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自分の可能性を決めるのも自分、自分を認めるのも自分
毎朝起き抜けに、ノート2ページ分に文字を埋めている。
起き抜けなので、まだ寝ぼけている状態くらいなのに、なぜかスラスラとペンが動く。
とても不思議だが、何を書こうか、と考えたことは、この2ヶ月ほど一度もない。
何を書いているのか、というと、自動書記のような、または昨日の日記のような、その時々によって違う。
書き終わった時には、目も覚め、頭も心もスッキリしている。
これが、この課題の最大のメリットだ。
ある本に書いてあった通りにやっているだけなのだが、書いたものを見直すな、と書いてあるので、忠実にそれを守っている。
ただ、今朝書いた言葉に、自分でハッとしたのでこのエッセイにも書いてみた。
自分の可能性を決めるのも自分。
自分を認めるのも自分。
自分を否定するのも自分。
生き方を決めるのも自分。
つい、私たちは人のせいや時代のせいにしてしまうが、実は自分で選び取っているのだと言うことを、自分で書いて自分に突きつけた気がした。
3年前の自分ならば、「作家を目指してます」なんて、絶対に人に言えなかったし、書いたものを懸賞に出そうともしていなかった。
それは自分を認めてなかったから。
自分の可能性を自分で決めていたから。
自分が傷つきたくなかったから。
でも、傷つくという選択をしているのも自分なのかもしれない。
ある程度の常識の範囲ならば、相手はそんなつもりはないのに、傷ついてしまうことがある。
それは多分「相手と自分の捉え方」が違っているからこそ起きることで、話し合えば分かり合えるものもあるのだと思う。
必要ないものを削ぎ落とした結果、本当に大事なものが手の中にある。
それがあれば傷つくことも、否定することもない。
誰かから何かを言われても、否定されても、認められなくても、大事なものはなくならないから。
この大事なものを持っていれば、それでいい。
そう思っていることに、3年前の自分はひっくり返るほど驚いている。
それを、現在の私は不思議な気持ちで眺めているのだ。
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