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大人の責任


自己研究、自己分析セミナーを開催して、受講者の方々とお話ししていて感じたこと。


性格にも

体験にも

やり方にも

努力の仕方にも


善悪なんてない。


一つのやり方しかだめだなんて、全くない。


でも、学校で、世間で一つのやり方を教えられ、それができる人だけが素晴らしくて、それ以外はだめ、というレッテルを貼られ、刷り込みを受けている若者が多い。


そのような場面を見るたびに、


「学校と社会は評価の仕方が違う」


「仕事は手段はなんでも良くて、結果が出ればそれでいい」

ということを伝える。


コツコツやる人が良い

努力する人が良い

苦手なことにも、嫌いなことにもちゃんと向き合って、続ける人がいい


誰がそんなことを、なんの目的のために擦り込むんだろう、と思ってしまう。


多分、コントロールする側の人間が、自分たちがコントロールしやすいように、

あり得ないほどの、個性を無視した「完璧人間」を求める。


物事の善悪なんて、法律違反でなければない。

100歩譲っても、マナー、モラル違反くらい。


それ以外に善悪なんてない。


成功も失敗もない。

全てはただの経験。


私なんて長く生きてるけど、計算は早いけどちょっと複雑な計算問題なんて

できないし、不器用だから「これやって」って言われてすぐにできる自信はないし、それでも生きてこれたし、今でも仕事はやっている。


以前は競争率の高い会社にも入社できた。


多分自分の強みを生かしたからだと思う。


つまり、社会は学校とは違うという証じゃないだろうか。


こうしてセミナーに参加してくださった方々には、「これがあなたの良いところで、ここを大事にすればいいし、生かせばいい」ということを伝えられるが、それ以外の方々に伝える方法を真剣に考えないといけない、と思った。


多分悩まなくていいことで悩んでいる人が多いだろうし、自己肯定感も下がっているだろう。


何より本人の良いところが生かされないのは、社会にとっても大きな損失だ。


人はそれぞれ違う。

違うからこそ、自分が苦手なことが誰かの得意なことであり、それを補完しあって

社会は回っている。


もちろん全てが完璧な人もいるのだろうけど、私は違ったから、それでも大丈夫だよ、と伝えた。

その度に、若い受講者の方々は嬉しそうだった。


大人の失敗を知って、それでもいいんだ、と思ったら気が楽になったのだろう。


大人だって完璧な人なんていないのに、若い人に全て善悪、失敗成功の二つで縛るのはやめてほしい。


もっと人は自分の可能性を信じて生きていっていい。


4月から大学生や専門学校生に教えることにもなるけど、若い人にはこれからも
自分の可能性を信じて生きていけるように、伝え続けていく。

それが私の大人の責任だと思っているから。


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