えると「生徒さんと一緒に夢を追いかけられる仕事だったから」の一言だ。
結果を求められる仕事だったことも、負けず嫌いの私にとってはよかったのだろうが、自分ががんばれば結果が出るわけではなく、人を頑張らせる仕事であったことは、確かに難易度は高かった。
でも、昔から「簡単な仕事だったら、絶対に3日で辞める」と自覚していたので、難しい仕事ほど燃える、変なドM体質が合っていたのだと思う。
生徒さんたちは本当に頑張ってきた。
涙無くしては語れない話もたくさんある。
生徒さんが泣いても私は泣けないので、心で泣いてきた。
そんな話を、小説化できたら、と思っていて、その時を待っていたのだ。
書ける時がくれば書けるけど、その時が来なければなかなか書けないと
なんとなく思っていた。
そして、新月から1日経って、ようやく今日1話を書いた。
1話を書いたくらいでこんなにいばって言っているが、1話を書いたことが
私にとっては、大きな大きな第一歩だからだ。
自分が自分を信じることができなければ、絶対に書けない。
自分で納得していなければ、書けない。
それをずっと感じながら2年が経過した。完全にスローモードだ。
まだ第2話については具体的に考えてはいないが、多分なんとかなるだろう。
なぜなら私には32年分の経験があるからだ。
さて、最後はどうなるのか。
そしてこんな風に「小説書いたよー」と宣伝できるのも、2年前の私からすれば
大変化だ。
そう、人は幾つになっても、夢を持てば変われるのだ。
奇しくも、昨日優勝したWBC JAPANの大谷選手の名言で最後を締めよう。
「人生が夢を作るんじゃない。夢が人生を作るんだ」
そして「何歳になっても夢を追いかけていいんだ」
と付け加えておこう。
よかったら、読んでください。
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