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仕掛けから待ちへ 自力から他力へ


最近「待ち」の時間が増えたな、と感じる。
自らどんどん行動していくことが「仕掛け」ならば、動くタイミング、方向が自然とわかってくるのが「待つ」ことだと思っている。

今までは、ほとんど「仕掛け」の人生だった。客室乗務員という仕事も、スクールのオーナーという立場も、人を教えるという仕事も、待っているだけでは何もしていないことと同じだ。
ただ、こちらが伝えたこと、すなわち「仕掛け」がジワリと効いてきて、生徒さん自身が成長、変化するのは「待ち」だった。
タネをまき、水や肥料を与え、太陽と時間の力で育っていくように、人が成長、変化していくのにも一定の時間がかかるとわかっていたからだ。

しかし、自分のことについては「待つ」より「仕掛け」ばかりだった。
気になったことはどんどんやってみる。会いたい人には会いにいく。そんなことを繰り返していた。だが年齢のせいなのか、心境の変化が現れた。
自分から何かを探さなくても、自分から仕掛けなくても、待っていると自然と道が見えてくることに気づいた。これは、あの「動きたくても動けない」時期だった、パンデミックのせい(おかげ?)だろう。
そして、その見えた道は「そうそう、それ。それが私の望んでいたことなの。なんでわかったの?」と、見せられて納得する感じなのだ。

自力本願より他力本願の生き方になったのかもしれない。
実は他力本願という言葉には、いいイメージがなかった。
依頼心が強く、自分で決断せず、甘え散らかしているイメージがあった。それが今では、「見えてくるのを待つ」「メッセージが来るのを待つ」という、自力を捨て他力へと乗り換えた気がするのだ。
これはあくまでも今私が感じていることだが、自力には限界があり、他力には限界がない。
自力よりも他力の方が大きな可能性と力があるように思える。
いや、自力に他力を足した方がずっと楽に生きられ、ぐんと視野が広がる。
一つの力、自力だけよりも、二つの力、すなわち自力➕他力の方が良いのに決まっている。

では、実際にどんなふうに「待っているのか」「他力を使っているのか」というと、なかなか決心がつかないことは、考えるのをやめ放り出すようにしている。つまり考え、悩む、決心するのを一旦やめるのだ。すぐに決心できることは、さっさとやっているはず。でも、なかなか決心できないことは、何か詰まっているものがあったり、どこか納得していないのだろう。それがなんなのかを、その瞬間考えてもなかなか答えは出ない。だったら、時間を味方にして、「いつかわかるだろう」と、一旦悩むのをやめるのだ。
放り出した後しばらく時間が経過すると、自分自身の精神状態も変わり、状況も変わり、まさに「今」という時、決心がつく。
最近このやり方を自然としていることに気がついた。そのほうがずっと楽で、無理なく自然に生きていると感じる。もしかするとこれが「流れのままに」ということなのかもしれない。
以前は自力で生きている方がかっこいいと思っていたが、困った時こそ他力で生きる方がずっと楽なんだと気がついた。今思えば随分肩に力を入れて生きてきたものだと思う。
もちろん、自力を磨く必要がある時期もある。でも、自力➕他力をもう少し早く取り入れていてもよかったのに、とも思う。

仕掛けから待ちへ。
自力から他力へ。

このように生き方が変化したのは、パンデミック、年齢、そして時間的余裕がある日々のおかげかもしれない。特に、時間的余裕は精神的余裕を生み、あらゆることができる可能性を秘めている。年末の忙しい時期になったが、いつでもスケジュールに余白を持ち、心に余裕を持つ。
それを意識しながら、2025年を迎えようと思っている。

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Hiromi.U
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