
自分のために生きる
すごく当たり前のこと、と思った人もいるだろう。
大好きな小説を読み返していた時に、ある言葉が目に留まった。
「(途中略)母親にならねば、妻にならねば、ばかりで、私というのがなんなのかわからないまま、終わってしまう。あなたはそうならないでね」
(上流階級 其の3 高殿 円著より)
この言葉を残した人は、その後亡くなってしまうのだが、自分の命が残り少ないことを知っていて、3人の娘たちに残す言葉だ。
何度も読んでいるはずなのに、今日は涙が出てしまった。
その通り。
自分のために生きているというより、私も
妻として
母として
(仕事上の)先生として
生きてこなければならなかった。
もちろん、そんな人はたくさんいるだろう。
女性だけでなく、男性も同じだと思う。
かと言って、私はそんな「誰かのために生きてきたこと」を後悔しているわけではない。
でも、この言葉を言った登場人物は50代くらいで命を落としてしまうため、
「これから自分のために生きる」と思っていても、その余命はない。
これは、誰にでも当てはまる。
人生100年時代、と言われて久しいが、誰だって100歳まで生きるわけではない。
私の同期も、すでに1割がこの世にいない。
人の寿命なんて、誰にもわからないのだ。
私もその「役割」を果たしてきて、そこに後悔はない。
むしろその時代があったからこそ、「自分のために生きる」という意味がわかるし、重要性も、ありがたさも感じている。
幸いにも、まだすぐには死にそうもない(笑)
まだ「自分のために生きる時間」が残されているように思う。
自分のために生きる
つまり、自分自身を周りの意見や価値観に左右されず生きる、ということであり、
自分が本来持って生まれてきている自分に戻るということであり、
自分が持っているものを最大限生かす、ということでもあり、
自分が本当にやりたいことを、やりたいことだけをやる、ということなのだと思う。
「なんと勝手なことばかり」
と言いたい人には言わせておけばいい。
人の人生に口出しする権利は、親ですらない。
ましてや他人が、大してよくも知らない他人が、人の人生に責任も持てないのに口出しなんてなんでできると思っているのか、不思議で仕方がない。
人が自分と違って嫌だと思うなら、その人のことを見なければいいし、去ればいい。
そんな「自分を貫く」ことも、「周りに左右されない」ことも、「自分のために生きる」ということ。
自分の価値観を信じ、自分自身を信じて前に進もう。
命のあるかぎり。
いつ終わってもいいように。
自分の人生は自分のもの。
死ぬ時もたった一人で死んでいくのだから。
100%みんな死ぬのだから。
そう思ったら、今この瞬間が愛しくて愛しくて仕方がない。
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