「自分を幸せにできるのは自分だけ」
誰もが知っている言葉
一度はこの言葉を聞いたことがある人が、ほとんどだろう。
私も、何度も聞いたことがあるし、「そうだよね」とも
思ってきた。
ただ、果たして
「自分を幸せにしようとしてきたのか」
と言う、素朴な疑問にぶつかった。
私は、ほぼすぐに「そんなこと考えたことがなかった」
と、自分に答えていた。
幼い頃は、本能の赴くまま。
幸せが何か、なんて意識はない。
思春期の頃は、やるべきこと、将来の夢に向かって努力することで
精一杯。
淡い恋でさえも、自分が好きになった人が自分を好きになってくれたら、
それで幸せ、と言う、自分本位のわがまま、自己愛だったのかもしれない。
学生の頃は、将来のことで頭がいっぱい。
恋でさえも、自分の将来に比べればちっぽけなものに思えた。
大きな方向転換をして、社会人になったら、今度は一人前になることを
第一に、仕事ができる人を目指した。
やるべきことがたくさんだった。
結婚してからも、同じ。
やるべきことはさらに増えた。
子育ても同じ。
「自分を幸せにする」と言う発想自体がなかったことに気づいた。
結婚すれば幸せになれると思っていたかもしれないが、
それは相手が幸せにしてくれる、結婚していると言うことが幸せだと
思っていただけかもしれない。
私にとっての幸せ
自分を幸せにするとは、
行きたいと思った時に旅に出られる
眠りたいと思った時に、眠れる
食べたいと思った時に、好きなものが食べられる
遊びに行きたいと思った時に、遊びに行ける
と言う、ある意味簡単なことなのだが、案外簡単ではない。
時間がなければ難しい。
全くお金がなければさらに難しい。
自由がなければ難しい。
一連のことも、自分を幸せにするためではなく、義務感?
確かに、お花を飾る、と言う行為も、昨年のコロナの頃から始めたが、自分が癒されたいと言う気持ちもあったが、そのうちに「お花を飾るといいことがあるかもしれない」と言う、迷信めいたものによる部分もあった。もっと単純にお花を見て幸せ、と言う気持ちでお花を買おうと思う。
人に会って話をする時も、「相手に求められているから」「何かの勉強になるかもしれない」と言う気持ちが常にどこかにあることにも気づいた。
自分が会いたい!
と言う気持ちで会っている人が、どのくらいいるのだろう,と思うと、そこまで人に会わなくてもいいのだ、と思える。
今まで一度もこんなことを考えたことがなかったが、自分を幸せにする、ということにフォーカスして初めて自分の行動が見えてきたことがたくさんある。
自分を幸せにする作戦実行中
先日、ふと「思いっきり歌が歌いたい」と思って、はじめて一人カラオケに
行った。
満室だったが、すぐに入ることができて、それでも控えめに(誰に遠慮する必要もないのに)1時間だけにしたため、予約を入れた曲全てを歌い終わることができなかった。
それでも、次々に、誰に遠慮することなく、自分の好きな歌を思いっきり歌える爽快感は、最高!!!と
叫んだくらい、楽しかった。
かかった費用はたった700円ほど。3杯くらいドリンクを飲んだのに。
なーんだ、もっと早くにやっていれば良かった。
でも、こうした欲望さえもなかなか出てこなかったのだ。
「やりたいことがない」と言うのは、実はかなり精神的には不健康なのだと思う。
仕事に追われる人生ってなんてつまらないんだろう、と思った。
お金を稼げば安心感は与えてくれるが、それだけでは幸せにはしてくれない。
でも、少なくとも私は、お金のために自分のあらゆる楽しみを、幸せを
感じる機会を無くしているのかもしれない、と思った。
今度は、フリータイムにしたほうがいいと、娘からアドバイスを受けたくらい、
自分がやりたい、と思うことを自分に許していないことに気づいた。
もう一つの幸せ作戦
そして、このゴールデンウイークは、昼寝したいと思った時に昼寝をすると
言うことを続けた。
その昼寝さえも、今までどこかで「昼寝なんてしてはいけない」と自分を
縛っていたのだ。
この4年間ほど、昼寝は全くと言っていいほどしていなかった。
「疲れているんだから、昼寝くらいしたら?」
と言ってくれる人、つまり許可をしてくれる人がいなければ、昼寝さえも
禁止していた自分に驚く。
こうして、これからも一つ一つ、そして少しづつ「自分を幸せにする作戦」は、
続いていく。
自分を幸せにできるのは、自分だけなのだから。
上野 博美